煙草吸ったの誰だ

川内永人

喫煙者はどこから?

 まただ。ベランダに煙草の灰。これで3度目だ。最初は気のせいかと思ったが、どうやら違う。誰かが留守の間にここで煙草を吸っている。

 俺はまず寝床にしているスペースに入った。見たところ荒らされている様子はない。物取りではないようだ。

 もっとも、物取りの線はあまり考えていなかった。盗みに入っておいてあんなにわかりやすい痕跡を残すとは思えないし、そもそも一服なんてしてる余裕はない。こんな傾いたボロアパートに危険を犯してまで入るとも思えない。

 しかし、ここに出入りする人間を思い浮かべても、煙草を吸う人物に心当たりはない。

 ルームシェアをしている渡邊は現在フリーターで素行が良いとは言えないが煙草は吸わない。部屋からも当人からも煙草の匂いはしないし、吸っているところも見たことがない。

 そもそもあいつは煙草嫌いだ。友人がここで煙草を吸って良いか聞いた時はすごく嫌そうな顔で断っていた。

 あとは渡邊の恋人、千春ちゃんがたまに来る。丁度入れ違いで私は急いでいたので、ぱっと見ではあるが、煙草を吸うようには思えなかった。それにやはり、仮に彼女が喫煙者だとしても、渡邊はここで吸うことは許さないだろう。

 …しばらく考えたが、あとここに出入りする人間に心当たりがない。

 考えると不安になる。落ちているのが灰だけと言うのが気色悪い。これがもし吸い殻ならタチの悪い酔っ払いや不良少年が投げ込んだと考えて特に気にしていなかっただろう。

 だが、その喫煙者は灰だけを残している。つまりご丁寧に吸い殻を処分しているわけだ。ややお粗末だが、"バレないようにした"と言う線が捨てきれなくなってしまう。

 それはつまり、招かれざる来訪者がいる可能性があると言うこと。早急に手を打たねばならない。

 さて、自分の推理が正しければそいつは物取りではない。盗みに以外に他人の家に侵入する理由は何か?住人が麗若き女性なら変質者と断定できる。しかしここには男しかいない。度し難い変質者ならあり得るだろうが、極めてレアケースだろう。

 盗みでもなく、己の欲求を満たす以外の理由。

 …答えは出た。そいつは、ここで雨風を凌いでいるのだ。

 私も渡邊も、仕事に出かけるとしばらく家を空ける。一週間のうち最低でも2日は誰も家にいない。

 カレンダーを見る。ふむ。渡邊はあと1日帰ってこない。これは丁度いい。私の方は仕事が早く片付いて1日早く帰って来たところだ。つまり、今日その来訪者が訪れる可能性は十分にある。

 私は押入れを開けて屋根裏に上がった。屋根裏収納なんて立派なものではない。ただ単に老朽化で板が剥がれ安くなっているだけだ。狭いが慣れている。見張るのにぴったりな場所だ。私は仕事道具の中から小ぶりなナイフを取り出して屋根裏に小さな穴を開けた。

 よし、部屋全体を見渡せる。来訪者よ、いつでも来い。


 * * *


 「千春ちゃん今日泊まって行かない?」

 「え、いいの?」

 「もちろん!特におもてなし出来ないけど」

 「ありがとう。でも、渡邊くん疲れてない?私居て平気?」

 「全然大丈夫だよ!予定より早く終わったからね。むしろ元気な方だよ」

 「ふーん。じゃあ、お言葉に甘えて泊めて貰おうかな」

 「本当?やった。じゃあ、荷物置いたらなんか買いに行こうか」

 「うん。そうだね。あ、でもその前に」

 言って、彼女は神様におねだりするみたいに手を合わせて、

 「一服させて貰って良いかな…!」

 やれやれ、千春ちゃんは可愛いし愛想も良いけど、唯一の欠点が喫煙者であることだ。でも、玉砕覚悟で告白して、奇跡的に付き合えているわけだから贅沢は言えない。

 「もー、ちゃんとベランダで吸ってよ」

 「わかってるって!携帯灰皿も持ってるから!」

 彼女はまたぱっと顔を綻ばせる。東京に出て来て1年。何かと寂しい独り暮らしの家にこれ以上ない陽だまりが出来たような気がする。煙草ぐらい、大目に見ようかな。

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煙草吸ったの誰だ 川内永人 @KENSUKE775

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