幽閉された兼家の姫 後編



 世は平氏の時代。栄耀栄華を謳歌おうかした貴族社会はさびれ、関東では源氏が台頭、都は荒れていた。


 三人の盗賊は屋敷を荒らし、奥にある土蔵を発見した。


「おい、なんかよ、おどろおどろしい土蔵じゃないか」


 しゃがれ声に、別の男の声が重なる。


「昔っから、怨霊がでるってぇ噂だ。だからこそ、お宝が隠してあんにちげえねぇ」

「さすが、おかしら。それにしても、いやな匂いがする」

「ここは、偉えお大臣さまの屋敷だったんだ。そうとう隠してあんのよ」

「やっぱ、やめようぜ。くわばら、くわばら。命あってのモノダネや」

「おめえら、与太話なんぞ信じるな。行くぜ」


 盗賊たちは土蔵にかかった和錠わじょうをカマで叩き壊し、重い扉を開けた。錆びついた扉は、ギーギーと音をたてて抵抗する。


 開いた扉の奥は、まっ暗闇で何も見えない。


松明たいまつを寄こせ」


 恐る恐る松明を中に入れる。と、バサバサバサっと音がして何か大きな虫のようなものが逃げていく。

 手下のひとりがのぞき込む。松明の先にぼうっと浮かびあがるモノがあった。おぼろげながらくさりに繋がれた人のようなモノが見える。


「な、なんじゃ?」

「ああ、あ、あれ、オナゴや、あれがお宝なんか」


 盗賊たちは色めきだった。


「ぴくりとも動かぬぞ」

「おかしら。ど、どうする」


 ひときわ大柄な男が、手下から松明を取り上げ、姫に近づいた。


「なあ、あんた。生きてんのか」


 黒い髪がかすかに動くと同時に、長いまつ毛に隠れた双眸そうぼうが、きらりと光る。その美しさにかしらは愕然とした。


「こんなオナゴは、はじめて見た。天女さまか」


 松明の灯りに浮かぶ女は、よく見ると衣もつけていない。白く輝くなめらかな全身を、床までとどく長い黒髪が隠している。恐る恐る手を伸ばして、黒髪を持ち上げる。その下に現れた桃色の瑞々しい乳首、あらわになった白い乳房、男の心臓は割れんばかりに高鳴った。


「おい、カマをよこせ」


 頭と呼ばれた男は、姫の両手両足を縛る鎖を叩き切った。鎖が外れると、姫が倒れこんでくる。ぞくっとするほど冷たい体。


 かしらは、自分の羽織を脱ぐと裸体に被せ、そのまま横抱きにして土蔵から出てきた。


「うおおお……」


 誰とも知らず、男たちの口から興奮の声が漏れる。彼らの喉ぼとけが、ごくりと上下した。


 美しく妖艶な女は、傷一つない白く細い腕をかしらの首にまわす。羽織が落ち、月明かりに完璧な上半身があられもなくさらされた。ぬばたば色の髪がサラサラとほどけ、きめ細かい肌にほんのりと上気した薄紅色の頬があらわになる。赤い唇が半開きになった。


 そのぷっくらとした下唇がうっすらと横に広がる。



 ***************



 わたしは口を手で押さえ叫ぶのをこらえていた。

 こ、これは、恋神マロンのことだ。


 藤原兼家の姫。

 佐々波のクローゼットに書かれていた血文字と同じ。


 ジジジという耳鳴りのような音が、どこからか聞こえる。


 冊子に書かれていたのは、前半部分まで、何かが脳に盗賊たちの逸話を送って来た。わたしにこの悲惨な物語を語りかけてきたのは……。


「誰なの、誰?」


 役目を終えたのか。古びた冊子がパラパラと粉になって崩れていく。


 表紙に書かれた『深草の女房日記』という文字が滲み、散り散りに霧散していく。

 最後に、細かいガラスの欠片のようなものが手に残った。


「どういうことなの……」


 ──姫をお助けくださりませ。……哀れな方なのでございます。


 地の底から聞こえるような低い声。それは耳にではなく、直接、脳に語りかけてくる。


「なぜ、わたしに」


 ──姫は男を心の底では恨み、愛を探すのではなく、復讐をしているのです。そのために、長い時を彷徨さまようしかなく。


「あなたは深草の女房ね……」


 ──遠い昔、そう呼ばれていたような。これで、やっと姫を託す方に、お伝えできました。この世に未練はございません。


 声が消えていく。


「マロンはどこにいるの! 教えて、マロンはどこに」


 ──お近くに……。


 声が消えると同時に、『深草の女房日記』も完全に消えていた。



(つづく)

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