三人妻(その8)
根岸にお香をたずねると、お香は若い下女を使ってしきりに荷造りをしていた。
甚六が殺されたのは、とっくに知っていた。
「安兵衛の旦那の第三だか第四だかの奥様に納まろうと思ってさ。望まれて嫁ぐのが女の幸せだろう」
お香は、可愛い顔からぺろりと舌を出した。
変わり身の早い女だ。
「甚六はどうして殺されたと思う?」
「スキあらば殺してやろうと狙う男も女も、それこそ星の数ほどいたね」
「お香さんも?」
「あたい?」
お香はニヤリと笑ったが、
「安兵衛の旦那なんかどうなのかねえ。甚六は恋敵だったから」
などとはぐらかし、イロだった甚六の死を悲しむでもなかった。
「あっしは、お香さんが殺したと見たね。甚六が死んで、お香さんもめでたく安兵衛さんの三番目の妻に納まることができた」
浮多郎がやり返すと、お香はけたたましく笑った。
安兵衛は、浅草寺裏の古着屋の帳場にいた。
浮多郎の顔を見ると、安兵衛は店を番頭に任せ、在庫の古着を積み上げた二階の奥座敷に案内した。
「お香さんが、三番目の妻になるそうで」
浮多郎が切り出すと、
「ええ。やっとです」
安兵衛は、相好をくずした。
「二人妻を離縁する条件は取り下げ、代わりに商売をゆずってくれと言ってます」
「商売を?」
「儂が死んだら、商売を引き継ぎたいそうで。女だてらに商売をやる気らしい」
お香の意図が分からない。
安兵衛の身上をそっくりいただこう、という算段か?
「甚六を殺したのは安兵衛さんだ、とお香さんが言ってましたが」
そう言って様子をうかがうと、
「大いにそうかもしれません。甚六が死んでいちばん喜んでいるのは、おそらくこのじぶんでしょうから」
安兵衛は、人殺し呼ばわりされても、意に介する素振りもない。
次は、本所の材木商カド屋だ。
当主の朔太郎の後を継いだ堅物の長男が、二代目朔太郎を名乗っていた。
「ご当主が嫌っていた蝮の甚六が、殺されました」
奥座敷に通された浮多郎が、座るなりそう言った。
「天罰でしょうね」
当主は、事もなげに言った。
「どんな死に様だったかご存知で?」
浮多郎は、当主の顔色をうかがった。
「いえ」
当主は首を振った。
「喉というか、首の前部分を喰い千切られて、両国広小路に転がっていました」
「おお」
眉をひそめた当主だが、それ以上の反応はない。
「並外れた大男か、鬼夜叉にでも喉を嚙み切られたとしか思えません」
「あんな悪党です。ろくな死に方はしない、と思ってました」
「甚六のことを調べた、とおっしゃっていましたね」
「ええ。ひどいものです。ゆすりたかりが生業で、ヒモになった女に貢がせた金を賭場で・・・」
「あの夜は回向院裏の賭場でひとり勝ちしたのですが、懐の巾着は手付かずでした」
「ということは・・・」
「ええ。よくあるように、胴元が勝った金を取りもどすためでも、追剥ぎでもありません」
「恨みから?」
「ええ。怨恨からでしょう」
浮多郎は、ここでも当主の表情を読もうとした。
当主は、首をひねって、しきりに考え込んでいた。
「ご当主は、回向院の見せ物小屋などには出かけませんか?」
朔太郎は、甚六の話が急に見せ物小屋の話になったので、少し戸惑ったようだが、
「両国には、親爺がよく連れていってくれました。さすがにこの歳になると」
幼い昔のことを、しきりに思い出しているようだった。
「回向院の並びに、麒麟を見せ物にする小屋があります」
「麒麟、ですか?」
「大きな白い犬に麒麟の模様を塗り付けて、雲の書き割りのある高いところをただ歩かせるだけの見せ物です。麒麟が雲海を泳いでいるように見えるはずです」
「なるほど。・・・でも、どうしてそんなお話を?」
「この麒麟の犬が甚六の喉を喰い千切った、などと妄想をしただけで」
「で、どうでした?」
「その犬とは一晩中いっしょだった、と一座の女の子が言い張りました」
「見せ物小屋の子供が言うことなど・・・」
「いや、子供が言うことのほうが、信用できます」
浮多郎はぴしゃりと言った。
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