第十四幕


 第十四幕



 こちらに銃口を向けるゴンツの姿に、小銃を失った俺は、その場に立ち尽くしたまま困惑するばかりだ。

「おいゴンツ、一体何の真似だ? どうして俺に銃を向ける?」

 俺がそう言って問い掛ければ、ゴンツはぶよぶよにたるんだ頬に下卑た薄ら笑いを張り付かせながら返答する。

「どうしてお前に銃を向けるのかだって? 馬鹿だなアルル、やっぱりお前はズルばっかりしやがる泥棒の息子だ! 人の心の痛みってもんが、まるで理解出来ていないにも程がある!」

 馬鹿に馬鹿呼ばわりされるほどムカつく事は無いが、また同時に、婦女暴行未遂の嫌疑でもって営倉送りになるようなろくでなしから人の心の痛みが理解出来ないなどと評されるのも、同じくらいムカついてしまって仕方が無い。

「それで、お前は何が望みだ?」

 銃口を向けられた俺が重ねて問い掛ければ、肥満体のゴンツは薄ら笑いを浮かべたまま要求する。

「俺様はな、アルル! お前みたいな人の欲しいものを横から掠め取って行くような、小ズルい泥棒野郎が昔っから大嫌いなんだよ! だからまず手始めに、お前には謝罪してもらおうか!」

「謝罪だって? 一体何を謝罪しろって言うんだ?」

「何でもいいから、頭を下げて謝罪するんだよ! さあ、そこにひざまずけ! ひれ伏せ! 俺の足元に這いつくばり、誠心誠意謝るんだ! さもないと、お前の頭を今すぐこの場で吹き飛ばしてやるからな!」

 友軍の兵卒であるこの俺に銃口を向けながら、何の理由も無く謝れなどと言い出すこの男は完全に正気を失っており、もはや気が狂っているとしか思えない。しかしながらこのままではいつ彼が発砲するとも知れず、隣に立つインジーにも累が及ぶかもしれないと思えば、彼の要求に従わざるを得ない事もまた自明の理であった。

「止めておけ、ゴンツ。さすがに友軍の兵卒を故意に射殺したとあっては、営倉送りでは済まされないぞ?」

「構うもんか! こんな大混戦の戦場で人一人死んだくらいでは、誰もその死因を追及したりはしねえよ!」

 確かに彼の言う通り、戦場で死んだ兵士はその死因に拘らず戦死したものとして扱われ、誰がどのような理由でもって殺したかなどと言った些末な問題が追及される事はあり得ない。しかしそれは目撃者が居なかった場合の事であり、もし仮に俺が彼に撃ち殺されたとしたら、その全てを目撃していたインジーもまた射殺されるであろう事は火を見るよりも明らかだ。

「分かった、謝罪する。謝罪するから、ゴンツ、お前も落ち着くんだ」

 俺は努めて冷静を装いながらそう言うと、ゴンツを刺激しないようにゆっくりとした動作でもってその場にひざまずき、頭を下げる。

「俺が悪かった、ゴンツ。謝罪する」

 深々と頭を下げながらそう言って、俺は土下座をするような格好でもってゴンツに謝罪した。すると彼はそのぶよぶよにたるんだ頬に浮かぶ薄ら笑いをより一層深めつつ、俺を小馬鹿にしたような言動を繰り返す。

