仙崎~みすゞさんのいた町~

詩川貴彦

第1話 ~仙崎~みすゞさんのいた町

「長門市仙崎~みすゞさんのいた町」



 仙崎はいいところ 

 気持ちのいいところ

 居心地のいいところ 

 景色のいいところ

 

 海の憧憬が

 やさしく旅人を迎えてくれる

 明るく生き生きとした町

 清々しい朝のような町

 みすゞさんのいた町


 「みすゞさんのいた町」山口県長門市仙崎は、僕がイメージする金子みすゞさんとよく似ている。明るく知的で清々しくて、生き生きとした雰囲気によく似合っている。

 5月の初旬、太陽が輝きを増し、ようやく初夏の匂いが漂い始めた仙崎にやって来た。海辺特有の初夏の潮風と、生き生きとした陽光と活気のある人々の喧噪と、そういう初夏の情景に呼応するような町だと思った。


 仙崎は、山陰特有の鉛色の暗い空と容赦ない季節風と過疎と高齢化と貧困をまとった狭苦しくて小さな町だと聞いていた。一介の旅人には理解不能な地方の小都市特有の苦悩や悲しみをまとっているのだろう。それは実際にここに住んで生活して、生きてみなければ絶対に分からない住み人だけの知る苦悩であるのだ。

 維新の故郷「山口県」は、暗くうらぶれた山陰側と太平洋ベルトと称する大工業地帯が貫通する山陽(瀬戸内)側との差を顕著に感じることができる固有の地理的条件を有している。もちろん「みすゞさんのいた町・仙崎」は、山陰側の小都市である。平成の大合併では、生き残るための合併併合が県によって推進された。島根県から下関関門海峡に続く200㎞もの長大な海岸線はたった萩市と阿武町、この長門市と下関のたった4つの自治体に再編成された。合併せざるを得なかった名前さえ消え失せてしまった自治体には、退廃的で投げやりな雰囲気が漂っているようにも感じた。かつての勢いや誇りは全く感じられない。それはどの地方の自治体を訪れても痛切に感じることができると思った。消えゆく者の痛切な叫び声だった。


 しかし、ここ仙崎はそういう感じがまったくしなかった。僕は、仙崎の山陰特有の絶望的な情景を、暗いイメージをどうしても金子みすゞさんの生き方に結びつけることができなかった。

金子みすゞは、本名金子テル。こちらも「みすゞ」と「テル」では全くイメージが異なるし、「テル」の方が、どちらかというと影の部分、実際に、本当に生きた生活のイメージが浮かんでくる。

 

 幻の童謡詩人「金子みすゞ」。大正末期に彗星のことく登場し、26歳の若さでこの世を去るまで、512編の優れた作品を残したのは周知のことである。明るくリズミカルで知的なリズムは、年齢や性別を問わず誰からも愛され、また命の尊さや輝きをこれほどまでに言葉に込め、読み手にはっとするような新鮮さで気づかせてくれる詩歌は他に存在しないとさえ思う。

 五七調のリズミカルで明るいイメージの詩であるが、読み深めていくと、あるいは自分自身の過去の暗く哀しい心情と重ね合わせてみると、そこに込められた深刻で寂しく哀しい心情風景が浮かんでくる。

 誰でもそうなる。明るい心情風景を重ねれば、明るく生き生きとして元気になる。暗い心情風景を重ねれば寂しく哀しい気持ちになる。みすゞさんの詩は、読み手の心情で変化し化けていく。すごい。これが「金子みすゞ」のすごさだと思う。

実際の金子テルの人生はどうだったのか。自然に疑問が浮かんでくる。

 3歳で父を亡くし4歳で弟「祐介」が養子に出る。16歳で母「みち」が再婚し下関へ。20歳頃から下関の母の元に移り住むが、もはや自分一人の母ではない。このころから同書店(上山文英堂)の支店で働き始める。同時に詩作を始め、投稿を開始。「童話」「婦人倶楽部」「婦人画報」等に発表の機会を得て西条八十と知り合う。

 23歳で、同書店番頭と結婚し同年長女「ふさえ」(ふうちゃん)誕生を迎える。

 26歳2月27日離婚、3月9日下関の三好写真館でふうちゃんを抱いて最後の撮影。3月10日上山文英堂店内で自死。享年満26歳。

 いつも早起きで規則正しいテルが、いつまでも起きてこないことを心配した実母が2階に様子を見に行って発見。当時の封建的な男尊女卑の風習に抗議しての自殺であった。具体的には前夫が無理矢理、娘「ふうちゃん」を奪い取りに来ることを阻止することが目的であったと思われる。母として最後まで毅然とした態度で娘を守るとして、そしてその確実な方法を冷静に考え実行したとてもみすゞらしい最後だったと思う。事実、ふうちゃんは夫に奪われることもなく、同家族とともに過ごし成人している。また、テルの体は夫から感染した性病に蝕まれていたことも語らねばならない無惨な事実である。


 何かが心に共鳴している。そういうことを微塵も感じさせない強さか、清らかさか、優しさか。命と向き合い命を育み、そして命を絶つことで愛する命を守ろうとした誇り高さ、孤高さ、あどけなさ、無垢な心、それから世間というものへの絶望なのか。

 詩作に逃避したというとらえ方もある。しかし僕はそうは思わない。賢明に生き、命に真剣に向き合い、語り考え交流し、そこから初めて分かることがある。そうでなければ絶対にわからない価値観がある。

 金子みすゞは、僕たちに、そんな命の輝きを価値を教え人とし最も大切なことに気づかせてくれるように思えてならないのだ。

 命の輝き、小さくても短くてもはかなくても、一生懸命に生きて輝けばいい。そうすることで、初めて自分以外の命の価値を見いだし大切にできるのではないだろうか。


 まず自分が輝きなさい。すぐにあきらめたりくよくよしたりせず、輝くための努力をしなさい。そうすればどんな命だって輝くことができる。輝かないのは自分があきらめているから。自分が輝こうとしないから。誰でもどんなときでも輝くことができる。きっとできる。だからまず、自分が輝きなさい。

 きっと他の命の輝きが見えてくる。他の命の輝きを価値を感じることができる。そうなれば、そうなれば他の命も大切にできる。自分の命も他の命もみんな大切にできる。みすゞさんは、僕たちにそう諭してくれているように思えてならない。みすゞさんの思いが熱いほど伝わってくる。だから僕にとって仙崎は素敵な町。みすゞさんが今もいる町なのだ。


 「あなたがふうちゃんを連れて行きたければ、連れていってもいいでしょう。

  ただ私はふうちゃんを心の豊かな子に育てたいのです。

  だから母が私を育ててくれたように、ふうちゃんを母に育ててほしいのです。

  どうしてもというのなら、それはしかたないけれど、あなたがふうちゃんに与え

  られるのはお金であって、心の糧ではありません。」


  「今夜の月のように私の心も静かです。」


                             昭和五年三月十日

 


  金子みすゞ二十六歳。哀しくも美しい最後の童謡です。


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仙崎~みすゞさんのいた町~ 詩川貴彦 @zougekaigan

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