恋に落とす方法 6



 翌朝、マロンはいなかった。

 家政婦が来て「朝食のご用意ができています」と告げる。いつものように隣室のテーブルに朝食が置いてあった。


「マロンは、まだ起きてないんですか?」

「お嬢さまは、お出かけされました」

「どちらに?」

「存じあげません。ただ、伝言を預かっております」

「教えてください」

「あのストライプのワンピースを着て、大学に行きなさい。だそうです」

「マロンが帰ってきたら、ゆっくり話そうと、お伝えください」

「承知いたしました」


 マロンは気まぐれだから、大学から帰るころには屋敷に戻っているだろう。今日は、何も聞かずにゲームをして、いつものように大騒ぎをして、笑って楽しもう。


 そんなことを考えながら、屋敷を出て大学に向かった。


 大講義室の101教室で行う授業が最初だった。

 ぼうっと歩いていると、教室に入る前に肩を叩かれた。振り返ると、佐々波光宏ささなみみつひろが立っている。


 思わず逃げようとした。


「モッチン、話したいんだ。逃げないでくれ」

「あの、あの、なぜ、ここに」

「『シショウMK』からラインが届いて、この教室に来ると聞いたんだ。ストライプのワンピースを着て、昨日、あのさ、えっと……。ともかく、僕もこの授業をとっている。席につこう」


 佐々波光宏ささなみみつひろは強引にわたしの腕をつかむと、講義室へ入っていく。

 101教室は収容人数が多く、作り付けの長机と椅子はホワイトボードを中心にして、階段状に設置されている。円形になった講義室の最上階が入り口で、全体がすり鉢状になっている。


 佐々波はわたしの腕をつかんだまま、通路を数段下に降り、立ち止まった。

 だめ、こっち見ないで、頬が熱すぎる。きっと、真っ赤になっている。


「ここでいいかい?」


 空いている席を示す彼の声が優しい。

 マロン、陽毬、マロン、陽毬。これ、どっちに連絡すべき。


「え、ええ」

「さあ、すわって」


 わたしが奥に入って腰を下ろすと、通路側に佐々波もすわった。


「あ、あの」

「僕の名前は、佐々波光宏ささなみみつひろというんだが。知っていると聞いたけど」

「は、は、はい。知っておるぞ、じゃない。知っています」


 冷や汗がじんわりと滲む。スカートに視線を落としたまま、顔を上げられない。スカートの乱れを直すふりをして、頑固に下を向いていた。


「本当に驚いたよ。偶然、ゲームで仲間になった人が大学でいっしょだなんて」

「はい。あの」


 バレたんだろうか。わたしが最初から知っていて、ゲームをはじめたと、もしかしたら怒っているんだろうか。


「あのゲームはプレイヤーが多いのに、こんなことってあるんだな。奇跡みたいだ。名前を聞いてもいいかい?」


 はつくりあげるものって、マロンの声が聞こえる。


下鴨しもがもモチ、です」


 モチ、モチ、モチと、彼は三回繰り返した。彼の唇がわたしの名前を呼んでいる……、気を失う。まずい、正気を保とう。何も言うなってマロンは言っていた。そうだ、ここは、何も言うな。


「だから、モッチンか。なんで、名前の最後にXをつけたんだい?」


 なんでって、あなたがつけてるからじゃない。マロンがそう言ったから、こういう偶然が重なれば、相手は運命だと思うと。だから、その罠にかけただけで、今度は申し訳ない気もちでになった。


 わたしは何をしたんだろう。

 説明できない。


「あ、僕ばかり話してるけど。うれしかったんだよ。あのゲームが好きな女の子に出会ってさ。それも名前に同じXをつけてるなんて、本当に驚いた。それに、最初は男だと思っていたし」

「ごめん…なさい」

「謝らないで、話しすぎてるね。あの、ごめん、『シショウMK』から、僕のことを、ス……、いや、あの、聞いたんだよ」


 いったいマロン、何を彼に言ったの?


「ご、ご迷惑をかけました」

「いや、迷惑じゃない。嬉しいんだ」


 顔をあげると、照れたように笑う彼がいた。


 ああもう、気絶してもいいですか?


 マロン、わたしって、彼に好かれてるの? 教えて、マロン。どうしたらいいの? ただ、どぎまぎして戸惑うばかりのとき、一番下のドアから教授が講義室に入ってきた。いつものように、数冊の本を抱えデスクの上に置く。

 良かった、これで少し息がつける。


「あとで、ゆっくりカフェで話そう」

「ええ」

「よかった。失礼なことをしたから、断られるか心配だったよ」


 わたしは、首をふって下を向き、自分の高鳴る鼓動が聞こえるじゃないかと、心配している。


 講義は、いつものように長い演説からはじまって、それから建築学の内容に移る。しかし、一言も耳に入らない。


 チラッと横を見ると、彼が真剣な表情でノートにメモしている。

 佐々波って、なんていい横顔をしているんだろう。以前、遠くから見ていたが、今は間近にある、この横顔が好きだったことを思いだした。


 講義が終わったあと、カフェで彼とゲームの話で盛り上がった。


「あの時さ、なぜ、あの攻撃が来たんだろうか」

「だよね。あれは酷いわ。今度、あったら、必ず復讐してやる」


 そんな話ばかりをしてラインを交換して、それから、わたしたちは別れた。


 あまりに興奮していたから、彼と一緒のとき実際に何を話したかまったく覚えていない。別れたあとも、足が宙に浮き。自分がどこをどう歩いたのか、ともかく、地下鉄の駅に向かい、上の空でプラットフォームに立っていた。


 地下鉄のドアが開いても二回も乗ることを忘れた。


 人生は、あまりに魅惑的で、そして、美しくて。


 わたしは必死に叫びたいのを我慢した。

 どんなに叫んでも叫び足りないほど、気持ちがたかぶっている。


 表情のない顔で、次の地下鉄を待つ男や女たちに、子どもや老人に、すべての人にむかって叫びたかった。


 佐々波光宏ささなみみつひろは別れ際にこう言ったんだと。


「あの、先に知っていたから、なんか悪いけど。僕とつきあってくれる?」 


 つ、ついに、わたしに恋人ができた!

 ぎゃあああああ……。


 失神しそう。


陽鞠ひまり!』


 緊急絵文字をつけて、ラインした。


『どうした、モチ』

『か、彼氏ができた』

『あのな、酔っているんか』

『ほんとだって。付き合ってほしいと言われた』

『オタクよ。君との関係はここまでだったな』

『陽鞠ってば』


 最後のラインは既読無視になった。

 


(つづく)

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