その廿六 包

 本当はそんな物など持っていたくはないのである。

 早々に、どこかにうっちゃるなりして、吾身から遠く手放してしまいたいと思うのだが、一体どこに棄てればいいのか?

 人も滅多に足を踏み入れぬような、藪の奥にでも埋めてしまおうと、何度思ったことだか判らない。

 それでも、あんな物なんぞを持って表に出ると、誰に見られるかも分らない。実に剣呑けんのんである。

 脇に抱えるにしろ、背中に負うにしろ、人目を免れて運ぶことなど決してできまい。おっかなびっくり歩いているところを、意地悪な巡査にでも目ざとく見咎められでもしたら、もう堪らない。


 仕方がない。


 何枚もの新聞紙にくるみ、さらに油紙に包んだそれを、しばらくは、寄宿舎の部屋の身の回り品をれておく行李こうりの底に隠し、押入おしいれの奥に押込めて置いた。

 しかし、そんな姑息が長続きするはずも無い。何となれば、腐敗というものは確実に進行するものである。

 幸いにして今年は、彼岸過ぎまではことの外寒い日が続き、油紙の包みから、怪しげなる臭味が漂うなどということも無かったのだが、梅もあらかた散りつくし、そろそろ桜もという年度替わりの時期になると、もういけない。押入の奥から、判然とはしないながらも、何やら不穏なる色を臭味に変ぜしめた空気が流れ出ているような気がする。

 同室の人は、何も言ってこないので、幸いまだ気付いていないのかも知れない。そう考えると少しはほっとするのだが、つらつら思いをめぐらすうちに、いやいやそんなはずはあるまい、気付いていながら、どういう思惑かは知らぬがだんまりを決め込んでいるのに違いないなどと、その先のあれやこれやを考え始めると、どうもそわそわ不安が募って、じっと尻を落ち着けて座っていることなど出来なくなる。


 あるとき、到頭決心して、部屋の人が湯に行っている隙に、件の油紙を取出し、風呂敷にくるんで背負うと表に出た。このところ、日足がずいぶん延びて、あたりは夕色に侵食され始めてはいるが、まだだいぶ明るい。

 こんなものはとっとと山の中にでも埋めてしまおう、暮れるまで間に合うだろうか、そんなことを考えながらせかせか歩いていると、少し先の辻から出て来た人がある。

 もうし、もうし――

 声を掛けられるのを、知らぬ顔で行き過ぎようかとも思ったが、相手の一人がフロックコートに山高帽の立派な風体ではあるし、何より左右に髭を跳ね上げた顔つきが厳めしく、偉丈夫いじょうぶともいうべき、峨々ががたる体格の紳士なので、これはとても逃れられぬと観念し立止った。

 男の人の脇には、何やらうつむきがちにくらい表情をした女の人が、隠れるように立っている。自分よりもまだ二つ三つ若いような、幼い顔立ちの女の人で、男の人の恰好とは釣り合わない、地味な桟留縞さんとめじまの着物を着ている。

 瀬川医院は、この近くではありませぬかな?

 存外穏やかな声でそう聞かれたのだが、「瀬川医院」という言葉にぎくりとなった。

 心臓が早鐘のように打ち始める。何となれば、背中の油紙の中身と瀬川医院との紐帯ちゅうたいがそうさせるのである。

 ああ、この人たちは――そう思うと動揺を隠せぬように思うのだが、努めて平静を装い、今来た道を振返って指さした。

 瀬川医院までの道のりは、なかなかに込入っている。ただでさえ口下手なのが、ややこしい道順を文言もんごんで表すのは難儀極まりない。突っかかったり、途中を飛ばして先に行ったり、また前に戻ったり、ずいぶんと苦労しながらも一通りの敷衍ふえんを終えた。

 こんなあやふやな説明で分かるものだろうか?

