三人妻(その7)

回向院裏の賭場で勝ちまくった甚六は、鼻歌など口遊みながら両国橋を渡ろうとしたところ、

「甚さんじゃないかい」

と声をかけられた。

振り向いた甚六の喉に飛びつく者があった。

喉はたちまち喰い千切られ、悲鳴をあげる暇もなかった。

広小路に転がる男の死体を夜回りが見つけ、番屋に届け出た。

翌朝。

南町奉行所の岡埜同心が、眠い目をこすりながら検分にやって来た。

「酷いな、これは」

回向院の境内の隅に寝かされた仏の菰を剥いだ岡埜は、思わず目をそむけた。

顎の直下の喉仏などの首の前部分が丸ごと喰い千切られていた。

回向院の坊主や小僧などを呼び、この若い男の身元をたずねたが、皆一様に首を振った。

男の額や頬に小さな刀傷があるのを見つけた岡埜は、こいつはヤクザ者ではないかと疑った。

夜回りが死体を見つけたのは、ちょうど賭場が閉じる頃合いだった。

回向院すぐ裏の賭場に小者を送り、人相風体を伝えると、やってきた胴元が、これは花川戸あたりに巣食う蝮の甚六ではないかと言った。

昨夜はひとり勝ちして上機嫌で帰ったそうだが、懐の膨れ上がった巾着は手付かずだった。

甚六という男の名を聞いた岡埜は、思い当たる節があった。

たしか数日前、町廻りのあと、三ノ輪の蕎麦屋で会った浮多郎が、安兵衛と甚六との間で女をめぐって悶着があり、拉致騒ぎになった、と言っていたのを思い出した。

すぐに小者を泪橋へ送り、浮多郎を呼び寄せた。

その間、岡埜は本所の銭湯で朝風呂に入ったとかで、さっぱりした顔で現れた。

甚六の死体を改めた浮多郎は、

「喉元が見事に喰い千切られています。どうしてこんなことに?」

「鬼夜叉の恨みでも買って、喰いつかれたか」

「ふつうの人の口では無理です。八、九尺もある大男とか・・・」

もっとも、浮多郎は八尺以上もある大男など見たことも、聞いたこともない。

「賭場でひとり勝ちした甚六が、両国橋を渡ると分かっていたので、待ち伏せしたか。それにしても、金には手をつけてないとは何事じゃ」

岡埜が首をひねった。

八丁堀から検死の役人がやって来たのを汐に、岡埜は市中見回りに出かけた。

ひとり残された浮多郎は、界隈の見せ物小屋を見て回った。

お定まりの蛇女や水芸人などの派手な書き割りに交じって、「麒麟遊行」というのがあった。

小屋の垂れ幕を跳ね上げて中に入ると、数人の男女が車座になって朝飯を食べていた。

じろりと、浮多郎を見るには見たが、黙って箸を口に運んでいる。

「麒麟というのを見たいが・・・」

浮多郎が素十手を見せると、座長らしき白髪の老人が立ち上がり、小屋の裏手へ案内した。

そこで、麒麟が残飯の餌を食べていた。

たしかに麒麟の柄ではあるが、その正体は大きな白い犬だった。

麒麟の黄色い柄は、泥絵の具で縞模様に塗られていた。

「この麒麟の口の大きさを見たいのだが」

浮多郎が言うと、

「うちのシロは、人は喰わねえ!」

女の子が、浮多郎に喰ってかかった。

昨夜、男が喉を喰い千切られて死んだのは、この一座にもすぐに伝わったようだ。

一座の看板犬が疑われるのを恐れて、裏に隠したのか。

「ともかく、犬の口を最大開けてみてくれ」

老人は、黙ってシロを抱き寄せ、口を上下に大きく開いた。

浮多郎は、十手をその口に当てて大きさを測った。

これなら、甚六の首を丸ごと喰い千切れそうだった。

「この犬は、昨晩ずっとここにいたのかね?」

浮多郎がたずねると、

「シロは、ずっとあたいの寝床でいっしょだった!」

女の子は、仇のように浮多郎を睨みつけた。

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