第10話 置物
酒宴の終わりを報せるのは虫の音だ。
騒がしかった男達が酔い潰れてその場で眠りこけると、辺りは静かになり虫の音がよく響くようになる。
意識のある者は家族や友人を引きずって家に帰り、潰れきった者はその場で大いびきをかく中で、後者の仲間入りをした子墨が地面の上に仰向けに横たわりグゥグゥと眠るのを、逢春はいまだ揺らぐ視界の中心に収めその寝顔に見入っていた。
逢春が名前を教えてから、子墨は何度でも『逢春殿』と呼んでいた。酒の勢いか「そんな良い名前を今まで呼ばなかったのが勿体無い」などともほざいた。
置物というよりも、恋人になる寸前といった関係に思えるじゃないか。逢春はこの先子墨と婚姻を結んで家族となり、そのうち誰かの母となることを想像し「悪くないな」と思った。
そして眠る子墨の口唇に接吻をした直後、急激な吐き気に襲われてその場から飛び退いた。脳裏を巡るのは村での記憶。隣家の親父から無理矢理された接吻の生温さも、同い年の幼馴染からつけられた噛み跡の痛みも、複数の男から押さえつけられ取っ替え引っ替えに犯された恐怖も何もかもが蘇り、逢春は胃を満たしていた酒やら肉やらを全てを吐き出した。
私はもう誰かを愛することも愛されることもできない、本当に子墨の『置物』でしかいられなくなってしまったらしい。逢春は顔や髪にまとわりついた吐瀉物を拭うこともせずその場で泣き喚いた。
そばでは酒宴の片付けをしていた女衆や、逢春の泣き声に飛び起きた子墨が怪訝そうに寄り集まってきていた。
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