限りなく怪しい客

あの人、怪しいと思います


 美しい庭だ。


 カウンターに座る宝生将生ほうじょう まさきはいつものように、コーヒーサイフォンの音を聞きながら、店の外を眺めていた。


 どの季節のどんな時刻でも、この庭には、ひとつふたつは花が咲いている。


 そのように計算されているようだった。


 まあ、花のない緑の木々も美しいが、と思いながら、将生が眺めていると、

「そんなに庭が好きなら、窓際の席に座ればいいのに」

と横から子どもの声がした。


 大橋龍哉おおはし たつやだ。


 小学生だというのに、端正な顔と落ち着き払った性格をしたこの子どもを見ていると、いい男っていうのは、子どもの頃からいい男なんだな、とつくづく思う。


 そういえば、今日は日曜だったな、とアイスコーヒーを飲みながら、横で歴史の本を読んでいる龍哉を眺めていると、


りんさん、宝生さん、窓際の席にかわりたいって」

と勝手に龍哉が琳に言う。


「えっ?

 ああ、空いてますよ、今なら」

とサイフォンを真剣に見つめていた、この店の若い女性店主、雨宮琳あまみや りんが顔を上げた。


 落ち着いたこのカフェにぴったりの、しとやかで美しい店主――


 に、ぱっと見、みえるのだが。


 名残り惜しそうに庭を見ながら、琳が言ってくる。


「イヌサフランも、オトギリソウもそろそろ終わりですもんね~」


 ……見事に毒草ばかりなのは何故だ、この庭。


 いや、琳と自分が知っているのが、ほぼ毒草、というだけで、他の草木も植えてあるのだろうが。


 なにせ、この店主、庭は業者に丸投げなので、客に、

「この花綺麗ですね~。

 なんのお花ですか?」

と問われても答えられない。


「龍哉、なんで此処で本読んでるんだ。

 家で読めよ」


「家は落ち着かないんだよ」

とこちらを見ずに龍哉は言う。


 琳はただ笑っていた。


 自分が龍哉に時折、嫉妬している風なのを見て、佐久間がよく、

「……宝生さん、僕より見境ないですね」

と言ってくるのだが。


 しばらく話して、時計を見た龍哉は、

「じゃあ、帰るよ。

 琳さん、この本もうちょっと借しといてね、ありがとう」

と言って椅子から降りた。


「気をつけて帰ってね」

と琳が言うと、大丈夫、と言って行ってしまう。


 そのまだ小柄な後ろ姿を見ながら、

「……結構話が合ってしまった」

と将生が呟くと、琳は笑い、


「私もです」

と言う。


 あいつ、最近の小学校高学年にしてはそう大きい方じゃないかもしれないが、頭の中は大人だな、と思った。


「龍哉はお前に本借りてるのか」


「私にっていうか、おじいちゃんのですけどね」

と琳は、いつぞや小柴こしばが出て来たカウンターの奥の部屋を手で示す。


 小柴は大学の准教授だという若い男で。


 居るのか居ないのかよくわからない美人妻が居る謎の男だ。


「そうなのか」

と呟いた将生は、あのとき、自分は入れないこのカウンターの向こうに行ける小柴をうらやましいなと思ったことを思い出していた。


 っていうか、小柴だけじゃなくて、龍哉まで入ってるんじゃないか。


「雨宮……」


 俺にも本、見せてくれ、くらいは言ってもいいくらいには常連かな、と思い、覚悟を決めたとき、他所よそを向いていた琳が、ちょいちょいと手招きしてきた。


 少し顔を近づけると、琳も腰を屈め、近づけてきたので、どきりとする。


 琳はチラとカウンターより後ろのテーブルを見、小声で言ってきた。


「あの人、殺人を犯そうとしています」


「……なんでだ」


「さっきはイヌサフランを見てて。

 今度は、トリカブトを見てため息をつきましたよ」


「……この庭園には罠が張ってあるのか。

 此処は犯罪者をあぶり出すために毒草ばかりが植えられてるのか」


 造園業者を呼んでこい、と将生が言ったとき、

「そこにあるから見てるだけでは?

 綺麗ですしね」

と後ろから声がした。


 またいつの間に……。


 小柴が背後に立っていた。


 カウンターに本を置きながら、

「ありがとね、これ。

 ほんと助かるよ。


 此処、結構、貴重な蔵書もあるからね」

と小柴は琳に言う。


「そう小柴さんがおっしゃってるって言ったら、おじいちゃん機嫌よくして、たまに、此処の本入れ替えてるんですよ。


 小柴さんが好きそうなのに」


 あ、やっぱり、そうだった?

と言って、小柴は笑っている。


「今度また、おじいさんにお会いしたいな」

「ええ、ぜひ」

と話す二人を見ている将生の頭の中では、小柴が、琳の祖父に、


『お孫さんを下さい』

と結婚の申し込みをしていた。


 いやいや、普通は、両親に言うだろう、と思ったところで、琳が、あ、という顔をして、将生の後ろを見た。


 振り向くと、窓際の席から若い男が立ち上がり、こちらに来るところだった。


 少し影があるが、端正な顔をした、いい男だ。


「すみません」

と男は琳に話しかける。


「あの辺の花、綺麗ですけど。

 そこらの園芸店でも買える感じですか?」


「あ、ええ。

 買えると思いますけど……」


 そう琳が答えると、そうですか、と男はまた窓の向こうの庭園を見る。


「あの、よろしかったら、少しお分けしましょうか?」


 琳の申し出を、いえ、と男は断った。


「この庭、かなり計算されて、造られてるようなので、形崩さない方がいいですよ」


 そう男は言ってくるが。


 いや、ときどき、激しく景観を崩す、とんでもない植物が置かれていたりもするようなんだが……と将生が思ったとき、


「すごく手入れのいい庭ですね」

と男が琳に微笑みかけた。


 すると、先程までの暗い影は消え、男でも見惚れるような雰囲気が醸し出される。


 やばい……と将生は思った。


 小柴には、妄想の存在かもしれないが、彼の心の中に、一応、妻が居るが。


 この男の心には、妄想の恋人とか居ないかもしれない。


 いや、妄想でなくていいのだが……。


 将生はなんとなく、小柴がカウンターに置いた重そうな本を見る。


 いや、これで、この男を殴り殺すのは不可能なのだが、なんとなく……。


 新たなライバルの出現か、と慌てる将生とは対照的に、琳は、

「この庭、私が手入れしてるんじゃないんですよ~。

 全部、業者さんにお任せなので」

とあっさり白状して笑っていた。


 男は会計を済ませ、出て行った。


「あれがさっきお前が言っていた人を殺しそうな男か」

と将生が問うと、


「そうです」

と出て行く男の方を見ながら琳は言う。


 小柴は笑って、

「琳さんに、毒草を何処で買ったらいいかって訊くなんて、カモがネギ背負しょってやってくるみたいだね」

と言っていたが、琳は閉まった扉を見ながら、


「……そうですよね」

となにか考えている風に呟いていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る