その七 矢 《中篇》 鴉

「ひでぇ、なにこれ」


 目の前を歩いていた三人グループの一人が大きな声を上げた。

 また今日も、歩道橋の階段にゴミが散乱している。

 すると三人は、どこからかビニル袋を取りだして、奇特にもゴミを拾い始めた。

 その横を、何となく申し訳ないような気持ちで通り過ぎる。


「うわっ、この缶、まだ、中身残ってるよ」


 そんな会話を、背中に聞きながら。

 そして、歩道橋下の駐輪場、自転車の籠には、今日もゴミ。ペットボトル。これも中身が半分ほど残っていて、しかも、蓋までない。


「どうしました?」

 振り返ると、さっきの三人。大学生ぐらい?

「あ、ええと、これ…… 知らない間に、私の自転車の籠に入ってて……」

「自転車にゴミ捨てられたんすか? ひっでぇのいますよね。――いいっすよ。僕ら、それ、持ってきますよ。ついでっすから」

「でも、中身が……」

「ああ…… でも、大丈夫っすよ。これ、ただの炭酸水みたいだから。ほら、中だけ、そこのみぞに捨てますよ」

 手を差し伸べてくれた一人にペットボトルを渡すと、彼はすぐに側溝の上で傾けた。

「すみません…… ありがとうございます……」

「いえいえ―― あ、そうだ! ついでに、さっき拾った缶。中身ビールだろ。いいよな。これも流しちゃうか……」

「おいおい、お前、それは、環境にやべーだろ」

「しょーがねーだろ、大丈夫、大丈夫、このくらい……」

「あ、すいません。見なかったことにして下さい。お願いします」

 少しはしゃいだ様子の三人に、笑顔を返しながら深々と頭を下げ、自転車に乗ってその場を後にした。


 あんな人たちもいるんだ。ああいう人たちには何か良いことが起こればいい。本当に、良いことありますように――自転車をこぎながら、そんなことを考えた。

 そして、「ヤカラ」に向けては――


 ほんとにもう―― 麻賀禮まがれ 禍有まがれ マガレ!


 天から、正義の矢が、「ヤカラ」目がけて飛んでいくイメージ。


 この出来事があってから、歩道橋や道端のゴミの散乱などを見るたびに、「ヤカラ」の顔――きっと見た目も憎々しいに決まっている――を想像しながら、「麻賀禮まがれ 禍有まがれ マガレ!」と心の中で唱えるようになった。


 ある朝――その日は、生ゴミの収集日。

 駅に自転車で向かうとき、近道にしている住宅街。途中に一ヶ所、道路わきに、ゴミの集積所があり、ネットを掛けた箱型の金網が置いてある。ただ、この入れ物が小さすぎるのか、よく、ふたが締まらずに、ゴミ袋があふれているのを見かける。

 そして、今日もまた、ゴミ袋があふれだし、そこに、カラスが二十羽位集まって、とんでもないことになっていた。


 大騒ぎしているカラスたちが怖くて、どうしても近寄れない。しばらく、自転車を止めて、立ちすくんだ。


 ――いつもいつも迷惑なカラスだなぁ。でも、カラスたちには罪はないよね。それが野生の、当たり前の姿なんだから。悪いのは、いい加減なゴミ出しをする人間の方。意識低過ぎる「ヤカラ」が、ほんと多くて困る――でも、そもそも、ゴミ集積の容器やネットも小さすぎるよね。

 いつだったかテレビで見たけど、どこかの地方では、カラスの習性を利用して、夜にゴミ収集をしているらしい。それで、カラスの被害はほとんどないんだとか――この町でも、そういう方法を試してみればいいのでは?……


 そんなことをとりとめもなく考えたり、迂回路を思案したり。

 そのとき、一台の軽自動車が後ろからやって来て、けっこうなスピードでゴミ集積所の脇を通り過ぎた。

 カラスが一斉に飛び上がり、一掃される。


 チャンスだ。今のうちに急いで通り抜けよう。


 ペダルを思いきりこいで、自転車を前に進めた。

 しかし、集積容器の横を過ぎる頃、早々に数羽のカラスが戻ってきて、頭上の電線にとまった。


 あ、いやな予感――


 カラスの真下だけは避けようとしたが間に合わない。

 とっさに頭はかわしたものの――


 ボタリ……


 左の肩に厭な衝撃。 ブレーキ!


 ――ああ、やっぱり。


 買ったばかりで、まだ二回しか着ていないジャケットの肩が汚れている。


 もうっ、なんてこと! 麻賀禮まがれ 禍有まがれ マガレ!


 振り返って、カラスをキッと指さすと、心の中で強く念じた――指先から、カラスに向かって、真っすぐに矢が飛んでいくイメージ。


 ヒューッ ドスッ!   あっ‼


 指さした方向にいた一羽が、突然、電線の上でバランスを崩した。


 え? 墜ちた!


 ――と思ったら、空中で何とか持ちこたえて態勢を立て直し、向うの住宅の屋根を越えて飛び去っていく。そばにいた他のカラスも、みんな慌てたように、去っていく。


 ええっ? 今の、本当? わたし? まさか…… ね?




                         <続く>

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