第一話 双子と転校生

 携帯の目覚ましアラームが鳴り、目が覚めた。

 起床時間は午前五時。

 この時間帯から、俺のいつもの一日が始まる。

 寝間着からジャージに素早く着替えたあと、静かに一階に下りて玄関へと向かう。


「行ってきます」


 この家の住人たちはまだ寝ているため、起こさないように小声でそう呟いた。

 さらに、なるべく音を立てないように玄関の扉の開け閉めをする。

 そして、俺は毎朝日課にしているランニングに出かけるのだった。


 四月とはいえ、まだ朝は肌寒く、白い息が出る。

 個人的にはこのくらいの環境のほうが走りやすい。

 

 まず俺は、家から少し離れた場所にある、広い川まで走った。

 それから、堤防道路を通り、橋を渡る。

 自分のペースを乱さないように、呼吸や速度に気をつけて走っていた。


 今日は調子がいい感じがするな。

 よし、少しペースを上げてみるか。


 肌寒さも気にならなくなった頃、ちらほら人を見かけるようになった。

 この時間帯は、若者より高齢者のほうが多い。


「おはようございます」

「おお、おはよう」


 その人たちとは簡単な挨拶程度はするが、会話などはしたことがない。

 しかし、もう一年近くランニングは続けているので、今ではもうすっかり顔馴染みになっているのだ。


 一時間ほど経った頃、俺は走るのをやめた。

 熱くなった身体を落ち着かせるために、歩いて帰宅する。

 帰宅後、浴室に直行し、シャワーで汗を流した。







 俺の名前は羽ヶ崎はがさき璃央りお

 中学生のとき、事故で記憶喪失になり、生活が一変した。

 今だに記憶は戻っていないが、日常生活は普通に送ることができている。

 無事高校にも入学し、今は高校二年生だ。

 

 俺には高校生活で成し遂げたいある目標があった。

 それは、女子と仲良くなり、最終的には彼女を作ることである。

 しかし、俺はある事情によって、学年の女子生徒たちから嫌われていた。


 そんな絶望的な状況の中、なんと今日、転校生が来るのだ。

 性別はまだわからないが、俺はその転校生に一縷の望みを賭けていた。

 滑稽な話だが、まだ会ったこともない転校生に過度な期待を抱いていたのだ。

 

