私、まだ此処に居なかったから
まあ、犯人がわざわざこの喫茶店に通って林を監視しているなんてこともないだろうとは思ったのだが、この場を誤魔化すために、一応、将生は琳に訊いてみた。
「雨宮。
誰か五年前から此処に通って林を監視している奴は居るか?」
「五年前は知りません。
私、まだ此処に居なかったから」
そう琳は言ってくる。
そ、……そういえば――。
って、そういえば、この店、前はなんだったっけかな? と思ったとき、琳が、
「林の方を時折、見てる人なら居らっしゃいますけどね」
と言い出した。
「……誰だ?」
「小柴さんです」
「私ですね」
琳の言葉にかぶせるように若い男の声がした。
琳の後ろ、店の奥から、あの英字新聞の男が現れる。
お前、今、何処から出てきたーっ!
「いいのありました?」
と琳が笑顔で訊いている。
いい男だからって、なに媚び売ってんだ……。
いや、琳はそんなつもりはないのかもしれないが、妙に絵になる組み合わせなので、疑わしく見てしまう。
「あったよ。
二、三冊借りていいかな?」
と小柴は琳に訊いていた。
見ると、その手には古い本が何冊かある。
将生のその視線に気づいたように、小柴が言ってくる。
「此処、私の学生時代も喫茶店だったんですけどね。
琳さんのおじいさんがやってらしたんですよ」
琳さんだあ~?
と思ったが、琳の祖父も雨宮姓なら、まあ、そういう呼び方になるか、と頭の中の冷静な部分は思っていた。
「今流行りのブックカフェじゃないですけど。
古い木造の喫茶店に本がずらりと並んでいて、本と珈琲の香りに満ちたいい場所だったんですよ」
と小柴は微笑む。
「おじいさんが此処から引っ越されたときに、本はかなり持っていかれたみたいなんですけど。
少し残ってて、たまに琳さんに借りるんですよ」
……二人きりで奥で本を眺めたりするのだろうか、と小柴の説明がまったく意味をなさないことを考えていると、
「ちなみに、私がいつも林の方を見ているのは、仕事柄、目を使うことが多いから。
目を休めるためですよ。
それから……」
と何故か佐久間ではなく、こちらを向いて、小柴は言った。
「……あの、私、美人の妻が居ますからね」
突然の小柴の宣言に、佐久間が吹き出す。
いや、お前も同じ穴のムジナのくせに……と思いながら、将生は沈黙していた。
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