不死の姫 3
マロンから、つい顔を背けてしまった……。
数秒が無意味に過ぎ、とても長い1分が過ぎた。
マロンもわたしも笑ってごまかす時間を失った。彼女は当惑した表情を浮かべ、あからさまに視線を逸らして、窓の外を見つめる。
天井までガラスで覆われた壁面には水滴が残り、外に植えられた木々の緑がぼやけて見えた。
「まったく、いつだって」と言いながら、マロンは横を向いたまま、深い息を吐き出す。
「いつだって、思うままに感情をぶつけてくる。たいがいにして欲しい。ムカつくとか、大っ嫌いな女だとか、かってなことばかり言うけど……。わたしは人に興味がないから、気にならないとでも思った? 気にしたわよ。他人を気にするって、こういう感情なのね。あんたのせいで、初めて知った感情よ」
マロンには、珍しい感情の
「あははははは」
「そこ、笑うとこ?」
「さっき、笑って誤魔化しそこねたから、今、やってみた。マロン」
「今は、マロンという名前じゃないわよ」
「そんなことはどうでもいいの。わたしにとって、マロンはマロン。女の敵で、超がつくモテ女の師匠だから。なんと名乗っていても」
マロンが上目使いにわたしをにらんでいる。その表情は、どこかおぼつかないけど、また、なんて魅力的でもあるんだろう。
本当に、この女は……、プロフェッショナルなモテ女だ。そんな言葉があればだけど。
マロンは表情を崩すと、「疲れたわ。本当に、すごく疲れた」と、つぶやいた。
その声色が痛ましいと思う。
わたしは昔から自分のことばかりで、マロンの気持ちなどまったく考慮しなかった。パーフェクトな人だと心のなかで単純に崇拝していたのだ。彼女の苦しみ、彼女の孤独、彼女の絶望など、まったく考えなかった。
「……わたしは愛を知らないらしい」
「愛を知らないって。そんなもん、知ることを探している方が不思議。感情なんて説明できるもんじゃないから」
「
モチって呼んだ声が甘くひびいてくる。
「彼、有名だったの?」
「平安時代に彼を知らないと言ったら、馬鹿にされるかもしれない。当時、もっとも有名な陰陽師だったから」
「へええ、陰陽師って、あの、安倍晴明みたいな?」
「ああ、あの、おじさんの方。賀茂はね、安倍晴明よりも位が上で、ずっと有名だった。ただ、目立つのが嫌いな真面目な男だけど。ぞっとするほど、いい男だった」
「まるで、恋していたみたい」
「そう、恋していたのよ」
「うわっ」と驚いた瞬間、コーヒーカップを倒していた。スタッフが気づいて、こぼれた液体を掃除する。コーヒーは床にもこぼれ、軽い騒ぎになった。
それをきっかけに、カフェから外へ出た。
いつの間にか雨は止んでいる。水分を含み、生き返ったような木々から、いい匂いが漂ってきた。
「雨が止んで、いい匂いだわ」
なにか気の利いた言葉を返そうとして、かえって、わたしは無口になった。
ビルとビルをつなぐブリッジを渡りながら、隣で歩くマロン。以前なら、とうにいなくなっていただろう。
素直に従うマロンに胸の鼓動が高なり、その反応に一番驚いているのが自分自身だった。
「わたしは奇怪なものへと変異するかもしれない」
「奇怪なものって」
「人ならざる怪異のモノとして、永遠に狩られる、そんなモノよ」
わたしたちは愛宕神社へと歩く。
これは、すべてがあらかじめ決まっていたことのように感じた。
どこかに運命を司る神がいて、その無常な指で動かされている感覚。わたしはわたしであって、わたしじゃなかった。
「まさか。そんな馬鹿げたことに。だから、とっ替えひっ替え男を変えている訳じゃないわよね」
「他に方法がないわ」
「あのね、師匠。こんな高校生に師匠ってのも変だけど。あんたは永遠に十代から抜け出せないのね。マロン、あんたは愛など探していない。復讐しているのよ」
「偉そうなことを、年下のくせに」
道は急な坂道になっていた。歩道にそった手すりに
「ねぇ、マロン。
「あの絵がデータになっていたの。それは知らなかったわ」
「誰があれを描いたの。あなた以外に、長く生きている人がいるわけ?」
「いると言えば、いる。いないと言えば、いない」と、うっすらとマロンがほほ笑んだ。
「なぜ、佐々波が絵を持っているの?」
「たぶんだけど、ミツバチKってハンドルネームで一緒にゲームをしていた男を覚えている? そうよ、彼。あの男と少し付き合っていたときに、わたしの絵を彼が見たの。ただ、どういう意味を持つかは理解していなかった。かってに写メを撮られたみたいで、だから、彼から得たんだと思うわ」
「なんのために? 光宏はあなたを知らない」
「佐々波光宏はね」
坂道を上がるにつれ、霧が発生してきた。静かにコンクリートの道を伝い、白い霧が伸びてくる。こんな場所で霧が発生するのは珍しい。雨が止み、気温が上がったのだろうか。
「この感覚、また来たわね」
「どうかしたの?」
マロンは、その場に立ち止まった。
「どうしたの?」
「また、来た……、彼を
「依代?」
「ええ、なんども生まれ変わり、なんどでも近づいてくる。本当にキリがないったら」
「生まれ変わりって?」
「人の細胞には祖先の記憶が刻まれている。後天的に得た学習行動でさえも親から子へと伝わる。アリはなぜ働きアリになるのか。犬はなぜ主人になつくのか。すべて親から子へと伝わっているからよ」
「それで永遠に生きているというの?」
「それこそが永遠の命よ」
「じゃ、あんたは」
「異物にちがいないわ。だから、ときどき、自然が排除しようとする。その先にさらに待っているものが、怖いと思うことがある」
白い霧がさらに濃くなり、周囲をおおっていた。と、黒いシルエットが見えた。ゆっくりと、本当にゆっくりと、こちらに向って歩いてくる人影が見える。
カッポ、カッポという足音が響いてくる。
え?
「うそ。あ、あれは」
「ちがうわ。よく見て」
「誰?」
「
「誰よ、それ」
「賀茂光栄の弟」
「陰陽師の。例の有名だったという」
「そうよ。さあ、手遅れになる前に、逃げて」
「いやよ」
「わかってないわね。あれは、異物を排除しようとする自然の力。賀茂家の秘術であり呪縛よ。わたしは大丈夫だから、ただ、あなたにとっては恐怖の実態よ。
「え?」
「あれは、わたしにしか寄ってこない」
(つづく)
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