第一部 ヴァンパイア編

ルーマニア国トランシルヴァニア 1



 ルーマニア中心部に位置するトランシルヴァニア。


 日本からの直行便はなく、成田空港からルーマニアまでは、必ずどこかで乗り換えしなければならない。わたしからみれば、ありえない離れわざだ。

 飛行機が嫌い……。

 なかでも離着陸が一番怖いし緊張する。乗り換えだから、離陸して着陸って、計四回も味わうことになって、ことは深刻だ。


「神さま、仏さま、あらゆる神々さま、わたしは、これから良い子になります。だから、無事到着させてください」と、必死に祈った。

「なにやっての、モチ」

「神さまに祈っているのよ」

あやかしの隣でか」


 あ〜、そうだった。マロンは人間じゃない。聖なる者でもない。神さまが全力で排除する側のやつ。


 こ、これは、ま、まずい。


 マロンが笑っている。横を向き顔を隠しているが、肩が震えていた。

 ここ、笑うとこじゃないから。


「じゃあ、魔王とかに祈りを捧げたほうがいいの?」

「すべて気休めだ」

「ぜえええったいに、違う! この不信心ものが」

「だから、妖だって」


 なんてな非常事態を乗り越え、ブカレストの飛行場に到着したときは、へろへろになっていた。

 マロンは旅慣れているのか、空港には高級セダンが手配され、そのまま数時間のドライブでトランシルヴァニア地方のブラショフという街に到着した。


「目的地は、まだ先だ」

「マ、マロン、もう無理、宿に泊まろう。あ、あんたの体は不死身か。いや、不死身だった。けど、わ、わたしはか弱いんだ」


 いっちゃあなんだが、これでも体力には自信がある。運動神経はないが、体力だけは自慢だ。

 オタク仲間には、無駄に丈夫と言われたものだ。


「ほんと人間てもろいな」

「いや、そういう問題じゃない。わたしは人類代表としては強いほうだ」


 そんないきさつがあって、トランシルヴァニアの一地方、美しい中世風の建物が残るブラショフの街にいて、その中心地、スファトゥルイ広場でダンス対決を見るはめになったんだ。




 ブラショフは、もともとドイツ人が築いた街で、そこかしこにドイツの匂いを感じる。

 赤茶系の屋根に色とりどりに塗った壁の街並みは、思わずほっこりする絵葉書のようだ。


 中世がそのまま残った街の姿を見ると元気が出てきた。

 マロンと散歩しながら、スファトゥルイ広場に面したカフェテラスにある外のテーブルにつく。

 すぐ間近では、ギターが奏でる旋律に合わせ、頭に派手な色のスカーフを巻いたロマ族(ジプシー)の女が腰を激しく振って踊る。


 今にもおそいかかってきそうな鋭い目つきで、踊りはスペインのフラメンコに影響を与えたジプシー舞踏。スカートを蹴散らし、足で踏むリズム。


 ダンダンダン、タタタタタタ、タンタ〜ン。


 打楽器の音に合わせ、激しく道路をうちつけるヒール。

 目の前で眺めていると、飛び散る汗に混じった強い香水の匂いまで届いてくる。


 体が痙攣するような激しい動き。


 路上で披露されるロマ族の踊りを見れば、多くの人は魅了されるにちがいない。


「マロン、すごい、これはすごい」

「感激するのは、いいけど。その足、リズム取って真似てるつもり? どうして、そう微妙に外れているの。見事なまでに音があってないわ」

「あんたは踊れるの?」


 マロンは目を細めた。その表情がどこか不穏だ。


「ど、どうしたの」

「誰に見惚れているの、あの踊る女? それとも、ギター弾き」


 いや、そこ?

 それは、なんと答えていいのか。

 と、マロンが、ふいに立ち上がった。


 それから、すぐ近くにいたロマ族の女性に、たぶん、このグループの仲間だろう。女が何か抵抗していると、マロンはその手に金を握らせた。


「ダァ、ダァ」という笑いを含んだ声が聞こえる。


 女に耳打ちして、ニッと笑って、ヒダの多い大判の派手な色のスカーフをもらった。


 マロンは自分の細く折れそうな腰に、スカートを巻きつける。


 するどい視線で、中央に踊る女を殺気だった表情で睨みつけた。なんという恐ろしくも魅力的な表情だろう。


 そのスイッチの入った顔を見て、わたしは怯えた。


 いや、だめだから、妖よ。

 なにするつもり!


 ギターの旋律が低く叙情的に変化する。

 踊っていた女が動きを止める。


 見物客が拍手しようとした瞬間。


 パーン!


 マロンの両手が大きな音を立てて鳴った。

 スカートを翻すと技巧的であるが、扇情的で、欲望をあらわにしたように体をくねらせる。軽く唇をあけると、周囲を挑発するように情熱的に踊りだした。


 小柄なマロンが、先ほどまで踊っていた女より大きく見える。くるくるとその場で回転する。


「す、すごい」


 なにかが憑依したかのように踊るマロン。

 広場を歩く人びとが、何事かと歩みを止め、マロンを見つめる。一度、立ち止まると、もう二度と視線を外せない。


 カリスマダンサーの舞踏とは、まさにこれなんだろう。

 先ほどのロマ族のダンサーが素人ぽく見える。


 ひときわ、巫女のように踊り狂い、すっと街路に体を沈め、両手を広げて停止する。ギター弾きが音を止めた。


 誰もが息を呑んだ。


 マロンは憑き物が落ちたかのように、その場に立ち上がり、右手をくるくるまわして挨拶した。


 大歓声がわきおこった。

 

「さあ、行くわよ」

「い、いったい、マロン、すごいわ。びっくりした」

「そう、じゃあ、もう他のダンサーなど、その目で見つめないのよ」

「え?」


 すたすたと歩いていくマロンを追いかけた。どういう意味? まさか、マロン、嫉妬したの?



(つづく)

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