「おいおいおい、こいつ、本当に謝罪しやがったよ! いい歳した大の大人がひざまずいて頭を下げるだなんて、恥知らずもいいところだな、おい!」

 自分からひざまずけと命じておきながら、いざ実際にひざまずけばそれを笑いものにする、このゴンツと言う名の脂肪の塊はそんな愚行を平気でやってのける男であった。

「さあゴンツ、俺は謝罪したぞ! お前もその小銃を下ろすんだ!」

 頭を上げた俺はひざまずいたままそう言うが、ゴンツはそんな俺の言葉を意に介さない。

「は? 何言ってやがる! 俺様は謝罪しろとは言ったが、謝罪すればお前を撃ち殺さないとは一言も言ってないぞ!」

「騙しやがったな……」

 まんまと口車に乗せられる格好になった俺はそう言うが、事ここに至っては採り得る手段も無く、どうにもこうにも歯噛みするばかりだ。

「それじゃあアルル、これでお別れだ! 俺様の事を恨みに恨んで悶え苦しみながら、泥に埋もれておっんじまいな!」

 そう言ったゴンツは俺の眉間に照準を合わせながら、構えた小銃の引き金をゆっくりと引き絞る。

「危ない!」

 するとゴンツが構えた小銃の銃口から銃弾が射出されると同時に、俺の隣に立っていた筈のインジーが、その身を投げ出しながらひざまずく俺の身体を突き飛ばした。そして身を挺して俺を庇う格好になった彼女の胸には子供の拳大の穴が穿たれ、まるで糸が切れた操り人形の様に、その場にどさりと崩れ落ちる。

「インジー!」

 俺は彼女の名を呼ぶが、胸に穴が穿たれたインジーはその場に崩れ落ちたままぴくりとも動かない。

「なんだよ、糞! いいところで邪魔しやがって! どうせその女も殺すつもりだったが、予定が狂っちまったじゃないか!」

 ゴンツはそう言いながら小銃のボルトを引き戻し、新たな銃弾を薬室に装填しようと試みるが、俺は錬度が低い彼より早く膝立ちの姿勢のまま腰のホルスターからカシン拳銃を抜いた。そしてそのカシン拳銃の引き金を躊躇無く引き絞れば、額のど真ん中に着弾した銃弾によって、醜く肥え太った肥満体のゴンツの頭部が一瞬にして砕け散る。薄灰色の脳漿を撒き散らかしながら絶命しても、頬の肉がぶよぶよにたるんだ彼の顔には下卑た薄ら笑いが張り付いたままであった。

「おい、インジー! 大丈夫か!」

 その顔に薄ら笑いを浮かべたまま絶命したゴンツの事はさておいて、膝立ちの姿勢から素早く立ち上がった俺はインジーの元へと歩み寄ると、彼女を抱きかかえながらその容態を確認する。

「……アルル……」

 果たしてインジーは絶命してはいなかったが、彼女が身に纏ったカーキ色の戦闘服はおびただしい量の鮮血でもって真っ赤に染まり、致命傷を負ってしまっている事は誰の眼にも明らかであった。

「……あなたこそ……大丈夫?」

「ああ、俺は無傷だ!」

「……そう……良かった……」

 肺を形成する肺胞内に心臓から漏れ出た血液が流入し、口元から血のあぶくをごぼごぼと噴き出しながらインジーがそう言えば、ちょうどそこに褐色の肌の青年が姿を現す。

「おい、アルル? お前、アルルか? 一体ここで何が起こったんだ?」

 白煙にけぶる戦場の最前線で、そう言って困惑しながら姿を現したのは俺の従弟のノッシュ、つまりノッシュバル・グルカノフ一等兵であった。

「なあアルル、教えてくれよ! 一体何が起こっているんだってば!」

 事の経緯を知る由も無いノッシュはそう言って困惑するばかりだが、なにせ炎上する蒸気戦車の傍らで胸に穴が穿たれたインジーを俺が抱きかかえ、その足元には友軍の戦車兵と敵軍の兵卒の死体が転がり、少し離れた場所では薄ら笑いを浮かべたまま絶命したゴンツの死体が転がっているのだから無理もない。

「何が起こったも何も、見ての通りだ。インジーがゴンツに撃たれた」

「インジーが? ゴンツに? どうして?」

 そう言って益々困惑するばかりのノッシュも、俺の腕の中のインジーがごほごほと咳き込みながら真っ赤な血のあぶくを噴き出せば、彼女が死の淵に立たされている事をようやく理解する。

