恋に落とす方法 5
視線を外すと、マロンがわたしの手から、そっと逃げる。
そう、逃げた。
この傲慢が背骨を作っているような、上から目線のマロンが逃げたように感じた。
転機ってのは、こんなふうに不意打ちするものなんだろうか。
マロンには大きな秘密がある、そう漠然と感じていた。もうずっと前から、薄々、感じていたことだけど。
じっとりと腋の下に汗が滲む。
いやいやいや、そんなことを感じるのは、さすがにバカらしい。
なにが転機なもんか。
顔をあげると、何も聞くなとマロンの目が語っている。
わたしは、気づかれないように、そっと視線をはずして、強いて陽気な声をあげた。
「わ、わたし、どうしたらいい? その佐々波のことだけど」と、聞いた声が揺らいでいる。
「まずは、つき合ってみることね」
その声には先ほどの怯えもなく、いつもの強い調子だった。
「付き合えるんだろうか?」
「ここまでお膳立てして、これで相手とつき合えないなんて、はっきり言って、尼寺に行きなさい。もうそれしか、あんたの未来はないわよ」
「行ってやるわよ。尼寺でも、なんでも。行ってやるわよ」
わたしたちは、いつものように言い合いをした。
「ほおお、尼寺で髪を切るのか。よかろう、モチ、今から切ってやる。わたしが切ってやる」
「ハサミなんてないもんね」
「あるわよ、ほら、ここに」
「なんで探す」
マロンが薄目でハサミを持ちながらにらんでいる。
「いや、ここ。ハサミの登場はなしで。そもそも紙を切るもんだから」
「あのな、核心がずれてる。髪を切るのは尼寺行き確定だからだろう」
「ちゃうわ!」
「自信がないんだろう」
「あるわ。きっと、彼はわたしが好き」
「おお。なんと言い切ってる」
「ち、ちがうの?」
核心を避けて、その周囲で、どうでもいいことばかりで言い争った。
これから、どうするのかとか。
突然、会話が切れ、わたしたちのバッテリーも切れた。
「わたしたち、なんか惑星みたいよね、マロン」
「何を言いたいのか、相変わらず、
「太陽のまわりを周回する惑星みたいに、ぐるぐる回っているだけで、太陽に到達しようとしていない」
「太陽の熱に近づくと、焼かれて、死んでしまうからよ」
「マロン」
わたしは何を言いたいのだろう。
彼女を問い詰めたいのだろうか。その先には何が待っているのだろう。なにか恐ろしい人智を超えたモノに遭遇するような気がした。
だから、わたしは笑った。ふたりの間にあった緊張が溶けていく。
「マロン、この先をどうしたらいいの?」
あきらかに、ほっとした表情を浮かべ、マロンも笑った。
わたしたちは、しばらく、ただ声にして笑った。その意味も、笑う意味も理解できずに、ただ、なにかに怯えて逃げたのだ。
いいのか、モチ。
こんなでいいのか?
わたしのなかで、何かがしきりと囁いている。
「世話が焼けるわ、本当に。次は実際に会うしかないでしょ」
「どうやって」
「大学の彼と一緒にとっている講義に行くのよ。きっと佐々波からアプローチしてくる」
「だって、彼から逃げたのよ」
「だからこそよ。この恋愛初心者」
「もし、来なかったら」
「さあね。ただ、明日の夜、ゲームに参加するって言ったから」
「うっわ、できない。ゲームでも会えない」
「アホ。明日、必ず大学に行きなさい」
そういうと、赤いガウンを翻して、マロンは部屋から出ていった。
なぜか、追いかけることができなかった。わたしは、そのままの姿勢で立っていた。それから、いつものように寝袋に入って眠った。
その夜、マロンは戻ってこなかった。
(つづく)
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