三人妻(その10)

浮多郎は、乳色の朝霧が垂れこめる両国橋を渡り、回向院の並びの見せ物小屋へやって来た。

麒麟の書き割りの垂れ幕は下りていたが、構わず中へ入った。

五人ほどの座員は、茣蓙の上で輪になって寝ていた。

麒麟の模様を塗りたくったシロが起き上がり、浮多郎に向かって吠えたてた。

座員たちが何事かと起きるのに、

「早くから申し訳ねえ」

と浮多郎は頭を下げた。

「シロは、昨日の夜からずっとここにいたよね?」

小さな仁王像のように、すっくと立つ少女は、

「シロは、オラとずっといっしょだった!」

と、きっぱりと答えた。

「そうだろうと思ったよ」

ニコと笑った浮多郎は踵を返し、両国橋を渡り、八丁堀へ向かった。

奉行所の前でしばらく待つと、やがて門が開いた。

定町廻りに向かう同心たちの最後尾に、岡埜の下駄のような顔が見えた。

「聖天稲荷裏で、麒麟が人を食い殺す事件が・・・」

声を掛けたが、岡埜は聞こえないのか、ずんずんと歩き出した。

仕方なく、そのまま跡をついていく。

神田まで来た岡埜は、馴染みの湯屋へ入った。

やむなく、浮多郎も蒸し風呂を付き合う破目になった。

「二人妻の安兵衛が、三人目の妻との婚礼の席で、麒麟に襲われて死にました」

あらましの話をすると、

「麒麟など、たわけたことを」

もうもうと立ち上がる蒸気の向こうで、岡埜が嘲笑った。

「両国広小路で死んだ蝮の甚六とまったく同じです。喉を喰い千切られて・・・」

岡埜は、浮多郎の話などまともに聞く気もないのか、湯殿を出ると、今度は二階の髪結い床へ上がった。

・・・定町廻りに出る気など、さらさらないようだ。


「岡埜さまは、何をどうしろとも言ってくれねえ」

浮多郎にしてはめずらしく、養父に弱音を吐いた。

しばらく腕組していた政五郎は、

「蝮の甚六と安兵衛を襲った麒麟は、同じと見てよいだろうよ」

と当たり前のことを口にしたが、

「甚六と安兵衛の両方に恨みを持つ奴って誰だい?」

と謎かけをした。

「甚六はろくでなしの極道者。安兵衛は堅物のお大尽。恨みはともかく、二人を結ぶのは、・・・お香!」

浮多郎は、ポンと手を叩いた。

甚六が安兵衛を拉致した夜、根岸の朔太郎の妾宅の庭で、開けっぱなしの座敷をうかがう黒い影があった。

浮多郎が踏み込むと、一瞬にしてその影は消えた。

甚六は、お香との仲をこれでもかと見せつけたが、安兵衛にだけではなく、その黒い影の男にも見せつけたかったのではないか?

これは甚六とお香が仕掛けた美人局で、お香に狂ったお大尽から、二人はたんまりせしめてきたはずだ。

ところが安兵衛が、お香を三人目の妻に迎えようとしたばかりに・・・。


聖天稲荷裏の安兵衛がお香のために借りた家へ行ってみたが、若い下女は主人は安兵衛の店へ出かけたきりだと言った。

その浅草寺裏の古着屋の店先でお香と隠居老人の源五郎が言い争っていた。

「この店はね、亡くなった安兵衛さんからいただいたんだよう。勝手に仕切ってもらっては困るじゃないか」

「婚礼もあげねえうちに、奴はおっちんじまった。それに三人妻なんてお上は認めちゃいねえ。この店に出資した金もある」

「証文でもあるのかい。見せておくれよ」

「そんなものいつでも見せてやらあ。それより、お前に店を譲るという、そっちの安兵衛の遺言書とやらを見せてもらおうか」

親子ほど年の離れた老人と若い女の言い争いが、いつ果てるとも続くのに業を煮やした浮多郎。

「その話は奉行所でお裁きを受けるとして、お二人にお伺いしたいことがある」

と割って入った。

「安兵衛さんにお香さんを紹介したのは、源五郎さんで間違いないですね」

浮多郎がそこにいるのに初めて気が付いた源五郎は、

「ああ」

と答えた。

「他にも、誰か紹介しやしませんでした?」

口ごもっている源五郎を尻目に、

「ああ、星の数ほどいたね」

とお香は勝ち誇ったように言った。

「その中で、付きまとったりして困った男なんかいますかね?」

と、たずねる浮多郎をさえぎるようにして、

「とにかく、この店はこの源五郎のものだ」

と言い切ると、源五郎は踵を返してすたすたと歩み去った。

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