「なんだか良く分からんが、インジーが負傷したんだな? とにかく彼女を、後方の野戦病院まで運ばないと!」

 ノッシュはそう言うが、俺は彼の言葉に賛同しない。

「駄目だノッシュ、そう言う訳には行かない。残念ながら、インジーはもう致命傷を負ってしまっている。この場で殺してあげる以外に、選択肢は無いだろう」

「は? 馬鹿言うなよアルル! 今すぐ野戦病院まで運べば、未だ助かるかもしれないだろ!」

「ノッシュ、馬鹿な事を言っているのはお前の方だ! 後方に運ぶと言ったって、今は師団を上げての渡河作戦の真っ最中なんだぞ! どうやって河を渡る? 河を渡っている間の防備はどうする? 仮に衛生兵に彼女を引き渡したところで、どうせ助かりようが無いんだ!」

 そう言った俺の主張に、今度はノッシュが異を唱える。

「それでも未だ彼女は生きているんだから、最善を尽くすのが俺達戦友の役割だろ! 違うか?」

「最善? 最善だって? だから俺は、インジーを今ここで殺してあげる事こそが最善の策だと言ってるんだ! かつてのスラーラの時と同じように、俺がこの手でもって彼女を殺してあげないと!」

 迂闊にも、俺は決して言ってはならない事を、うっかり口にしてしまった。そしてその言葉を耳にしたノッシュの顔色が、にわかに曇る。

「おい、アルル? お前、今何て言った?」

「……別に、何も?」

 俺はとぼけてその場をやり過ごそうとするが、そんな子供騙しではノッシュは納得しない。

「いいや、今確かに、お前は「かつてのスラーラの時と同じように」と言った筈だ! それはつまり、お前がスラーラを殺したと言う事なのか?」

「……」

 否定も肯定も出来ない俺が口を噤んで沈黙すれば、褐色の肌のノッシュは彼が手にしたボルトアクション式の小銃を構え直し、つい先程までのゴンツの様にその銃口をこちらに向けた。

「答えてくれ、アルル! お前がスラーラを殺したのか?」

「……仮に、そうだとしたら?」

「ああ、糞! 何てこった! よりにもよってスラーラを殺したのがお前だなんて、そんな馬鹿な事が許されてたまるもんか! お前は俺にとって憧れの存在だった筈なのに、どうしてそのお前が……お前が……どうして……」

 感極まったかのような表情と口調でもってそう言ったノッシュは、両の瞳からぼろぼろと大粒の涙を零れ落としながら慟哭し、怒りや悲しみや絶望と言った負の感情がごちゃ混ぜになった胸の内を上手く表現する事が出来ない。

「それだけじゃないぜ、ノッシュ」

 行き掛けの駄賃とばかりに、俺はもう一つの事実もまた白状する。

「実を言うと、スラーラの遺体が発見されたその日の夜、彼女の家に火を放ったのもこの俺だ。もっとも、まさか十三人もの死者を出すような大火になるとは思ってもみなかったがな」

「何だよ! 何なんだよそれは! それじゃあまるで、アルル、お前がラハルアハル村始まって以来の大量殺人犯そのものじゃないか!」

「ああ、まさにその通りだ。ようやく気付いたのか、ノッシュ? やっぱりお前は愚鈍だな」

 俺は何のてらいも無くそう言ってのけ、この俺をして『大量殺人犯』とまで評したノッシュの言葉をあっさりと肯定してみせた。前世に於ける殺人ピエロのジョン・ウェイン・ゲイシーや津山三十人殺しの都井睦雄といむつおほどではないが、未だ幼かったスラーラを故意に溺死させ、更にはその両親を含む計十四名もの村民達を生きながら焼き殺して幸福な来世へと送り届けてあげた俺もまた、その称号を授与されるに相応しいと言っても過言ではない。

「それで、俺がスラーラ殺しの犯人だと知った今、一体お前はこれからどうするつもりなんだ?」

「そんな事、決まってるだろ! お前を殺人犯として、放火犯として、警察と憲兵に突き出してやる! その上でインジーを後方の野戦病院まで運んで、快復した彼女に、ここでのお前の発言の真偽を証言してもらうんだ!」

