その十 營

 疲れたかほをとこが二人、川原に辿着たどりついた。


此處こゝが良からう」


 一人が云ふと、もう一人は鷹揚おうやううなづいた。

 ぎこちない手で天幕テントひろげる。


「おい、ペツグが足りんぢやないか。君、知らないか?」

「いやいや、それはこつちをかう引張ひつぱればいのだよ」


 苦心慘憺くしんさんたんの末、うにかうにか設營せつえいませると、今度は仔細しさいらしく大きな鐵鍋てつなべなんぞを取出して晩餐ばんさん支度したくに掛かる。

 本當ほんたうは疲れ切つてしまつて、もう飯なぞうでもいのだが、六年振りの野營キヤムプともなればさう云ふわけにも行くまい。

 此處こゝに至つて、二人はにはか妻帶さいたい以前の、いや父母未生ぶもみしやう以前の眞面目しんめんぼくに立返り、野蠻主義バアバリスムたつとび始める。でも粗野プリミチブ遣方やりかたでなくつては不可いかんと云ふわけである。

 隨分ずいぶん勿體もつたい振つてはゐるが、何の事はない。要するに例へば、「すべから食餌しよくじは肉食をもつ極北きよくほくたるべし」などと云ふやうな事と解釋かいしやくしておけば閒違まちがひない。

 かくとりもゝやら羊のあばらやらを鍋に放り込み、焚火たきびに掛ける。何、手閒てまを掛けずとも首尾は萬事ばんじ鍋に任せれば良い。

 待つ事しばし、そろ〳〵頃合ころあひと、上にせておいたおき取除とりのふたを開ける。


「いや、野蠻やばん仕上しあがつたね」

「うん、じつに野蠻だ」


 鍋を覗込のぞきこんでは、二人共えつに入つてほくそ笑む。何がしかすべきなのかは、文明人たる吾人ごじんには知るよしもないが、いづれにせよ、肉はすで炙了やきあががり、さうしていさゝげてゐる。

 その焦げた肉を手づからつかみ、喰ひ千切り、脂塗あぶらまぶれの指にて骨を火中に投ずる。


荼毘だびだ、荼毘だ」

「荼毘だ、荼毘だ」


 骨にわづばかりこびりいた肉が燒ける。又、ずいける。さうして、煙は此岸しがんから彼岸ひがんの闇へとわたつて行く。

 さい河原かはらには、誰が積んだとも知れぬ石塔ケルンが、朧氣おぼろげに二つ三つ。


「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母の爲……」


 やがては鬼にくづされようものを、御苦勞ごくらうな事ではある。

 て、やうやく腹もくちくなると、あと最早もはやする事とて無い。唯寐たゞねまで徒然つれ〴〵を思ひ〳〵に過ごすばかり。

 一人は龍笛フルウト取出とりだすと、川の方へとあるいて行つた。をとこの姿が闇に渾然こんぜんとなる。やがて笛のが聞こえ始める。

 もう一人は、焚火の脇にすわつたまゝ、笛をくでもなしに、じつと川面を眺めてゐる。

 まあ、眺めた所でやみの底に流るゝ水が目に映るはずもないが、其無中そのむちゆうゆうを、或いは、有中ゆうちゆうを、只管ひたすら見詰みつめてゐるのださうな。果扨はてさて、此漢このをとこそろ〳〵唯識論ゆいしきろんでもかしらん。


沒交涉ぼつかうせうだ」


 川面を見てゐたをとこが、ぽつりとつぶやく。

 すると、彼岸ひがんの森でぎやつとくものがある。をとこが、はつとかほを上げる。


 ――其刹那そのせつな、笛の忽然こつぜんと止み、闇の向かうで、何かゞどぼんと水に落ちた。





                         <了>

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