外伝 ある丁稚の話

奉公先の商家に同行して訪れた街は、盗賊団が幅を利かせている通称"盗賊街"だった。

街を守る大門から路地に至るまで屈強な盗賊達がたむろしているこの街で、私達商人はまず街を牛耳る子墨という男に挨拶をするのが決まりであるが、この子墨が住む四合院造りの邸宅に私の目を釘付けにした人物がいた。

右半分が痣で赤黒く染まった顔に不敵な笑みを浮かべて応対する子墨の背後、背高椅子の上に膝を抱えて座っていたその人は十代半ば程の少女で、白くて細い足指を握ったり開いたりしながら憂えげな瞳で私達を見つめる様が妙に艶っぽく、我が主人が子墨におべっかを使っている間、私は少女に見入っていた。




「あの女が何者か気にならんか?」


街での商いを終えた後、用意された宿の中で我が主人が下卑た笑顔で問うてきた。


「何者か、とは」


「子墨の女にしちゃ不自然だろう。奥に縮こまってよ、何か怖がってるみたいに」


確かに、言われてみれば少女の憂えげな瞳には怯えの色を宿していた気がする。まるで私達を含め、あの場にいた全員に対し恐怖を抱いているような。

少女の顔を思い出して頷く私に、主人が私の耳元に顔を寄せた。


「あの女、"タルチネ"なんだよ」


「"タルチネ"?」


何ですそれはと眉根を寄せる私の隣で、主人がヘッヘッヘッと下品な笑い声を上げる。


「この辺りにあった村の奇習だよ。初潮を迎えた女の子の中から占いで1人決めて、村の男達でマワすんだ。生みの親を除けばヤッてない男なんか村におらんだろ」


「おぞましい風習ですね」


「どうかな、当事者からすれば当たり前だったかもしれんぞ。それに、股開く代わりに他の仕事はせんで良かったらしいからな。寝て食ってヤッて、楽なもんさ」


そんなもんだろうか。主人の言葉にヘェと相槌を打ち、それから「何故そんな女がここに?」と尋ねた。


「子墨が攫ってきたんだよ。村を焼き払ってまでな。ああいう男はただの女よりも特別な肩書のある女を好むからな、"タルチネ"と呼ばれた女の器がどんなもんか、自分のムスコで確かめたくなったんじゃないか?」


一層大きな笑い声を上げてから、主人は「もう寝るぞ」と言って寝床に潜り込んでしまった。

私も寝ようと寝床に横たわったが、目を閉じるとあの少女が誰かによって弄ばれる様が思い浮かんだ。その"誰か"は見知らぬ大勢の男達であったり子墨であったりしたが、いずれを前にしても少女の顔には怯えの色が窺える。

初潮を迎えてから今に至るまでを誰かの"女"として犯されながら過ごすことが、果たして本当に楽だろうか?私は煩悶した末に、主人が寝入ったのを見計らって宿を飛び出した。




深夜の盗賊街は見張り番の男達が往来を巡回していた。とはいえ数はそれ程多くもなく、私は奴等の目を掻い潜りつつその辺から梯子を拾い、子墨の邸宅へと急いだ。

邸宅の前に着くと私は東廂房(東側の寝室)の外壁に梯子を掛け屋根へと登った。そうして院子(中庭)を見下ろすと、夜更けにも関わらずあの少女が西廂房(西側の寝室)前の長椅子に腰掛けていた。ぼんやりと虚空を見つめる瞳は潤みをたたえ、だらしなくはだけた寝間着の襟から女の膨らみが見え隠れしている。

私は勢いのままに院子の中へと飛び降り、驚きで目を丸くする少女の前に進み出て「一緒に来てくれ」と声をかけた。


「君のことは全部聞いた。俺達とここを出よう。自由になろう」


少女は答えず、丸く開かれたままの目を泳がせている。

私は少女の手を取って立ち上がらせようとしたが、少女は長椅子から腰を上げず、恐ろしいものでも見るような目を私に向けた。


「早くしないと子墨が…」


「…いや、ていうか誰なんですか?」


少女からかけられた言葉に私は顔を強張らせた。

誰と言われたって、昼間にここを訪れた行商の一味だとしか返せない。ただ少女の怯えるような瞳と、過酷な運命に心を打たれ無力なくせに救い出そうとしている小童だ。

私は言葉に詰まりつつ少女を救いに来た旨を伝えた。すると少女が「はぁ?」と顔を歪めた。


「私、もしかして可哀想だとか思われてません?」


「いや、可哀想っていうか…」


「村を焼かれて盗賊の屋敷に囚われた可哀想な女とか思ったんじゃないんですか?」


「事実じゃないか…」


「違う!」


院子に少女の叫びが響き渡る。邸宅のどこかで寝ている子墨に聞かれたらたまったもんじゃないと少女を宥めようとしたが、少女は止まらず捲し立て始めた。


「子墨が助けてくれたの!寝るのもやっとみたいな狭くて小便臭い小屋に閉じ込められてさぁ!優しかったおじさんも大好きだったお兄さんも人が変わったみたいに喋らなくなって汚いモノ突っ込んできて!お父さんもお母さんも助けてくれなかった!子墨だけだったの!」


