三人妻(その9)
安兵衛は、三番目の妻のお香のために、やはり聖天稲荷近くに家を借りた。
これは、破格の広壮な家で、今までお貞とお静の二人妻を同じように扱う安兵衛のやり方からは外れていた。
妻の家を毎夜変えて通うという、二人妻の時代と同じやり方を三人妻でもするのか、それともお香の家だけに通うのか、世間は噂話に興じた。
が、それを確かめるすべはなかった。
・・・お香との婚礼の夜に、とんでもない惨事が起こった。
安兵衛は、巣鴨から源五郎と妾のお好を呼び、取引業者、雇い人、それと先輩妻のお貞とお静の二人も併せて十人にも満たない披露宴を新居で行った。
雪洞が照らす新郎新婦の横で、仲人役の源五郎が高砂をうなっている座敷へ、突如大きな麒麟が駆け込んで来て、なんと安兵衛の首にかぶりついたのだ。
・・・婚礼の席は、悲鳴と怒号が入りまじる阿鼻地獄と化した。
源五郎が、麒麟に抱きついて引き離したが、その口には安兵衛の喉の血と肉がべっとりとついて恐ろしいことこの上ない。
麒麟は源五郎を振り切ると、そのまま縁側から坪庭へと逃げ去った。
知らせを聞いた浮多郎が聖天稲荷近くの惨劇の家に着くと、すでに番所から役人が来て調べをはじめていた。
朝には岡埜同心も来るだろう。
さすがのお香も放心状態で、二人妻とともに奥座敷で沈み込んでいた。
それでも、浮多郎の顔を見ると、婚礼の席の惨劇を事細かに話してくれた。
「安兵衛さんに喰いついたのは、やはり麒麟で?」
「麒麟を見たのは初めてで。そう思いました。ただ・・・」
「ただ、何ですか?」
「麒麟ってもっと大きな獣と思ってたね。龍ぐらいの・・・」
「麒麟も龍も、実際に見た人はひとりもいません。どのぐらいの大きさで?」
「仔牛か、大きな犬・・・といった感じかねえ」
「どこから?」
「玄関からだと思う」
「いきなり?」
「ええ、いきなり安兵衛さんに飛びかかって」
「だれも止めなかった?」
「源五郎さんが立ち上がり、追い払おうとしたけど・・・」
隠居老人にしては、ずいぶんと気丈な振る舞いだった。
「源五郎老人は披露宴のために、巣鴨からわざわざ?」
「いえ、倅の源八さんの呉服屋が団子坂下にあるので、いったんそこで休んでから駕籠でお見えで」
お貞が横から口をはさんだ。
町駕籠を呼んだ源五郎とお好は、すでに巣鴨へ帰ったという。
「どんなだった?」
政五郎は寝ないで浮多郎の帰りを待っていた。
麒麟が安兵衛を食い殺した話をすると、
「麒麟ねえ。世が泰平の時だけ現れて、千年生きる聖なる獣だそうじゃねえか。でかい角が頭に一本あって、顔は龍のよう。黄金の毛でもって、鱗に覆われたからだも大きいが、その割に穏やかな性質らしい」
政五郎は、見て来たようなことを口にした。
「大きいって、どれぐらいで?」
「さあ、牛ぐらいか。いや、馬か。う~ん、分からねえや」
「安兵衛を喰い殺した麒麟は、仔牛か大きな犬ぐらいだったそうです」
政五郎の麒麟の講釈を聞き流しながら、浮多郎は明日の朝一で両国の見せ物小屋の麒麟、いや犬のシロがあの女の子といっしょにいたか、まず確かめようと思った。
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