最終話 あれから、12年後





 わたしは、データを持って大学の理工学部で研究をする陽鞠ひまりを訪ねた。彼女の専門である声紋分析を頼むためだ。


 ボサボサ髪に白衣を着た陽鞠。

 対面で会うのは数年ぶりだが学生時代のように、ただ片手をあげてニッと笑いかけてきた。


「おや、まだアメリカじゃなかったの」

「お、珍しく、わたしの行動を知ってたか」

「たまにな。世間に降臨する」


 わたしの結婚も離婚も知らない浮世離れした彼女は、アニオタの情熱を声と音の研究にふり向け、そのオタク的な高い集中力で居場所を築いた。


 声紋分析を依頼すると、「これまた、面白いわね」と、鼻をすすった。


「急ぎで分析して欲しいの。もし、このふたりの声が別人とわかれば、警察に捜査依頼ができると思う」

「もし、一緒だったら?」

「それは、おそらく、精神に異常をきたしているという証拠になるのだろうけど」

「誰の声?」

「元夫の声よ」

「モチ。いつのまに結婚して離婚した」

「今更か。いちおう結婚の案内は送った」

「ほお、初耳だ」


 いかにも研究者然とした彼女は、わたしの肩に触れると、「大変だったようだな」と、軽くほほ笑んだ。


「さあ。音声データをみせてみよ」


 できれば、別人物であってほしいと思っていた。そうすれば、これは自殺ではなく、事件の可能性がでてくる。


「人の声ってのはな」と、彼女はUSBメモリをパソコンにつなぎながら言った。

「周波数に特徴がでる。さあぁってと、待てよ、我が愛しのソナグラフで分析するからな。ええっと、ここ。さあ、どうだ? 高音で、高いピッチじゃなく、つまり性別、男は音の高低差が女性より低いからね、男性のほうが分析しやすいって、あるわ……よっと、さあさあさあ、こいつの周囲の雑音を消してみ。いいぞ、わたし。さすがだ。じゃ、結果を調べてみようか」


 ふたつグラフが画面にあらわれた。


「どう?」

「これは、同じ人だな。同一人物の声だ。話し方の癖を変えてはいるけど、わたしを騙せない。てか、ソナグラフは間違えない」


 聞く前から確信していたことだ。佐々波光宏との付き合いは十年を超える。それでも間違いであって欲しかったのだ。


 とくに彼らの会話に、光宏が知るはずのない情報があった。なぜ、彼がそんなことを知っているのか理由がつかない。


 光宏は、こう話していた。


『そちは騙されたのであろうな。妻となったオナゴを好きになったキッカケは遊びのようなもの。ちがうのか? そなたが愛したオナゴと、妻となったオナゴは違う人物なのだ』

『そんな、馬鹿な。ありえない』

『彼女は、そちを誘惑するために策略を巡らしただけだ。姫とは、そういう冷酷なオナゴだ』


 オンラインゲームの世界でしか彼女の存在を光宏は知らない。結婚後、わたしは、うしろめたさから光宏にマロンのことを教えなかった。


『姫とは、どういう人なんだ』

『一千年の時を生きるあやかしだ』


 光宏が持っていたUSB画像は、恋神マロンだ。なぜ、そんなものを光宏が所持していたのか。その理由もわからない。思えば謎ばかりだが。


「わたしって、ほんともう昔とちっとも変わってないな、陽鞠」

「いや、かわったぞ。たぶんな」

「そうかな」

「そうだ。また、数年後に会おう」


 その言葉を背中に受けながら、わたしは大学をあとにした。



 自宅に戻ったわたしは、色褪せボロボロになった冊子『深草の女房日記』の解読をはじめた。


(第二章につづく)

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