 はなはだ心もとなかったが、意外にも男の人はすっかり得心したような顔つきになって、帽を取り丁寧に礼を述べると、すたすたと歩き始めた。女の人は、始めから終わりまでこちらとは一度も目を合わすことなく、無言のままちょこんと形ばかりに頭を下げて、陰気な足取りで男の人について行った。

 幸い、背中の包みのことは、二人には何ら気取られていない様子だった。

 ともかくもほっとして、しばらくは茫然ぼうぜんとして二人の後姿を見送った。


 ああ、どうにか、ああ、どうにか――


 それにしても思えば、何やら、このことで余計に自らの業を深めてしまったようにも思われるが、向うの方から聞いて来たのだから、仕方がない、人知の及ばぬ宿命なのだから、受けれるしかない、そう、いて己に言い聞かせた。


 さて、日が長くなったとはいえ、空の色はだいぶ墨を含んで黒ずんできた。道を教えるのに、だいぶ時間を要したからでもあるが、今から山の中に這入はいっていくのは、どうも心細い。かと言って引き返すわけにもいかず思案していると、はたと地蔵堂のことが思い当たった。

 この先を真直ぐ、一町も進めば大川にぶつかる。その大川に架かる橋を越えると、田んぼが何枚も道の両側に広がっていて、田んぼが尽きると丘となり、草野を昇るだらだら坂が続く。丘の上にはさらに一段高い場所があり、こんもりと天然木に覆われた小山となって盛り上がっているが、その手前のふもとに、人気の無い地蔵堂がある。

 ずいぶんと古い小さなお堂だが、朽ちてもおらず、草生くさむしてもいない。そのように割ときれいにしているのは、信心深い地元のお百姓だか誰だかが、たまには草取りや掃除などをしているのであろう。

 しかし、ここで自分以外の人を見かけたことは一度も無い。


 ひとまずはあのお堂に隠そう。そう思った。



 工場こうばでは、仕事が休みともなれば、自分の部屋の同居人も始め、傍輩ほうばいたちは皆、繁華な街へと二、三人ずつ、うち揃って出かけて行く。

 はじめの頃は一緒に行かないかと声を掛けられていたのだが、断るのが三度も四度も続くと、もう誰からも誘われなくなる。

 人の姿がけた寄宿舎の部屋に、ひとりぽつねんとして、まあ、これはこれでよいけれど、やはりここに居ては、仕事のことが頭を去らず、気が晴れない。そこで、身支度もそこそこに、ふらりと表に出ると、あてもなく歩き回っていた。人の気配から離れるように、離れるように。そうして見付けたのが、地蔵堂だった。

 爾来じらい、休みのたびごとに、ここに来て、日が傾く頃まで一人で過ごすようになった。

 何をするというわけでもなく、もりに半ば取り込まれているようなお堂を背に、その梯子段に腰を掛けて、小鳥の声に聞き入り、その姿が條々えだえだに閃くのを眺めたり、蝶などが舞来まいきた舞去まいさる様子を目で追ったりしていた。或いは、境内を歩き回り、隅の方でひっそりと咲いている、名も知らぬ小さな花々を見付けてはそこにしゃがみ込んで眺めていた。

 飽きるということは無い。

 そうして、頭の中では、とりとめもないようなことが浮かんだり消えたり――

 もとより、生来の人見知りで、仕事場でも、寄宿舎の食堂や部屋でも、世間話に応ずるでもなく、湯にすら連れ立って一緒に行くことは無い。ただただ黙りこくっているばかりで、今では自然じねん、ああ、あれはそんな者だというふうな扱いを皆から受け、話し相手も居ない。

 同室の人も、そんな陰気な人間と二人きりで顔を突き合わせているのは、気塞きぶさくなっていやなのだろう、始終ほかの部屋におしゃべりにでも行っているらしく、寝る時分まで戻ってこないこともしばしば。

 そんなこんなで、工場の中の世間は狭いとは言いじょう、人との関りには何かと気をすり減らすようなことが多く、たとい些細ささいではあっても辛気しんきな出来事が少なくない。

 そんな身にとって、こうして地蔵堂で一人きり、鳥や虫や草花などを相手に過ごす半日ほどは、かけがえのない大きな愉しみの時間だった。



 それも、この油紙の包みに関する、一連の経緯ゆくたて逢着ほうちゃくするまでは――


 そうだ。あの一件から、すっかり境遇も気持ちも変わってしまった。

 どういう成行なりゆきでこうなったのかは、人に話したくもないし、思い出したくもない。

 しかし、こういう仕儀しぎになってしまったからには、仕方がない。最早後には戻れぬのである。どうしても先に進むしかない。



 空気までだんだんとかげってくる中を、地蔵堂へと急いで足を進めた。



 お堂の入り口は格子の引き戸になっているが、いつも開け放たれており、閉ざされていたためしはない。

 正面には、いつの時代のものかは判らぬが、何やらずいぶんと古い印象の、木彫きぼりのお地蔵さまが座っていらっしゃり、蓮華座の下には、三尺ばかりの高さの壇がある。

 人が来ないのをいいことに、お堂の中にこっそり這入ってみたことがある。

 広くはないが三畳ほどはあるだろうか、壇の上の花立はなたてには、青々としたしきみが供えてあった。香炉を覘くと、さらさらしたきれいな灰の上に、棒の形を残して燃え尽きた線香の灰がまだ真新しく、それを焚いた残り香も感じられた。

