第2話 すべて「と言った。」では伝わらない

 誰も話さない小説はまずありません。

 もし「誰も話さない小説」を書いたら、どんな文章になるのでしょうか。

 インタビューのない新聞記事になります。


 それを回避するには、やはり誰かが話さなければならないのです。


 しかし「と隆は言った。」が延々と続く小説もあります。

 初心者ほど延々と繰り返すのです。

 ひとりが一方的にではなく、ふたりが話しているときも「と隆は言った。」「と研は言った。」が続いていく。

 もうなにも考えずに文章を書いているだけです。


 しかし不思議に思いませんか。

 英語って日本語ほど「言う」関連の動詞がないはずですよね。

 中学生で習うものに絞っても「say」「tell」「talk」「speak」「ask」くらいですよね。

 日本語は、細かなニュアンスを単語や言葉だけで示せる、世界でも稀な言語です。でなければ「言う」だけで十も二十も類語が存在するはずがありません。


 今回はとっかかりとして「言う」に焦点を当てました。



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すべて「と言った。」では伝わらない


 本伝でも書いているのですが、物語の文章を書き始める段階では、すべて「と言った。」でもかまいません。

 それを読み手に見せるわけでもありませんからね。

 ですが、読み手に読ませる段階でもまだ「と言った。」しか使っていない作品もあります。

 どうすれば「と言った。」の一辺倒から脱却できるのでしょうか。


 その「と言った。」にはどんなニュアンスが含まれているのか。

 それをまず考えてください。


 たとえば「と沈黙に耐えかねて言った。」「と笑い声をあげながら言った。」

 これならニュアンスの違いは確実に伝わりますよね。


 しかし元の形が「と言った。」であるのは変わりありません。

 ではどうするか。


 ニュアンスにふさわしい言葉に置き換えていけばよいのです。

 「と沈黙に耐えかねて口を開いた。」「と笑い声をあげながら歓談した。」


 これなら「言う」を使っていませんので一辺倒から脱却しています。



 また「彼に言った。」を「彼に話した。」「彼に語った。」「彼に告げた。」「彼に伝えた。」「彼にうそぶいた。」「彼にささやいた。」「彼につぶやいた。」のようにするとどうでしょうか。

 言い方や行為に若干の違いを感じませんか。


 「彼に話した。」ある物事について。

 「彼に語った。」物語仕立てで。

 「彼に告げた。」以前から秘めていたものを。

 「彼に伝えた。」誰かからの言伝を。

 「彼に嘯いた。」大きなこと、大それたことを。また知らん顔でとぼけて。

 「彼に囁いた。」小声でひそひそと。

 「彼に呟いた。」小声で独り言を。


 ざっとこんな感じですね。

 あなたに基礎的な日本語力がおありなら、類語辞典を引けば適切な言葉がすぐに見つかります。

 頭の中に索引がなくて類語として引っ張ってこられなかった。

 そういう方ほど類語辞典は大きな力となってくれます。


 もし日本語力が怪しければ、類語辞典を引いてもその違いが理解できません。

 そのため、できるかぎり類語辞典では「用例」が書いてあるものを選びましょう。


 それでもニュアンスや違いがわからないときは、インターネットでもかまいませんので、その言葉を検索してみましょう。

 Google検索でもその言葉の意味やニュアンスの違いを細かく教えてくれます。


 ただ「言う」のような類語の「幹」となる言葉を検索しても、正しい意味やニュアンスの違いはわかりません。

 「言う」ではなく「話す」「語る」「告げる」「伝える」「嘯く」「囁く」「呟く」で検索しないとダメな点は注意してください。


 それでもGoogle検索でという場合は「言うの類語」で検索してください。

 ここで述べなかった「述べる」「しゃべる」「吐く」「のたまう」「申す」「おっしゃる」「おおせられる」なども出てきますよ。



 しかしどの意味やニュアンスが適切なのかは、小説を書いたあなたにしかわかりません。

 どの言葉が正しいのかを他人がビシッと決めつけられないのです。


 これは「添削」を続けていて痛感しています。

 「この言葉はふさわしくないのではないか」と思っても、「では書き手がどういう意味やニュアンスを込めてこの文を書いたのか」まで推し量らないとダメなのです。

 だから私は「添削」をする際に「ここは違う」と指摘はしますが「ではどうすればよいのか」までは示しません。

 書き手の意図までわかってしまうと、それは書き手の裁量ではなくなるからです。



 実は「と言った。」を無理に置き換えなくてもよい場合も多い。


 たとえば、


「おーい、こっちへ来てみろよ」

 振り向くと、研が崖下を覗き込んでいた。


 これは研のセリフで、「と研は言った。」と書きそうなところです。

 しかしそれを飛ばしても、誰が言ったのかが明白な場合があります。

 そういうところでは、意図して「と言った。」を消していくのもテクニックのひとつです。


 またふたりしかいない場合は、カギカッコで区切られている部分は同じ人の言葉、そのカギカッコが交互に出てくれば、発話者も切り替わるという特徴もあります。

 最初にどちらが言ったのかさえわかれば、あとは芋づる式にどちらが話したのかが明確になるのです。


「おーい隆、こっちへ来てみろよ」

 振り向くと研が崖下を覗き込んでいた。

「隆ちゃん危ないよ」

「だいじょうぶだって。それよりいいものが見られるぞ。早く来いよ」

「でも危ないことしちゃいけないって母さんが……」

「おまえのお母さんっておっかないからなぁ」


 こう書いてもどちらが話しているかはわかりますよね。

 「と言った。」を使わなくても、誰が話したのか明白なら、いっそ「言う」なんて書かなくてよいのです。


 逆に言えば、「言う」と書かなくても伝わるのなら、「言う」関連の言葉は削除しなければナンセンスだと思われます。

 「小説賞・新人賞」への応募原稿でも、可能なかぎり「言う」の類いを使わずに表現できているか。

 それも見られていると思いましょう。


 腕がよければ、ムダは書かないものです。

 どれだけ文章を削り込めるか。

 腕試しと思って、あなたの小説に取り入れてみましょう。



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 今回は「と言った。」をとっかかりにして「ムダを削り込む」工夫を考えてみました。


 どういうニュアンスを含むのか。

 それを的確に表す言葉はないものか。

 いっそ書かなくても伝えられないか。


 この手順でどんどん削り込んでいきましょう。



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