三人妻ありて(その4)
浮多郎が泪橋たもとの小間物屋にもどってくると、
「おお、ちょうどよいところへ」
奥座敷の壁にもたれたまま客に応対していた養父の政五郎が、声をかけた。
「こちらのお二人は、浅草寺裏の呉服屋のご内儀だ。旦那の安兵衛さんのことでお見えになった」
浮多郎が横に座ると、旦那が悪い女に狂ったあげくに、じぶんたちを離縁すると言い出したのに困って相談に来られた、と政五郎があらましを話した。
「いえ。離縁なら離縁でかまいません。あのお香という女は性悪です。三人目の妻などにはならぬ。妻になるなら、二人の女房は離縁しろ、それも手切れ金など一文もやってはならぬ、と言い張っておるとか」
年上のお貞が、涙ながらに掻き口説いた。
「手切れ金など一文もいりません。ただ、あれほど優しかった旦那さまが、すっかりお変わりになって、『さあ、出て行け』と、足蹴にまでするのが悲しくて・・・」
若い方の女房のお静も、涙にくれた。
愁嘆場が終わりそうにないので、政五郎と浮多郎は顔を見合わせた。
「その昔、安兵衛さんのお店に入った泥棒を捕まえたのを、お二人が覚えていて、他に頼るところもないということで、相談に来られたのさ」
政五郎が溜息をつきながら言うのに、
「・・・お見苦しいところをお見せして申し訳ございません」
と、お貞は頭を下げ、頬の涙を袖で拭った。
「泪橋の親分さんのところに上がったのは、このお香という女の素性を洗ってほしいからです。初見の男に身を任すなど、素人の娘のすることではありません。これには何か企みがあるに違いありません。些少ですが、二人で爪に火を灯すようにして蓄えたものがございます。これでお調べを願います」
と言って、懐紙に包んだ銭を畳に置いた。
まったく気の進まない浮多郎だったが、二人の女房に安請け合いをした政五郎の手前、やむなくお香の身元を洗うことになった。
まず、お香を紹介したという隠居の源五郎を、巣鴨にたずねることにした。
見るからに目明し風情の浮多郎を見て、源五郎はぎょっとした。
「ああ、たしかに安兵衛に女を紹介したね」
お尋ねが、根岸のお香のことと知って安心したのか、はたまた浮多郎を若造と侮ったのか、源五郎は馴れ馴れしく言った。
「安兵衛さんから金を受け取らなかったそうですが、どうしてでしょう」
「日ごろの付き合いだから、・・・困ったらお互いさまさね」
「根岸のお香という女は、どんな知り合いで?」
源五郎はちょっと詰まったが、
「うちのお好のちょいとした知り合いでさね」
と答えたが、
「お好さんにお尋ねしてもよいですか?」
と浮多郎が言い出したので、少しあわてた。
源五郎が声をかけると、襖の向こうで聞き耳を立てていたのか、お好はすぐさま顔を見せた。
やや薹は立ってはいるが、若い別嬪だ。
色白の役者顔の浮多郎に見惚れるお好の頬は、みるみる赤くなった。
・・・そんなお好を見やる源五郎の目つきの険しいこと。
「以前、茶屋で働いていた時の知り合いです」
「お好はその店の看板娘でさ」
しかし、相好を崩す源五郎には目もくれず、
「お香さん、根岸のさるお大尽のお妾さんになっていたのですが、その方に先立たれて困っていました。それで、ご縁のある方を紹介できれば、と旦那さまにお願いして・・・」
お好は、浮多郎から視線を外さずに言った。
「安兵衛さん、そのお香さんにぞっこん惚れ込んで、せっかくの二人妻を離縁する騒ぎになっています。ご存知で?」
ポカンと口を開けた源五郎は、あわてて首を振った。
「なんでも、妻に納まってもよいが、先に二人妻を手切れ金なしで離縁せよ、と迫っているらしいですぜ」
「お香が?」
「ええ」
「そいつはえらいこっちゃ」
源五郎は、口で言うほど、安兵衛と二人妻に同情しているようには見えなかった。
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