 シャワーを浴びたあと、部屋着に着替え、俺はリビングの扉を開けた。


「おお、璃央か。おはよう」

「おはよう。じいちゃん」

「毎日毎日よく走るのぉ。さすが元気な若者じゃな」


 新聞を読みながら話しかけてきた人物は、俺の祖父である羽ヶ崎はがさき源一げんいちだ。

 職業は歯医者で、『羽ヶ崎歯科クリニック』の院長でもある。

 歯医者だからか、歯磨きの仕方には結構うるさい。

 歯磨き粉も市販では売っていない特別な歯磨き粉を使わせるなど、徹底している。

 そのおかげか、俺は今まで虫歯になったことがない。


「瑠璃はまだ起きてこんのかのぉ。ワシは腹が減ってしょうがないぞい」

「今日は瑠璃が食事当番だよな。そろそろ起きてくるんじゃないのか?」


 俺は冷蔵庫にあった紙パックの牛乳をコップに注ぎ、一気に体内へ流し込んだ。

 シャワーを浴びたあとの熱い身体を牛乳が冷ましてくれる。

 実にうまい。


「じいちゃんも牛乳飲むか?」

「璃央……。ワシが牛乳を飲んだら、どうなるか知ってるじゃろ?」

「知ってる。お腹下すんだよな」

「知ってるのに、毎回訊くのはひどいじゃろ!?」

「いや、たまには挑戦したい日とかあるのかなぁと思って」

「そんな冒険せんわ!」


 じいちゃんとそんな他愛もない会話をしていたら、階段をドタバタと下りてくる音が聞こえてくる。

 次の瞬間、リビングの扉を勢いよく開けて、この家の三人目の住人が入ってきた。


「おはよう! 二人とも、待たせてごめんなさい! いろいろと準備をしてたら、遅れちゃったわ! 今から急いで朝ご飯を作るわね!」


 慌てて料理の準備に取りかかっている人物は、羽ヶ崎はがさき瑠璃るり

 俺と瑠璃は双子の姉弟である。

 先に生まれたのが瑠璃だったため、姉として振る舞っているのだ。


 現在、俺と瑠璃は同じ高校に通っている。

 一年の頃は別のクラスだったが、クラス替えで同じクラスになった。

 瑠璃は俺と同じクラスになったことを、とても喜んでいたようだ。

 俺も内心では少し嬉しかった。


 なぜなら、俺が記憶喪失になってから、瑠璃がとても献身的に尽くしてくれたからだ。

 瑠璃がいたからこそ、今の俺があると思っている。

 本当に大切な家族だ。


「おお、瑠璃。おはよう」

「おはよう」

「ねぇ、璃央。早く起きてるなら、私を呼びに来なさいよ……」

「いや、前に呼びに行ったら、怒っただろ?」

「あのときは、寝癖がひどくてむしゃくしゃしてたのよ。それに、ノックもせずに、女の子の部屋に勝手に入るだなんて失礼じゃない?」

「あー、それはすまん。あのときは勝手に入って悪かったよ。しかし、あれはひどい寝癖だったよな。なあ、じいちゃん? 」

「たしかに、あれは芸術的な形をしとったな」

「二人とも、今日の朝ご飯はいらないのかしら?」

「すまん!!」

「許してください!!」


 俺とじいちゃんは速攻で謝った。

 朝食抜きはさすがにきついです。






「うまい! 瑠璃の作る料理はうまいのぉ!」

「ふふ、おじいちゃんありがと。璃央はどう?」

「ああ、うまい。やっぱり俺の作る料理とはレベルが違うな」

「そう? 璃央の作る料理、私は好きよ。おじいちゃんも好きでしょ?」

「ふむ、悪くはないが、璃央の作る料理は味付けがちょっと濃くてのぉ」

「わかった。次回からは気をつけるよ」


 俺たちはいつもと変わらない、和やかな朝食の時間を過ごす。

 朝食後、俺と瑠璃は、仕事に行くじいちゃんを玄関まで見送ることにした。


「瑠璃、璃央。ワシは先に仕事へ行くからの。お前たちも遅れないように学校へ行くんじゃぞ」

「おじいちゃん、ちょっと待って。はい、お弁当。できれば、食べたあとは容器を水洗いしてくれると助かるわ」

「おお、いつもありがとうな瑠璃。わかった、容器は洗っておくぞい。では、行ってくる」

「いってらっしゃい」

「じいちゃんも気をつけて行けよ。最近車の事故が増えてるみたいだからな」

「ああ、わかった。心配してくれて感謝するぞい」


 じいちゃんは車で仕事に行ってしまった。

 その後、洗い物をしてから制服に着替える。

 リビングの時計を確認してみると、普段の登校時間になっていた。


「じゃあ、そろそろ学校に行くとしますか」

「待って、璃央。今日も私と一緒に登校しましょうよ」

「おいおい、俺たちはもう高校二年生だぜ? さすがに一緒に登校するのは……」

「じゃ、行きましょうか」

「え? ちょっ……。わかった! わかったから! 腕をそんなに引っ張らないでくれ! 痛いから!」


 俺が反論する間もなく、今日も瑠璃と一緒に登校する羽目になってしまった。

 ……まあ、いいか。

 高校を卒業すれば、一緒に登校するなんてことはなくなるしな。

 今だけは、瑠璃のしたいようにさせてやるとするか。







 幸運なことに、学校に着くまで、知り合いとは一人も会わずに済んだ。

 知り合いに会うと冷やかされたりして恥ずかしいので、俺は内心ホッとしていた。


 俺たちが通う、聖沢ひじりさわ高等学校は、一学年約百五十人ほどの生徒数で、学力もなかなか高い進学校である。

 中学時代、俺は勉強があまり得意ではなかった。

 しかし、瑠璃が協力してくれたおかげで、こんな俺でもなんとか入学できたのだ。


「……それにしても、よかったわね」

「ん? 何がだ?」

「私たちとみんなが同じクラスになれたことよ」

「ああ、そうだな。剛志つよし弘人ひろととまた同じクラスになれて安心したよ。瑠璃も友達と同じクラスになれてよかったな」

「ええ。一紗かずさと一緒でよかったわ。それに、璃央と一緒になれたのも嬉しかったのよ。一年の頃は璃央のことが、毎日心配で心配で……」

「だからって、休み時間のたびに、俺の様子を見に来るなよ。恥ずかしかったんだぞ。おかげでシスコンだと思われてなぁ……」

「あっ、瑠璃。おはよー」


 昇降口で話をしていると、ちょうど先ほど話題に上った瑠璃の友達が挨拶をしてきた。

 明るめの茶髪に、気崩した制服が特徴の女子だ。


「おはよう、一紗」

「お、おはよう……」

「あ、璃央もいたんだ? おはよー。 あんたたちまた一緒に登校して来たの? ほんと仲良いよねー。双子ってみんなそうなのかな? それにしても、あんたたちって全然似てないよね」

「双子っていっても、二卵性だからな。というかこの説明は何度もしてるだろ? いい加減覚えてくれよ。……とにかく、二人とも合流できてよかったな。それじゃ、俺は先に教室に行くからな」


