それがどうしてこんなことに……


 最初に『猫町3番地』という名前を聞いたとき、いい名前だな、と水宗は思った。


 猫が好きだし。


 萩原朔太郎の『猫町』が好きだったからだ。


「猫町3番地は今日からお前に任せるよ。

 まあ、頑張れ」


 ある日、造園業者の職人のおじいさんにそう言われた。


 ようやくひとりで仕事を任されるようになり、水宗は張り切った。


「はいっ」

と言って、まだピンクでなかったトラックに乗り、ナビに猫町3番地と入れたら、ナビになかった。


 そこは、ナビにはない幻の町なのか。


 いや、結構近所だ……。


 それによく考えたら、猫町3番地はただの店の名前なので。


 ないのは町じゃなくて、店だった。


 ナビが古いのだろうか。


 でも、猫町3番地は今の店主のおじいさんの代からあると聞く。


 もともとの名前は違ったらしいから、それで入れないと駄目なのか。


 前の名前、聞いておけばよかったな、と思いながら、水宗は仕方なく、住所と照らし合わせて、店の近くのスーパーにナビの目的地を設定する。


 そこからは地図で探しながらたどり着いた。


 緑したたるとはこのことか、と言うような森の中の喫茶店。


 いや、街中なんだが……。


 まあ、そういうイメージの店だった。


 御伽噺おとぎばなしに出て来そうな喫茶店だな。


 ……御伽噺に喫茶店出てこないけど。


 その辺の木陰から、七人の小人がハイホーハイホーと出て来そうな不思議な空間だった。


「すみませーん」


 店の駐車場にトラックをとめ、店内を覗くと、おじいさんやおばあさん。


 そして、年配の綺麗な人や親子連れが居た。


「あの、店長さんは?」

と近くに居たおばあさんに訊くと、


「琳ちゃんなら外だよ」

と教えてくれる。


 庭に行くと、実に自然な感じにしつらえられた洋風の庭に美しい女性が立っていた。


 いまどきあまり見ないような長い黒髪を林から吹く風に靡かせたその女性は、おや? という感じで振り向く。


「ああ、もしかして、新しい造園業者の方ですか?」


 微笑まれ、どきりとした。


 知的で落ち着いた印象の瞳が自分を見る。


「あ、はいっ。

 水宗と申しますっ。


 今の会社に入ってから、まだ日は浅いのですが。

 精一杯頑張りますっ」

と頭を下げた。


「よろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げ返してきた琳は、

「お庭、好きなようにしてくださいね。

 私、よくわからないから」

と言ってくれた。


 信頼してくれる美しい女店主のために、水宗は頑張った。


 ときに、職人のじいさんに、

「……なんで二宮金次郎、猫町さんに置いてきた」

と言われながらも。


 だが、大抵のことは琳は大目に見てくれた。


「水宗さんのセンス、素晴らしいです」


 そう言ってくれて。


 一度、庭の林よりの部分を大きく掘り返して作り替える計画を持ちかけたときもすぐに賛同してくれた。


 掘り返したあと、

「なにか出て来ませんでしたか?

 ……もっと林寄りなのかな」

と謎の言葉を呟いていたのがちょっと気になったが。


 そういえば、初めて会ったとき、ずっと、あの林の方を見てたな、と思い出し、さらに気になったが……。


 琳の影響で、ミステリーにはまったり、サスペンスに洗脳されたりもしたが。


 他の仕事もいろいろ任されるようになった今でも、この猫町3番地での仕事は、自分の生きがいであり、息抜きであり、やすらぎでもある。


 ……ことに変わりはないのだが。


 心のやすらぎであるはずの猫町3番地で、今、自分は刑事に詰め寄られていた。


「あのピンクのトラック、あなたのですか?」


 人の良さそうなふっくらとした体型の佐久間という刑事がそんなことを訊いてくる。


「今、となり町の傷害事件の現場から逃走したっていうピンクのトラックを探してるんですよ」


「ピ、ピンクのトラックって、結構走ってますからね~っ」


 いや、結構は走ってないかもな~、と思いながらも、水宗はそう主張してみたが。


「白い線でゾウが描かれたピンクのトラックらしいんですよ~」


 そう呟く佐久間の目は庭のトラックに描かれた愛想のいい白いゾウを見ていた。





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