恋に落とす方法 4
わたしは驚いてマロンの二の腕をつかもうとした。絹のガウンに、スルッと手が滑りマロンの手首をつかんでしまった。
ひんやりとした肌の感触に、はっとする。
「マロン、何を書いてるの」
「見ての通りよ」
「バレちゃうわ」
「バラしているのよ」
マロンは、わたしの手を、まるでモノを扱うように手首から外して、キーボードに文字を打ち込む。
──えっと、ワンピースだったよ。しかし、女性のファッションって、よくわからん。
──色は?
──なんで、そんなこと聞くんだ。
マロンの指が優雅にキーボードから離れた。
そのまま返事をせず時計を見ている。
ただ待っているだけ、きっと、佐々波にとって返事がこない時間は長いだろう。彼が困っているかもしれないと思うと、こちらまでドキマギした。
時計の針が一分を過ぎて、やっとマロンはキーボードに向かった。この一分は長い。永遠にも思えるほど長い。
──わたしも、聞くのが怖い。
──どうしてだよ。
──わたしね。今日、後ろ向きに走って逃げたの。
──大学で?
──まさかと思うけど。もしかして、専攻は建築科?
──ああ、そうだ。
──わたしも。
すぐには返事が来なかったが、その前に、マロンはゲームから退場してしまった。
「え? マロン、消しちゃったの? どうして。彼、なんて言うかわからないじゃない」
「これは賭けよ。わたしたちはお互いに仲間として信頼を培ったわ。これで、三十分後、彼がいなかったら、負けよ。あきらめたほうがいい」
「嘘」
「バカね、わたしは、どういう女?」
「どんな男でも落としてきた、最強のモテ女」
「そうよ。この賭けに負けるわけないじゃない」
「でも、でも、こんなふうに放っておくなんて」
「さあ、お風呂でも入っておいでよ」
「でも」
「ええい。こんな荒技を使う羽目になったのは、なぜだ」
「わたしが逃げたから」
「そうだ。だから、もう一回、逃げとくのよ」
ピンっという音がして、ゲーム上で、マロンに誰かがチャットを求めている。
「勝ったわ」
「え?」
マロンは自分のパソコンに向かうと、すわった。
──どうしたの?
──あのさ。ちょっと前に、モッチンとチャットしていたんだけど。彼女、消えちゃってさ。仲がいいだろう? もしかして、リアルで連絡取れる?
──取れるわよ。
──よかった。僕、なにか悪いことしたか、聞いてくれる?
──待って、ラインをしてみるから。何かあったの?
──ちょっとね。
なんて優しくていい人なんだろうか。
やっぱり、彼が好きだ。
今日も寝起きでゼミに来たんだろう。ちらっと見たとき、髪がくしゃくしゃに乱れていた。あわてふためいていたから、あまり顔を見ることができなかったけど。前より少し髪が伸びていた気がする。
──モッチンがゲーム上から消えたんだ。
マロンが適当な返事をしている。『さあ』とか『わたしは聞いてない』とか、傍観者として見ている自分が辛い。
──僕がなにか悪いことを言ったのかなあ。連絡が取れたら、心配していると伝えてくれるか。
──わかったわ。明日、また連絡するわ。モッチンには話しておくから。
──ありがとう。
チャットに、『ミツバチK』がアクセスしてきた。マロンは彼をチャットに引き入れる。
──今日は、どこのギルドで戦う?
──ごめん、ミツバチK。今日はモッチンが入れなくてさ。わたしも抜ける。#ごめん。
ゲーム上の『シショウMK』が、「#ごめん」というコマンドに反応して、頭を下げた。
『シショウMK』が画面から消えた。
「どうするの?」
「どうするって、相手の反応を見たでしょ。逃げても怒ってないし、嫌ってもいない」
「わたしのこと好きなのか……な?」
「この段階で、好きとか嫌いとかはないわよ。ただ、好きになるだろうって予想はできるけど」
ドキドキすると同時に怖くなった。
男の人が、わたしを好きになるなんて体験、これまでなかったから。もしかして、自分は未知の領域に達したのか。
もし、彼がわたしを好き? いや、ムリ。そんなはずはない。
でも、もし、そうなったら。
「ねえ」と、マロンが冷たい目で見ている。
「わたしの声が聞こえているかしら、モチ。さっきから、ずっと、そこで、赤くなったり、胸を抱いたり、気持ち悪いわよ」
飛び上がって、マロンのもとへ行った。
「あ、あの、彼、わたしのこと、どう思っていると思う?」
「それはね。これからでしょう。嫌われてないんだから、あとは、好かれるだけでしょう」
「それって、それって、つき合うってこと?」
「そこまでなら、簡単よ」
「簡単じゃないわ。それができないから、弟子入りしたんじゃない」
マロンはなぜか寂しげにほほ笑んだ。
「恋に落ちるっていうじゃない。そこまでは簡単なことよ。恋のために、運命の出会いはつくりあげられるけど、わたしは愛を知らない」
「同じことじゃないの」
「あんたもわからないのね。愛は落とすものじゃなくって、育むことらしいわ。わたしに、それを期待しないでちょうだい」
マロンはいったい何を言っているのだろう。意味がわからなかった。わたしは恋も愛も同列に考えている。
「愛を知るようにと言われたわ」
驚いたことに、彼女は怯えたような表情を浮かべている。
「誰が、そんなことを」
「わたしが恋に落ちた人によ」
「いい男?」
「さあ、つき合ってないから」
「師匠でも、ダメだったなんて、相手は?」
「もう、死んだ」
死んだ?
聞いてはいけないことを聞いた気がする。
毎日のように屋敷に入り浸っているが、彼女の親に出会うことはなかった。執事のような男と、家政婦の物静かな女性。このふたりしか、屋敷に住んでいる人はいない。月に一度、業者が屋敷全体の大掛かりな掃除をしているようだが。
再び、彼女の素肌にふれた。そのひんやりとした感触に、マロンと目が合った。
(つづく)
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