その卅一 彌

 何でもほこら御前みまへに膝を突いてをろがんんでゐた。かたはらには、引立烏帽子ひつたてえぼし高〻たか〴〵に、直埀ひたゝれみたやうな白衣びやくえ著込きこんだ男が控へてゐる。自分と同じ位の年恰好としかつかうあるいはいくらか若いやうで、神妙しんめう神主顏かんぬしづらをさまつてゐる。どうやら禮拜らいはい指南役しなんやくでゞもあるらしい。

 作法さはう再拜二拍手一拜さいはいにはくしゆいつぱい

 あたりにはさくら花瓣はなびら降散ふりちつてゐる。じつこのもしい。さうだ、柏手かしはでさい其一片そのひとひらにぽつと火でもとぼつたら、どうだらう。然樣さやうなる奇蹟きせきがあらば、何だか幸先さいさきいやうな氣がした。

 橫の白衣びやくえにちらと目をつたところむかうでも仔細しさいらしく點頭うなづいてゐる。

 成程なるほど矢張やはしかるべし。

 其所そこ此方こちらとしても、鷹揚おうやう深〻ふか〴〵二回にくわい叩頭こうとうして、二つ柏手かしはでつた。其一拍目そのいつぱくめと二拍目とのあひだは、殊更ことさら儀式張つてやゝ閒合まあひひらくべく工夫して、あまつさへ「高祀たかまつり彌祀いやまつり」と勿體振もつたいぶつて高吟かうぎんしてみた。

 すると果たして二拍手目の餘韻よゐん嫋嫋でう〴〵たるきは恰度ちゃうど目の前に舞來まひきたつた花瓣はなびら芽出度めでたくもぽつと火が這入はひつた。

 其仄そのほのかなあかりが、黃昏たそがれを過ぎた闇昧あんまいさの中で、鮮明に兩眼りやうがんを射た。

 たりかしこし。もう一度試みるべし。

 隣の引立烏帽子ひつたてえぼしを見ると薄笑ひを嚙潰かみつぶしたやうな表情へうじやう目配めくばせを返してきたのが、すつかりくらくなつた中でも判然はつきりと認められた。

 矢張やはりさうだらう。さうに違ひない。

 再度拍手をして、

高祀たかまつり彌祀いやまつり」――

 しかし、うした事だらうか。今度は花瓣はなびらに火がとぼらない。いや、正確には一部にさつと火が這入掛はひりかけるものゝすぐに立消たちぎえになるていである。

 緣起えんぎでもない。

 周章あわてゝ再度「彌祀いやまつり」と唱へようとした。しかるに、どうした事だか舌がもつれ、がく〴〵と顎迄あぎとまでもが戰慄わなゝいて始末に負へない。

いや…、イヤ…、イヤ、イヤ、イヤ〳〵〳〵〳〵……」

 言葉にならぬ、何ともへぬけものじみたイヤこゑが、のどの奧から絞出しぼりでるやうに込擧こみあげて來て、止めようにも止まらない。

 其儘そのまゝうなるやうに叫んでゐたら、

「あなた、あなた!」

 甲走かんばしつたするどこゑ―― さいの聲らしい。

「あなた!」

 搖起ゆりおこされてはつと目がめた。

 隨分ずいぶんうなされてゐたらしい。

一體いつたいどうなすつたのです?」

 隣を見ると、布團ふとんの上に半身を起こすやうにした、さいであらう姿が、有明行燈ありあけあんどんの赤い光を脊に、黑黑くろ〴〵と影になつて此方こちらを向いてゐる。

 其闇昧そのあんまいたる、黑黑くろ〴〵としたものをじつ見据みすゑた。

 どういふ事だか、からだの芯から、止處無とめどなふるへが込上こみあげて來る。がた〴〵すれる頭にうにもまとまらぬ思案をめぐらせた。


 て、こゝに夢の話を打明うちあけたものかいなか?



                         <了>





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