 わりと頻繁に、誰かがお詣りに来ている様子が見て取れたが、不思議なことに今まで一度も、そうした人をここで見かけたことは無い。

 お地蔵さまの横の方に回ってみた。表から見ても分らなかったが、横に来てみると、壇の両脇は板などで塞がれているわけでもなく、内部ががらんと抜けており、向う側まで通じている。子供はもとより、大人でも這って行けば、お地蔵様の下を潜り抜けることができるようなあんばいになっている。


 ――あのお堂にひとまず隠そう。


 先ほどそう思ったのは、その壇の下の空洞のことが思い当たったからである。


 息を切らしながら、お堂に着いたとき、辺りはずいぶんと暮れていたが、入口はいつものように開いていた。

 周りに人がいないことを確かめ、壇の下に潜って、そっと風呂敷から油紙の包みを取出し置いてきた。


 その日はそのまま部屋に戻り、湯にも行かずに布団をかぶって寝た。

 しかし、どうにも寝付くことができない。

 隣の布団で同居人が立てる呑気な寝息を聞きながら、まんじりもせずに朝を迎えた。


 日曜であった。

 朝から仕事は無い。傍輩たちは早々に遊びに出かけて行った。


 今日こそは、あれを埋めてしまおう。


 早速地蔵堂に向かうと、壇の下に潜った。


 あった。


 それを風呂敷に包んで背中に。

 そのまま、お堂の裏山に這入はいろうとして、はっとした。

 土を掘るのに、道具が無い。まさか手で掘るわけにもいかない。

 そう言えば、お堂の脇には、扉も無いような小さな納屋があり、竹箒などがしまってあるのを見かけた記憶がある。

 あそこに何か、鍬のようなものは無いだろうか? 

 入ってみると、箒や小鎌など、境内の掃除に使うような物しかない。先が三叉になった、片手で使う小さな鍬ならある。これも、草取りに使うものだろう。

 仕方がない。しかし、何も無いよりはましである。小鎌と小鍬とを手に山に這入はいって行った。

 山の中は、背の高い木が多く、下草はそれほどひどくは無かったが、時折、小鎌でぎ払いつつ、進んで行った。粘土質の、急な斜面は、はなはだ登りにくい。周りの木につかまりながら足を運ぶと、ほどなく頂上へと到った。ここは十畳ほどの広さで平らになっている。

 とにかく、さっさと埋めてしまわなければ。

 落葉の堆積を鍬の刃先でよけ、その下の土に刃を振り下ろしたところ、存外軟らかい。すぐに一尺ほどの穴が掘れた。もう少し深く掘らなければと鍬を使っていたところ、何やらがさりとしたものに刃先が当たった。

 何だろうか? 手で土をよけてみて、ぞっとした。


 油紙である。


 何かは判らぬが、油紙に包んだものが埋めてある。しかも、何だか真新しい。埋められてから、まだ何日も経っていない様子である。

 慌てて、埋め戻し、少し離れたところを掘り始めた。


 がさり―― ここにも油紙の包み。


 そうして、別の場所にも。

 ここはどこを掘っても、油紙の包みが出てくる――


 慄然となった。


 胸がむかむかする。

 思わず、今朝食べたものを戻してしまった。

 体中の毛という毛がすべて一本立ちするようで、非常に心持ちが悪かった。手脚はわなわなと震え、止めようもない。額からは脂汗がしたたり落ちた。


 何ということ……


 胃が激しく収斂して、吐き気が収まらない。吐くべきものをすべて戻してしまっても、なお酸っぱい胃液が口に湧いた。


 逃げるように夢中で山を下り、お堂の壇の下に、再び包みを隠した。


 これから、どうしよう――


 膝ががくがく震え、巧く歩くことができない。頭が痛い。胸が灼けるように苦しい。

 蹌踉そうろうとした足取りで、何とか寄宿舎に戻った。

 途中、何人かの見知らぬ人とすれ違ったのだが、皆怪訝けげんそうな眼をこちらに向けた。中には大丈夫かと親切な声を掛けてくれた人もあったけれども、無言のまま頭を横に振って助力を断り、一人でようやく部屋までたどり着いた。