 瑠璃の友達である、米原よねはら一紗かずさ

 俺はあいつが若干苦手である。

 なぜなら、髪型や服装がいかにもギャルっぽい見た目で、基本的な言動も俺とは合わないからだ。

 瑠璃の友達でなければ、普段は関わりのない人種だっただろう。


 そんなことを考えていたら、俺のクラスである、二年三組に着いていた。

 俺は教室の扉を開けると、すぐに自分の席まで行き、鞄を下ろし、荷物を整理する。


「よお、璃央」

「おはよう、璃央」

「おう、おはよう」

「窓から見えたぞ。今日も姉弟仲良く登校してたよな。まったく、あんな美人な姉がいて羨ましいぜ」

「僕もあんな姉が欲しかったよ……」

「お前らなぁ。何度も言ってるが、実際そんなにいいものでもないぞ。ないものねだりはやめとけ」


 俺が席に着くと、二人の男子学生が話しかけてきた。

 高身長で坊主頭の人物は、野球部の高村たかむら剛志つよし

 茶髪で三枚目の人物は、卓球部の榎木えのき弘人ひろとだ。

 こいつらは一年の頃からの親友である。

 いや、正しくは悪友と呼ぶべきか。


「そういや、今日だったよな? 転校生が来るの」

「転校生? ああ、今日だっけ?」

「覚えてなかったのかい? こんなビックイベントを」

「すっかり忘れてたわ」

「女子がいいよな。とびきり美人の」

「まあ、美人の女子が来たとしても、俺たちじゃ、お近づきにはなれないだろ……」

「そんなのわからないだろ? 僕たちの過去を知らない、唯一の同級生になるわけだから、お話しぐらいはできると思うけど……」

「女子がいいよな。とびきりセクシーな」


 そんな現実味のない話をしていると、朝のホームルームの時間になり、稲田いなだ先生が教室に入ってきた。

 それを見た剛志と弘人は、急いで自分の席まで戻っていく。

 瑠璃と米原もいつの間にか教室におり、席に着いていた。


「みんなおはよう! 席に着けー! おお、すでに全員着いてるな! 感心、感心! ところで、今日はみんなにビッグニュースがあるんだ! 前々から言ってはいたが、今日から転校生がうちのクラスに来るぞ!」


 転校生が来ると聞き、クラスのみんなは、盛り上がっているようだ。

 二人の前では興味なさそうに装っていたが、俺だってどんな転校生が来るのかはずっと気になっていた。

 しかも、運が良いことに、俺の右隣の席がちょうど空席になっているのだ。

 なので、転校生が隣の席に来るのは必然。

 できれば、可愛い女子がいいな。

 

 いや、絶対に女子がいい!

 神様お願いします!

 どうか女子を連れて来てください!

 

「それじゃあ、入ってきてくれ!」


 扉の外から「はい」という声が聞こえてくる。

 その後、転校生が教室に入ってきた。

 同時に、クラスの男子たちが「おおっ!!」と声を上げる。


 転校生は女子だった。

 しかも、かなり可愛い。

 いや、すごく可愛い!


 身長は高めで、明るめの茶髪に、髪型はショートヘアー。

 そして特筆すべき点は、胸が大きいことだ!

 スタイルもよく、まるでモデルのような外見の女子である。 

 そんな女子が隣の席に来るという事実に、胸の高鳴りが止まらない。

 俺は心の中で何度もガッツポーズをした。


美藤みふじ鈴音すずねといいます。親の転勤でこの学校に転校してきました。皆さん、今日からよろしくお願いします」

「……だそうだ! みんな、仲良くしてやれよ! 席は……羽ヶ崎弟の隣が空いているな! すまんが、しばらくはあの席で過ごしてくれ!」


 美藤さんはクラスの同級生たちの注目を浴びながら、おしとやかに歩いてくる。

 そして、ついに俺の右隣の席に座ったのだ。

 稲田先生は美藤さんが席に座ったのを確認する。

 それから、いつものようにハキハキと大きな声で、ホームルームを再開した。


 落ち着け、俺!

 第一印象が一番大事だぞ!

  

「美藤さん、初めまして。俺、羽ヶ崎璃央っていいます。わからないことがあったら、何でも質問してください」


 俺は邪念や雑念を消し、爽やかさを精一杯意識して声をかける。 

 一方、美藤さんは俺の名前を聞いた直後、なぜか固まってしまった。

 さらに、俺の顔を不思議そうに見てきたのである。

 けれども、美藤さんはすぐに笑顔になった。


「お気遣いありがとうございます。璃央……。素敵なお名前ですね。では、璃央君と呼ばせてもらいます。私のことは『鈴音』とお呼びしてもらってもいいですか? さんづけやちゃんづけではなく。あと敬語じゃなくていいよ。私たち同級生なんだから。私もそっちのほうが楽だし」


 ……え?

 何この展開?

 い、いきなり下の名前で呼んでいいのか!?


 だが、せっかくの厚意を無下にしてはいけない。

 俺は勇気を振り絞って彼女の名前を呼ぶことにした。


「わかった。これからよろしくな。す、鈴音!」

「うん! これからよろしくね! 璃央君!」


 高校生になってから、女っ気がまるでなかった俺に、ついに春が訪れたようだった。

 これからの学校生活が楽しみでたまらない。 

 恨めしそうにこっちを見ている剛志と弘人には、あとで自慢してやろう。

 

 すまんな、二人とも。

 どうやら俺は、お前たちより先に、女の子の友達を作れそうだ。

 なぜか瑠璃がこちらをにらんでいたように感じたが、たぶん気のせいだろう。

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