俺はお前目当ての客ではない
個人的に、か。
なにかツボな響きだ、と思いながら将生は聞いていた。
しかし、喜三郎さんの珈琲は美味いが、お前目当ての客はお前が居なかったら、がっかりして帰るだろうが。
……まあ、俺は違うけどな。
俺は帰らないけどな。
喜三郎さんの珈琲は美味しいし。
入ってカウンターの中を見た瞬間に帰ったら、常連のおばあさんたちに、にまにま笑われそうだしな……。
そんなことを考えながら、今聞いた言葉を思い返していた。
『あれは新田さんじゃ、琳。
もうひとりは、そのまんま、合っとる』
新田さんか、と思ったとき、琳が後ろを見て、
「いらっしゃいませー」
と言った。
水を持って行きながら、
「あのー」
と言うのが聞こえてきた。
「新田さんってご存知ですか?」
誰に訊いてるっ?
と振り向くと、小柴だった。
「新田?」
と小柴は首を傾げている。
本人に訊くのかっ。
いや、琳の祖父が言った『新田さん』が、小柴とは限らないが。
お前、なんのために、隠れて写真撮ってたーっ、と思っていると、小柴が、
「ねえ。
新田って、僕じゃなくて?」
と言ってきた。
「え、小柴さん、新田さんっておっしゃるんですか?」
と言ったあとで、琳は少し考え、
「……えーと、コシバ ニッタ……下のお名前、なんでしたっけ?」
と訊いていた。
「いや、ミドルネームとかないから」
と苦笑いした小柴は、
「新田は旧姓だよ。
小柴は、うちの妻の苗字。
結婚したとき、嫁さんちの苗字に変えさせられたんだけど――」
だけど?
と将生と琳は身を乗り出す。
なにか続きがある気がしたからだ。
変えさせられたんだけど、妻亡き今もそのままだとかっ?
と将生は思ったが、小柴はそこで話を止め、
「ところで、この間撮ってた僕の写真、なにに使ったの?」
と笑って琳に聞き始める。
「あ、バレてました?」
琳は、あっけらかんと笑って認めていた。
「……お前、なんのために隠れて写真撮ってた」
お盆を手に戻ってきた琳に、将生が言うと、琳は、いやあ、と笑い、
「推理するのが、めんどくさくなっちゃって」
と言う。
どんなミステリーマニアだ……。
「じゃあ、ついでに全部訊いてきたらどうだ?
嫁のこととか」
「そっちは訊きにくいじゃないですか、なんとなく」
もし、小柴の嫁が亡くなっていたら悪いと思っているのだろう。
まあ、琳のそういう、人のいいところは嫌いじゃないんだが、と思いながら、小柴の注文した珈琲を作り始める琳を眺めていた。
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