 ノッシュは俺を睨み据えながらそう言うが、そんな彼に、俺は無情にして非情なる事実を告げる。

「残念ながら、もはやその願いが叶う事は無いんだよ、ノッシュ。ほら、彼女の顔をよく見てみろよ」

 そう言った俺の腕の中で、ゴンツの手によって胸を撃ち抜かれたそばかす面のインジーは、既に事切れていた。二度と眼を覚ます事の無い彼女の身体はぐったりと脱力し、その碧色の瞳からは、生者特有の溌溂とした輝きが失われてしまっている。

「そんな……インジー……」

 彼女の死を前にして、すっかり打ちのめされてしまったノッシュはがっくりと肩を落とし、言葉を失った。そして俺はインジーの遺体を泥まみれの地面に横たえると。手にしたカシン拳銃の銃口をノッシュに向ける。

「アルル、一体何のつもりだ?」

 銃口を向けられたノッシュが小銃を構え直し、従兄弟同士である俺と彼とは、互いに銃を突き付け合う格好となった。

「そんな事、決まってるだろ? スラーラ殺しの一件が知られてしまったからには、お前をこのまま生きて返す事は出来なくなってしまったんだ。だから今ここで、お前には死んでもらう」

 俺がカシン拳銃の照準を彼の眉間に合わせながらそう言えば、ノッシュはそんな俺を説得しようと試みる。

「馬鹿な真似はよせ! アルル、お前は今から俺と一緒に警察に自首するんだ! そうすれば、多少なりとも罪は軽くなるんだぞ!」

「罪が軽くなるだって? それは一体、何に対しての罪だと言うんだ? 俺は不幸な人達をこの手でもって幸福な来世へと送り届けるために、身を粉にして殺してあげているんだぞ? そんな俺が罪に問われるようなこの世界の法律や倫理観こそが、根本的に間違っているんだ! ノッシュ、お前にはそれが分からないのか?」

「ああ、まるで分からない! アルル、お前が何を言っているのか、俺にはまるで分からないんだ!」

 両の瞳からぼろぼろと大粒の涙を零れ落としつつ、嗚咽交じりにそう言いながら小銃を構えるノッシュとの議論は平行線を辿る一方で、もはやそれは単なる時間の無駄でしかない。

「だったらもう、分からなくても構わないよ。どうせお前は、ここで俺の手によって殺されるんだからな」

 俺は事も無げにそう言うと、かつて戦利品として敵軍の大尉から取り上げたカシン拳銃の引き金を、やはり躊躇無く引き絞った。彫金エングレーブによる豪華な装飾が施された拳銃の銃口が火を噴き、射出された鉛の銃弾が狙いを違えず、ノッシュの眉間に命中する。

「!」

 しかしながら、晴れ渡る初夏の青空に響き渡った銃声は一発だけではなかった。俺がカシン拳銃の引き金を引き絞るのと同時に、ノッシュもまた、彼の小銃の引き金を引き絞っていたのである。

「……あ……」

 ノッシュが小銃から放った銃弾は俺の腹部に命中し、皮膚と皮下脂肪と筋肉とが弾け飛び、裂けた腹膜の隙間からずたずたになった臓物がぼろりとまろび出た。

「……」

 俺は無言のまま、大腸や小腸、それに肝臓や膵臓と言った臓物をまろび出させながらその場にひざまずく。

「ノッシュめ……やってくれるじゃないか……」

 そう言った俺がノッシュの立っていた方角へと眼を向けると、そこにはカシン拳銃の一撃によって頭部を破壊された彼の死体が転がり、もはや二度と立ち上がる事は無い。

「もはやこれまでか……なかなか楽しい人生だったな……」

 泥と埃にまみれて白煙にけぶる戦場の真っ只中で、即死こそ免れ得たものの致命傷を負ってしまった俺はそう言うと、手にしたカシン拳銃の銃身を口に咥えた。そして次は一体どんな世界へと生まれ変わり、どんな人生を送る事になるのだろうかと言った期待に胸を膨らませながら、微塵も後悔する事無く晴れ晴れとした心持ちでもって引き金を引き絞る。

 どうか全ての死者に、来世での幸多からん事を。


                                    了

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死は甘美にして抗い難き劇薬なり 大竹久和 @hisakaz

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