一通り捲し立てたところで、少女が喉の奥から笛の音のような音を出して荒い呼吸を始めた。大丈夫かと声をかけようとすると、私の頭に衝撃が走り、地面に倒されてしまった。天を向いた視界の先には表情の無い顔で私を見下ろす子墨と見張り番の男達。

子墨は見張り番に「ジジイを呼んで来い」とだけ言うと、泣きながら胸を押さえる少女の背を擦りながら西廂房へと消えていった。




間もなく我が主人が子墨の邸宅に連れてこられ、院子の真ん中に2人並んで跪かされた。西廂房に籠もっていた子墨は主人の到着を知るなり回転式の短銃を携えて我々の前に現れた。


「この馬鹿が!なんで忍び込む必要があった!」


顔中に汗をかいた主人が私に怒鳴りつける。私は事情を説明しても理解されないだろうと、ただ主人に「すみません」とだけ返した。目の前では子墨が短銃の回転装置を回している。


「タルチネ殿の発作はなかなか厄介でな」


回転装置を回しながら子墨が口を開いた。その表情と声音は妙に落ち着いており、感情が読み取れない。


「一度起こすとしばらくは治らん。ずーっと苦しそうに喉ヒューヒュー言わせて誰かに許しを請いよる。最近は良くなっとったんだがなぁ…」


短銃の口が主人に向けられる。

主人はヒィと情けない声を上げると「許して下さい」と叫びながら地面を頭に擦りつけた。


「この馬鹿は私が強く注意します!ここにも二度と来させません!だからご堪忍を…!」


引き金が引かれた。カチッという音と共に主人の目が大きく見開き、そしてその場に項垂れた。

短銃は空砲だったらしい。男達の笑い声が辺りに響く。


「旦那はこの街の文明を保つ為の命綱じゃ。今後とも仲良うしてもらわねばならん。ただ、そっちのガキは別だな」


短銃を持った子墨の手が私の頭上に振り下ろされた。銃床が脳天に直撃し、私は衝撃で体幹が崩れて地面に倒れ込んでしまった。主人は私を庇う気など無いらしく口を開かない。

頭がズキズキと痛み視界が揺らぐ中、起き上がろうとすると腕を強く踏みつけられた。骨が嫌な音を立て、激痛に悲鳴が漏れる。

それから私は髪を鷲掴みにされ、子墨の眼前まで引き寄せられた。鼻がつく程の距離に半面が赤黒く染まった顔が迫る。


「人んちの置物にちょっかい出すのは悪いことじゃち親から教わらんかったか?」


「…あの子は置物じゃないでしょう…」


「俺が置物じゃち言うんじゃけん置物じゃ」


顔から地面に叩きつけられる。鼻から血が垂れて地面に落ちるのが見えて、子墨に抗えない悔しさと早く解放して欲しいという気持ちとが混じって涙が出そうになった。


「お前、今回は腕一本で済ませちゃる。ただし二度と来るな。街にすら入るんじゃないぞ。もし来ようものなら今度は、首が飛ぶぞ」


わかったらとっとと去れと子墨の手でその辺りに放り投げられ、私は頭と腕の痛みと、視界が揺れる気持ち悪さに耐えながら立ち上がった。そうして主人から「行くぞ」と腕を引かれた時、私はふと思い浮かんだ言葉を、一矢報いるつもりで子墨にぶつけた。


「置物と呼ぶ割には、彼女のことをよく見てるんですね」


「当たり前じゃろ、置物は見る為にあるんじゃけんな」


鼻で笑いながらそう返す子墨の顔は驚きや狼狽の様子を見せず平然としており、私は一矢報いることもできなかったことに言葉にならない叫びを上げてしまい、盗賊達や子墨に笑われながら、主人によって邸宅から引きずり出された。


宿に戻ると主人が独断で荷物をまとめてしまい、私達は深夜にも関わらず街を出て、ぐっすりと眠っていた馬を叩き起こして故郷へと逃げ帰った。




その後、私は主人の情けにより商家に残してもらえることにはなったが、行商に同行させてもらうことは無くなった。

私は丁稚として働きながら時々あの少女の憂えげな瞳を思い出すが、同時に考えることがある。

もしかして子墨は少女を"女"として扱ったことなど無いんじゃないか、と。

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タルチネ むーこ @KuromutaHatsuro

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