恋に落とす方法 2




 マロンは計算高いというより、『論理的』だった。


 理論的に自然な感情を吐露とろするという矛盾を抱えた存在なのだと思えてきた。息を吸うように人を騙すのは、もう天性なのだろう。生まれ落ちた瞬間から、たぶん、わたしに欠けている特性なんだ。


 わたしは人を意識しすぎて態度がぎこちない。だから、逆に作っていると思われてしまう。ことさらに緊張して、結果として突飛な行動で笑われる。


 女友だちは、そんなわたしを不器用だから好きというけど、男たちには評判が悪い。


 いってみれば、天下の大女優と大部屋の大根役者が、同じ舞台で勝負するようなものなんだから、マロンは理解しなきゃいけないと思う。彼女と同じ態度なんて、わたしには、まったく不可能だ。


「そもそも恋愛を成功させる最重要事項、その一。まず、友人を目指す! 相手が好意をもって近づいてくるなら、好きをダダ漏れさせてもいいわ。それ以外なら、最初は友だちからってのが定石よ。いきなり、好きって告白しても、好きだという態度をとるのも、ぜんぶNG。嫌われるだけ。そういうときの男って、たいてい残酷。女もだけどね。人って残酷なのものよ、弱いから」

「師匠は男と友だちからなんて、はじめないでしょ?」

「当然よ。それに相手を見れば、こちらに気を向けさせるなんて簡単よ」

「占い師ですか」

「経験よ。男性から夢中になられた経験がないから、あんたには、わからないだけよ。男たちの欲望に飢えたような視線は大変なの。だから、これでも痛い目にあっているのよ」


 マロンは両手を広げてから、その手をまるで自分のものではないかのように見つめた。その細く傷ひとつない白い手に罪があるとでも言うように。


「ともかく、行ってきます」

「大丈夫よね。ぜったいに言葉をかわしちゃだめよ。わかっているわね」

「わたしを信じなさい!」


 マロンが深く息を吐きだした。


「それができたら、こんなに心配していないわ。過保護な母親みたいに自分がなるなんて本当に驚くべきことよ。あんたが女に好かれる理由がわかるわ。いい、教室に入ったら、スマホの音声をオンにしておいて、内容を聞いてるから」

「心配ご無用! じゃあ、行ってくる」


 マロンは屋敷の門までついてきた。わたしは、慣れないヒールでも颯爽と歩いた。


「ほら見て、かっこいいでしょ」

「かっこいいわ。だから、気をつけるのよ」


 風が心地いい。


「下鴨モチ!」

「オウ!」

「がんばれ!」


 振り返らず、背後にむかって手を振った。




 屋敷から大学まで、地下鉄に乗って十五分ほどで到着できる。大学の正門をくぐり、まっすぐに『中世文化・建築史研究室』のゼミ教室に向かった。


 一歩足を進めるごとに、不安が波のようにおそってきた。

 自然によ、自然な態度で。

 話す必要もないんだから、いい、モチ、自然よ。


 呪文のように唱えながら、講義室に向かう。


 理工学部が集まる建物は旧校舎にあり、フランク・ロイド・ライトの建築を真似たプレイリースタイル様式で建設されている。

 ゼミ室は二階廊下の端にある。

 ドアは開いたままになっていて、わたしはおずおずと教室をのぞいた……。まん中に大きなテーブルがあり、囲むように20席くらいの椅子が並ぶ、どのゼミ教室でも同じようなものだ。


 同じようなものなんだけど、ここに彼がいる。

 そう考えるだけで、ドキドキした。


 ゼミの開始は午後三時から。

 講義がはじまる前だと、無駄に話さなきゃならないから、ギリギリの時間か、少し遅れて行くようにとマロンからの指示だ。


 数人の学生が席についている。

 教授はまだ来ていない。もう少し外で待とうかと考えながら、心配しているだろう、マロンにラインした。


『目的地到着。廊下に待機中』

『まさか、ドアの前でおろおろしているの』

『なんで、わかった』

『すぐ中に入って、いちばん隅の目立たない席にすわりなさい。堂々とするのよ。ターゲットは?』

『もう、一回、中を確認したほうがいいですか?』

『すぐに中へ』


 それでも迷っていると──。


「すみません」


 いきなり背後から声が聞こえた。この声は、まさか……。


『し、師匠』

『どうした?』

『うしろに、たぶん、あの方が』

『まさか、ドア前で邪魔をしてるんじゃないわよね』


 後ろに佐々波光宏ささなみみつひろがいる。まちがいない。息遣いさえ聞こえる距離だ。

 入口の前で中に入ることも、背後に下がることもできなかった。体が固まった。


「ちょっと悪いが」と、また声がする。


『たぶん、塞いでます。逃げます』


 そのまま後ろ向きで、わたしは後退した。ススススッと後ずさる熟練技を発揮した。


 スマホが鳴っている。


 猛ダッシュして走りながら、横目で唖然とした佐々波光宏ささなみみつひろを確認。


 その後、スマホ画面をスワイプして音声電話に出る余裕ができた。


「師匠」

「今、何をしている!」

「走って逃げてます。たぶん、ターゲットは気づかなかったかと」

「バカ! 思いっきり気づかれてるわよ。今日はもうなすすべもないわ。帰ってきて」


 マロンの声に後悔したが、今更、どうしようもない。ともかく、今は逃げよう。この場を去って、すべてなかったことにしよう。


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る