 昼だというのに、何やらあたりが非常に昏く感じられた。

 何をする気も起らない。頭が痛い。胸がむかむか苦しい。手もろくに洗わず、着替えもせずに、そのまま畳の上に横になった。

 夕方、同居人が帰って来てあれこれと心配そうに訊ねてくれたが、その時分になっても気分はよくならず、人との受答えも大儀でならないため、いい加減に誤魔化したところ、その人が、押入から布団を出し敷いてくれたので、礼もそこそこに普段着のままもぐり込み、食事もとらずに朝まで寝ていた。


 しかし、その晩は意外にもぐっすりと眠ったらしかった。

 翌朝、目が覚めると、体の調子はずいぶんよくなっていた。一日ほとんど何も食べていなかったため、今度はだいぶ空腹が感じられた。

 食事を済ませると、いよいよ調子が戻ったようで、仕事も普通に行うことができた。同部屋の人など傍輩ほうばいが何かと心配してくれたが、まさか、あの包みのことを打明けるわけにもいかず、言葉を濁すのに苦労した。

 そうして、終業時間が過ぎ、居ても立っても居られない気持ちで、再び地蔵堂に向かった。

 ありがたいことに、今日も人がいない。

 そっと中に這入り、壇の下を覗いてみた。


 無い――あの包みがどこにも見当たらない。


 どうしたのだろう? お堂の中はもとより、納屋の中、境内などをあらためたが、何も見つからない。山の中だろうか?

 ただ、さすがに、あの山に再び足を踏み入れ、探しに行く気持ちにはなれなかった。もう二度と、あそこには行きたくない。


 それにしても、誰があれを持ち去ったのだろうか?

 非常に不安な気持ちに襲われたが、逆に思い返してみれば、あの包みと自分とを結びつける証拠らしいものはどこにもないはずである。

 そのように考えると、これまで悩まされ続けたあの包みが、すっかり自分の手もとから離れてしまったという事実は、それはそれで、むしろ、ほっとすることのようにも思われた。


 寄宿舎に戻り、行李こうりから手拭や石鹼シャボンなどを取出すと、とりあえず、そのまま湯屋に向かった。

 思えば、もう二日も入浴していない。

 昨日などは、山の中で土いじりをした後を十分に洗い清めることもできず、汚い体のまま心ならずも布団をかぶり、呻吟したのだった。


 洗い場に這入ると、四、五名の人影が認められたが、幸い仕事場の同僚など見知った顔は見えなかった。

 二日ぶりに、髪も体も念入りに洗い流した。身体がさっぱりすると、何だか気分も軽くなったように感じられた。

 年寄に連れられた小さな子供が、湯船のふちに腰掛けて唱歌を歌っていた。それを、ほほえましくも複雑な気持ちで聞きながら、ゆっくりと首まで漬かって目を閉じた。


 湯の帰り。ふと思いついて、近くの菓子屋で蒸かしたての饅頭を二つ買った。その一つは、あれこれと心配をしてくれ、寝床の世話までしてくれた同居人に渡そうと考えた。そんな人間らしい気持ちになったのは、吾ながら珍しいことであった。


 部屋に戻ると、まだその人の姿は無かった。

 ただ、何だか中の様子がおかしい。

 何やら、非常に厭な臭いがする。さっきはそんなことなどまったく感じなかったのに――


 その怖ろしげな臭いは、押入おしいれの方から漂ってくるようだった。

 恐る恐るふすまを開けると、先ほど石鹼シャボンなどを取出した自分の行李があり、臭いの元はどうもその奥にあるらしい。

 行李を押入の外に引出してその向こうを覗いてみると、昨日、地蔵堂の壇の下に隠したはずの油紙の包みが目に入り、ぎくりとなった。


 ――どうしてこんなところに? 一体誰が?


 そうして、気が付けば、そのさらに奥の暗がりにも何かがある。

 何やらずいぶんと大きなものだ。

 ごろりと転がっている――どうやら、これも油紙でくるんであるらしい……



                         <了>




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