その廿五 管
「
或いは、「
本家と名が付くものは他に、
鳥屋本家は、幾つもの沢が扇状に広がって川に流れ込む、その
上本家は代々養蚕を行い、鳥屋本家は
格式としては、
「
いずれにせよ、両家には、対立構図のようなものが、潜在化しつつも厳然と維持されてきたのは間違いない。ただ、盆正月、仏事、祭事、その他あまた行事の折々には、当主の名代を互いに送り合って、口上を述べ、進物の
両家の関係性について、面白
僕の母方の祖母は、
上本家の屋根は茅葺で、それが無闇に大きく高く、柱も
屋敷は、北側の奥に
神座敷の隣は
随分と年寄で弱っているので、最早起き上がるのが叶わないということであった。一体幾つだったのかも皆目判らないが、僕が物心ついた時には、爺様はすでに蚊帳の中に横たわっており、それから数年を経た尋常四年のあの冬にも、変わらぬ様子でそこに寐ていた。
中座敷にもめったに這入ったことは無かったが、
僕は、爺様が起き上がったり、話をしたり、食事をしたりするところを見た記憶がない。爺様が目を開いたところも知らない。それどころか、僕の前でほんの少しでも動いたことすらなかった。
真っ白な髪を後ろに
両目は落ちくぼみ、頬がげっそりとこけている。わずかながらに開いた口から、
夏も冬も同じように蚊帳を吊り、冬も夏も同じように立派な厚手の布団に挟まれていた。
本家には他に、
こちらの爺様は色白で血色がよく、でっぷりと肥えた大柄な人だった。いつも「オイエ」と呼ばれる広い板の間の、囲炉裏端にふかふか上等な座布団を敷き、その上に
頭はすっかり禿上り、耳の脇から後頭部にかけてのみ、ぽやぽやとおぼろに白髪が生えていた。盤台面ともいうべき大きな顔で、いつも口許に何やら薄笑いのようなものを浮かべ、両目を閉じていた。
何でも若い頃から、少しも目が見えないのだという。
身内からも
爺様達と僕達との間には、何らかの血の繋がりがあるのか、無いのか?
どういうわけだか判らないが、そうした関係を詮索したり、誰かに訊ねたりすることは、何やら禁忌に当るような気分が小さい頃から僕にはあった。それはきっと、作ちゃんにしてもそうだったに違いない。
オイエに
「嘉一かえ?」と訊いてきた。目が見えないのに、よく解るものである。
足音だろうかとも思ったが、或る時ふざけて、作ちゃんと一緒に忍び足でオイエに這入ろうとしたところ、
「作! 嘉一! 何悪さしてるだら?」と叱られた。その時は、結局大笑いとなって収まったが、僕の肚の底では、何だか、空恐ろしいように思われた。
さて、
その段から言えば、
なお、
「何しろ、あっこは
あれは、僕が尋常四年のことだったから、作ちゃんは高等二年だった計算になる。夜通し雪が降った冬の朝であった。
次第に雲も薄く明るくなって、雪の降りが大分弱まった頃おい、藁頭巾に、高く編んだ雪靴を履いて、新しく積った雪を踏みしめ踏みしめ上の家を訪ねた。
「おはようござんす」
戸口で挨拶をして頭巾を取り、暗くて広い土間をオイエの前まで進むと、炉には赤々と火が熾り、その灰の中で焼いた
「嘉一かえ? 寒いによう来たもんだな。まあ、あたれ」
「ようおいでたな。
作ちゃんの
雪靴を脱いで炉端に腰を落ち着けると、すぐに奥から作ちゃんが出て来て、しきりに手招きをした。僕としては
作ちゃんは、
子供だけで勝手に足を踏入れても
僕には初めてのことで、大いに戸惑ったが、こんなところでまごまごしているのを家の人に見られでもしたら、どんなに叱られるか判らない。仕方がないので、一緒に神座敷の中に身を隠し、急いで戸を閉てた。
誰か大人に見付からないものかと、気が気ではない。
作ちゃんはにやにやしながら、身振りで音をたてぬよう指図すると、泥棒のような足取りで神棚に近付き、その奥に手を突込んで、五寸ばかりの篠竹の筒を三、四本取出した。いずれもつやつやした飴色で、随分と年季が経っている様子である。
何だろうか?
訝しく思っていると、その中から、四寸五分ぐらいの長さの、筒状に丸まった毛皮のようなものが出て来た。促されて触ってみたところ、猫の毛よりもやや粗い印象で濃い鼠色をしている。
「くだ、くだ」
はっとした。これが管狐というものだろうか?
「作、作、どこだに?」
遠くで
作ちゃんは急いで毛皮を竹筒の中に収め、元のとおり神棚の奥にしまい込んだ。そうして、辺りに誰も居ないところを見計らい、急いで神座敷から離れた。
僕は何だかとんでもない禁を冒したような気がして、胸のどきどきが収まらなかった。作ちゃんは何であんな大それたことをしでかしたのだろうか?
その後は、作ちゃんと兵隊
しかし、さっきの一件が気に掛り、どうにも胸の中がわくわくして落着かなかった。何をしていても身が入らず、一向に面白くなかった。作ちゃんの方は、僕とは対照的に、何も気にする様子ではなく、遊びに夢中になっていた。
やがて昼が近付いたので、家に戻ることにした。
オイエやその辺りには
近くに来いと手招きをしている。
実に嫌な予感がした。
それでも、爺様に逆らうわけには行かない。
年寄りにしては、物凄い力である。
「見たんだら? おめえ、見たんだら?」
何と答えてよいものか判らずに黙っていると、
「嘘を
爺様の顔からはいつもの薄笑いがすっかりと消え失せている。その口には、粘りつくような闇が
堪らず顔を背け、ぶるぶると震えていると、
「ま、いいだに…… あばな。けえれ、けえれ!」
苦々しい顔付ながらも、やっと腕を放してくれた。僕は逃げるようにして、上の家を後にした。
その夜は床に這入っても、目が冴えて中々寝付かれなかった。やっとうとうとしかけたかと思うと、あさましくも怖ろし気な夢ばかりを見て、うなされた。
どれもこれも、口にするのも憚られるような、忌まわしいものだったが、一つ鮮明に覚えているのは、上の家の炉端で、爺様と並んで
中身が何かは判らないが、何でも赤黒く、どんみりしたものが詰まっていた。どんな味がしたのかは覚えていない。二口、三口食べた後、
「しごくうんめえな。そうだら? おめ、これが何だか知ってっか? 作の肉だもんでな」と言って、爺様がにたり笑ったと思ったら、がしっと腕を掴まれた。
そこではっと目が覚めたが、その後は、怖ろしくて堪らずに、布団の中で夜通し震えながら、明け方までまんじりとすることも無かった。
その翌日の晩である。とうとう、
それから数日は、
そうして爺様は、僕が
あれは、嵩の爺様の
大人達は声を潜めて悪いことは続くものだと噂し合った。僕は兄と頼んでいた人を永遠に失った。
故郷を離れいよいよ疎遠になっていた僕は、
ただ、爺様の隣で
<了>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます