ここは猫町3番地

 

 名も知らぬ――


 もしかしたら、琳も名前を知らないかもしれない青年は立ち上がり、側まで来ると、


「僕があの並んだ唇を見なかったのは、単に不気味だったからですよ」

と苦笑して言う。


「ほら、見ろ」

と言おうとしたとき、その人の良さそうな青年は、


「まあ、どのみち、見なかったと思いますけどね……」

と含みを持たせて言ってきた。


 店長、と琳に向かって言う。


「もうひとつ、推理違っていましたよ。

 僕に病気の妹は居ません。


 ……後少しだけ、と思ってたんですけどね」


 そう呟いたあとで、ちょっと名残惜しそうに店内を見回していた。


 如何なる理由で通っていたにせよ、この店は彼にとって、思い出深い場所となっているようだった。


 お金を払い、じゃあ、と彼は出て行った。


 ぱたん、と閉まってしまった扉を見ながら琳が呟くように言う。


「……追わないんですか? 宝生さん」


 迷推理を披露した琳も、本当に当たっているとは思っていなかったようだ。


「行くだろ、警察。

 自分で……」


 未だ事態についていけないまま、将生が言うと、


「……警察、此処に居るんですけどね」

と佐久間もぼんやり呟いていた。

 


「ああ、あの人の身内で入院してるのは、妹さんじゃなくて、母親だよ」


 翌日、将生が仕事の合間に店に立ち寄ると、犯人が出頭したことを知った龍哉も来ていた。


「あの人、うちのばあちゃんが入院してる病院に、いつもお母さんのお見舞いに来てたよ、妹さんと。


 お母さん、長く患ってたらしいけど、もうちょっとで退院みたいだったね」


 そんな龍哉の言葉に、カウンターの向こうで、琳がしゅんとする。


「それで、あと少しっておっしゃってたんですね。

 お母様の入院や手術で金銭的に困ってらしたのでしょうか。


 悪いことをしてしまいました……」


 だが、まあ、待て、と将生は言った。


「犬は殺してるし、如何いかなる事情があったにせよ、金は奪ってるし。

 あれでよかったんじゃないのか?


 本人もすっきりした顔してたろ?」


「そうですね……。

 でも、私が死体見つけたら教えてね、なんて、みんなに言っていなければ」


 そこで、雑木林の方を見ながら、琳はボソリと呟いた。


「私が見つけたかったの、あの死体じゃなかったのに……」


 ……うん。

 聞かなかったことにしよう、と将生が思ったとき、窓際の席から立ち上がった小柴がカウンターに本を置きながら言ってきた。


「まあ、ミステリーって、物語の中だから楽しめるんでね。

 実際に、殺したり、殺されたりすると大変ですよ」


 いや、あんた、誰か殺したことあるのか、と思っていると、金を払いながら、小柴は言ってくる。


「ほんと、この店は落ち着きますよ。

 思索にふけるのにちょうどいい」


 そうか?

 いつも物騒な話題が飛び交っているようだが、と思ったとき、やわらかな微笑みを浮かべながら、小柴が言った。


「うちの妻もお気に入りで」


 お釣りを渡しかけた琳は、一瞬、止まり、チラとこちらを見たあとで、小柴に訊いていた。


「あ、あのー、小柴さんの奥さんって、この店に来られたこと、ありましたっけ?」


 すると、小柴はさっきまで座っていた席を振り返りながら言う。


「え? 妻はいつも来てるじゃないですか、一緒に」


 そこで、書留でーす、と郵便局員が入ってきた。


「あ、じゃあ、また」

と、にこやかに去って行く小柴を見送ったあとで、琳は、ポン、と書留にハンコを押していた。


 龍哉が呟く。


「ミステリーだね」


「ホラーだろ……」

と将生は言った。


「死体見つけるより、この店の中で起こってることの方がよっぽど怖いじゃないか」


 そのとき、店の扉が勢い良く開いた。


「琳さん、琳さんっ!

 今、学校の裏山で、人骨みたいなの、見つけたんだけどーっ!」


 駆け込んで来る少年達に向かい、将生は言った。


「……埋めてこい」


 苦笑いしながら、琳は二杯目の珈琲を淹れていた。




                          『雑木林の骨』 完







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