不死の姫 2
マロンは昔のままに傲慢で……。その取り澄ました顔を見ていると、複雑な感情におそわれる。それは、怒りなのか悲しみなのか、同情なのかわからないけれど。
想像を絶する幽閉生活ののち、今、この場に立っているのだ。胸がつまって、あれほど会いたいと思ったマロンを前に、口から出てきた言葉は、自分でも予想外なものだった。
「いや、ひさしぶりじゃない! こ、この、クッソむかつく女。どんだけ探したか。仕事で出会った嫌な坊主頭のオヤジより、あんたの方がむかつく。あのオヤジ、偉そうに正論ばかり吐いて、自己中な主張を押し付けて、いったい何さまよ。あの殴ってやりたい何さまオヤジより、あんたって、あんたって」
「相変わらず、ほんと、まあ、中身は変わらないというか。そのオヤジとか、訳のわからない人に、ひどい目にあったと言いたいの」
「ち、ちがうわよ。あの日、急に消えて、何をやっていたのよ。マロン」
「何も」
雨はずっと降りつづき、わたしたちは濡れそぼったまま動けずにいる。あと一歩の距離に彼女がいて、手を伸ばせば触れられるのに、触れると消えてしまいそうで恐ろしかった。
「このビルね、虎ノ門ヒルズだけどね。建設途中のころ勉強のために何度も見に来たわ。幹線道路と施設が一体化して道路上に立つという興味深いデザインだから。グッドデザイン賞を受賞した建物よ……」
わたしは、さして重要でもないことを話しつづける。雨に濡れたまま、こんなことどうでもいいと思いながら、わたしは、ただ話すためだけに話しつづけた。
「あの、モチが、えらくなったものね」
「わたしが作ったわけじゃないから。どうせ嫌味なんでしょ」
「そうよ」
虎ノ門ビルの入り口付近はイベント広場になっている。『ルーツ/Roots』という名の白い巨像が、ポツンと膝を抱えてすわる。
それを背後にしてマロンが雨に濡れていた。
「随分、さがしたのよ」
「ちょっとの間だけね」
「ちょっと? 違うわ、ずっとよ。ずっと探していたのよ」
マロンは、あざとかわいい例の顔で、不思議そうに小首を傾けている。
無性に腹が立って、一方でせつなかった。彼女の変わらない姿、大人のような少女のような姿で、雨に煙る姿は神秘的で、いっそう人から遠ざかる。
「十二年よ。十二年ものあいだ、なんの連絡もなく。よく、こんなふうに現れることができたものだわ。それに、何よ、その姿。まったく時が過ぎてない。どうやったら、昔のまま可愛いの。美容整形の病院を紹介しなさい!」
言った瞬間に青ざめて口もとを押さえた。なりたくてこういう姿でいるわけじゃない。
マロンの髪が雨に濡れ額にくっついている。寒そうに体を抱え、「ねえ……」と言った。
「ねえ、ずっとここで話してるいるつもり?」
「そう、ここにいる」
「下鴨モチ、あんたの言う十二年が過ぎても、頑固なところは本当に変わらないみたいね」
「変わったわよ、残念だけど。このシワを見て、目尻に軽くシワが入ったわよ。ほうれい線だって目立ってきてるわよ。それにね、驚いたことに、この年で、すでに胸が垂れているのよ。まだ三十二歳よ、ちがった、三十三なの」
マロンが吹き出した。
「それなのに、恋神マロン。あんたは、なに、高校生なの? いったいどうなっているのよ」
言いがかりのような言葉が口から溢れだして、止めたかった。でも勝手に口が動いてしまう。ああ、わたしは変われない。
「年を取れるって、幸せなことね。体の細胞が生まれ変わる。どんな動物も細胞は限られた回数しか分裂できないから。決まった回数がくれば限界になっていく。それが年を取ることよ」
「じゃあ、あなたは」
「わたしには細胞がない。細胞が固定している」
「きっと自業自得で、そうなったのね。その性格の悪さ。きっと、誰かに怒られたんだわ」
「怒られたんじゃなくて、呪われたのよ」
次の言葉を聞くのが怖かった。
「待った!」
「なによ」
「聞くのが怖いから、自分から言うわ。あんたは不死なのよね。知っているわよ」
「知らないわね。不死なのは、わたしじゃない。あなたたちよ。親から受け継がれた細胞を子どもへと永遠に先へとつないでいく。まさに、生物は不死だわ。気づかないだろうけど、遺伝子レベルでは、あなたの親は、まだ生きているのよ。その祖父母も、その祖先もあなたの遺伝子に刻み込まれ、永久に受け継ぎ、次へとつなぐ。まさに不死の子たちなのよ」
マロンは、まるで何かを恐れているかのようだった。
「雨が冷たくない、マロン。中に入りましょ」
「さっきから、そう言ってるじゃない」
「ああいえば、こう言う。何年生きてるか知らないけど。性格が悪すぎる」
「一千年よ」
雨が小降りになり、雲が切れた薄陽のなかにマロンが立っていた。背後の『ルーツ』像が雨の
わたしは、両手の親指と人差し指で四角をつくりマロンの顔をあいだに挟んだ。そして、くっしゃっと両手でそれを破壊した。
「何をしているの?」
「何をしていいか、わからないから。手であんたを崩してみた」
「全く、相変わらずの変人で、意味がわからない」
「中へ入ろう。春とはいえ、雨に濡れると肌寒いから」
それから、ふたりで、おしゃれなカフェに入った。適当に飲み物を注文して、これまで、わたしが何をしてきたかを話した。
そんなことを話したいわけじゃなかったけど。
どれくらい、そんな会話を続けただろう。
ふっと沈黙が訪れ、マロンがわたしの手を取る。
「本当だ。年を取ったのね」と、マロンが言った。
マロンの手は雨に濡れたせいか、とても冷たかった。氷のような冷たい手にとらわれた自分の手を、ぼんやりと眺めた。
わたしは、本当のことを言えば、少し怖かった。
人間の手にしては冷たすぎる肌触り。
妖……。それはどういう意味を持つのだろう。
「もとの、もとの夫だけどね。あの
「ええ、たぶん」
「説明してくれる?」
「わたしは責任を感じなきゃいけないようね。責任って……、長い時を生きてきたけど、はじめて芽生えた感情だわ。責任を持つって、興味深い感情だわね」
彼女は不思議そうに感想を述べた。それは、いつものように他人事のようだった。
わたしは顔を伏せ、目の前にある冷えてしまったコーヒーを口にふくんだ。それから、所在なげにソーサーに置かれたスプーンで遊んだ。これが、世界でいま一番の関心事のような態度でスプーンでコーヒーをかき回した。
マロンも、また、同じようにスプーンを転がしている。
「ねえ、わたしのこと好きなんでしょ」
マロンの顔が奇妙にゆらいだ。なぜか、わたしは、この時、はじめてマロンのことで正解を言った気がした。
(つづく)
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