【新物語】妖に出会う凸凹コンビのほのぼの旅行記

【序章】妖と出会ったときの、普通の人の普通の反応



 これは、マロンと過ごした十二年間、世界を旅した物語である。



 ****************


 

 賀茂法光の怨霊を下した数週間後のことだ。


 わたしが経営する設計事務所は大混乱に陥っていた。

 なぜかって?

 午後になって、マロンが現れたからなんだ。


 すっかり忘れていたが、この女は恋神マロンだった。

 つまり、以前とまったく変わっていないってことだ。周囲の男たちをモノにする手練手管は、息を吸うがごとく。これはわたしの想像だけど、一千年でマロンが培ったのは、男たちをとりこにする習慣だ。


 ほんっと、つける薬がない!


 ほんのりと化粧をほどこした肌は透明感にあふれ、切れ長の目は妖艶さとあどけなさを同時に兼ね備えるという、むかつく容貌。その優雅な仕草は殺伐とした白いオフィスを、華麗な王宮のように勘違いさせる。


 当然のなりゆきだろうが、シフォンの薄葉色系の春色ワンピースを身につけたマロンは、春の嵐のような激しい反応を社員たちにもたらした。


 日頃は雑然としたオフィス内が、目に見えて変化したのだ。


「あ、あの、どうぞ、おかけください」って、定年後に共同経営者になった63歳の結城が慌てている。


 結城よ!

 一度だって、わたしを女と認め、そんなふうに席をすすめたことがあったか。


 残りの若いスタッフは、口をあんぐりと開けたまま、正気を保てない。


 全員の目がわたしとマロンを交互に見ている。紹介せよという無言の圧力だ。


 わたしはため息をもらし、それから、マロンと事務所の面々を交互に見比べ、しぶしぶという態度を滲ませながら、彼らに紹介した。


 マロンは、あれから多額の資金をわたしの会社に融資してくれた第一出資者でもあるからだ。


「この人は古くからの友人で、会社に出資してくれた人。紹介するわ」

「それはそれは」と、なぜか結城は江戸時代の番頭のように腰が低い。


 うちのスタッフ。


 青柳雄大(♂)、31歳、正社員。

 桜野カオル(♀)、28歳、正社員。

 草刈伸之(♂)、23歳、嘱託職員。

 市井萌々江(♀)、19歳、大学生バイト。

 そして、結城慶次郎(♂)、共同経営者、63歳。


 全員が、まるで王女に謁見を許された使用人のようだ。レベル最高値の魔王を前にしたスライム集団とも言える。


「はじめまして」


 マロンが優雅にほほ笑みながら、はじめて口を開いた。


 その時──

 結城慶次郎、63歳。心臓発作を起こしそうな表情で、持病の薬を飲んだ。

 青柳雄大、31歳、おもむろに、鏡を見て髪型をチェックした。

 草刈伸之、23歳、文字通り土下座した。


 そして、女たちは壁際に後退り、敵の攻撃にそなえている。


「ここが、この子の事務所なのね」と、上から目線で、マロンは言っている。

「この子って、マロン。わたしは、あんたより年上だからね」


 マロン、例の傲慢な態度で完璧にわたしを無視すると、まわりをゆったりと見渡した。それから、机のひとつに軽く腰をあずけ、優雅に足を組む。

 細く均整の取れた長い足が、スカートからのぞく。きっと角度も計算済みだ。


 清潔感のあるピンク系のカーディガンを肩にはおったマロンは、前よりちょっとだけ老けて20歳くらいに見える。


「わたし、お邪魔になっていませんの?」

「いえいえいえ」

「と、とんでもございません」

「まったく、そのいつでも、いらして下されば」


 くちぐちに、しかし、同時に皆が否定する。


「よかったわ」という声が、そのピンク色の唇から発せられるまで、各々がみな同時に口を開き、同時に口を閉じるという、滑稽なパントマイムが繰り返された。


 わたしは天井を仰ぎ、額を抑え、それから大仰にわかりやすくため息をついた。マロンが横目で皮肉な笑顔を浮かべている。


 学生時代、わたしはマロンの何を見ていたのだろうか。

 ただ、男たち皆が競って彼女に愛を告白する、そういう上っ面しか見ていなかったようだ。


 こいつは、しかし、内面も上っ面通りだ!


「あのね、今日はお願いがあって、訪れたのですけど」

「は、はい。いかようなことでも」


 全員の首が前後に揺れている。


「こちらの社長をお借りしてもいいかしら」

「ええ、ええ、もう、なんでも持っていってください。のしをつけて、お貸しいたします」と、言ったのは結城だ。


 ほかの男たちも、再びブンブンと首を振っている。

 おまえたちは、わたしが必要じゃないのか。


 さて、これは昨夜のことである。マロンがいきなり宣言したのだ。


『トランシルヴァニアに行くわよ』

『なにそれ、チョコ? 美味しいの?』

『アホ、ルーマニアにある都市の名前よ』

『なんでよ』

『行きたいからよ』

『わたしは仕事があるの』

『そう』


 確かに、昨夜、そんな会話をして、そのままになった。いやに簡単に引き下がったなと思っていたのは、今日の午後までだ。


 オフィスのドア方面から、プロコフィエフ作曲の 『モンタギュー家とキャピュレット家』が聞こえたような気がして、寒気がした。


 と、ドアが音もなく開かれ、マロンが立っていた。

 困ったような表情を浮かべ、首に軽く手を添えた、ものすご〜〜〜〜〜〜〜く可憐な様子で。


 こんのやろうが!!






 というわけで、わたしは自分の経営するオフィスから強制的に放りだされ、マロンとともに、ルーマニア行きの航空機に乗っている。


「なぜ、トランシルヴァニアなの」

「おや、モチ、知らないの?」

「知らないわよ。きっと知りたくないことよ」

「トランシルヴァニアといえば、ヴァンパイア」

「それが」

「ヴァンパイアの最大の特技は?」

「血を飲む」


 チチチッと、マロンの指が、例のごとく優雅に振られている。


「女を視線だけで虜にする、イケメンってことよ」

「はあ、それが?」

「だから、勝負よ。わたしに勝てるかどうか」


 わたしは高度一万メートルの上空で、「ここで、降ろしてくれぇ〜〜!」と、叫びたい衝動を必死に堪えていた。


(不定期につづく)

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