第三章 How to 恋愛

恋に落とす方法 1




 わたしたち四人は翌日の夜も、翌々日の夜も、翌翌々日の夜も、翌……、つまり、ずっとオンラインゲームを戦いぬいた。


 マロンは、諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいばりの策士だけど、実際のゲームプレイでは、からきし弱く皆の足を引っ張る『シショウMK』。


 わたしは動きが早くすばしっこく、時に防御、時に伏兵として活躍するエルフ。


 謎の存在であるハンドル名『ミツバチK』は頼りになる兄貴分として、ここぞという時に繰りだすナイスな攻撃で戦力になっている。


 そして、『コーキ−X』こと佐々波光宏ささなみみつひろは、攻撃の要。誰かが失敗しても、「大丈夫だ」と慰めてくれる男気があるプレイヤーだった。


 戦闘を繰り返すうちに、奇妙な友情が芽生えてくるものだ。わたしたちは古い友人のような信頼関係をもつ仲間になっていた。


 夜、彼らと出会って、ゲームをする至福の時間。

 大学のキャンパスは広く、めったにリアル佐々波光宏ささなみみつひろに出会うことはなかったが、ゲーム内では信頼できる親しい仲間になっていた。





 その日、いつものようにキッチンで前日に家政婦が用意してくれた朝食を食べていると、マロンが気怠げな様子でカウンターに向かい、カップにコーヒーを注いだ。


 寝起きって誰でもそうだと思うけど。わたしはかなり悲惨で、髪は寝癖で乱れ自由に飛びはね、目はしょぼしょぼして、顔全体が浮腫むくんでいる。


 しかし、マロンは夜でも朝でも常に変わらない。

 白い肌はきめ細かくなめらかで、傷ひとつない。嫉妬レベルを、はるかに超えた美しさで、朝からコーヒーを片手に憂えているなんて、世の中、ずるくないですか?


「例の山ノ内ゼミ、今週から聴講が可能だけど」


 マロンがコーヒーの匂いを嗅いでいる。


「ゼミに今日の午後から行くのよ」

「ひとりで?」

「わたしが行ったら、まずいわよ」

「どうして」

「男全員がわたしに夢中になるだけよ。佐々波なんて秒殺よ」


 ときどき、いやもっと多いけど、彼女の後頭部をはたきたくなる。もちろん、コブシで。こいつは、いっぺん死んでやり直す必要があると、たぶん全人類が考えると思う。


「さあ、ゲームでは打ち解けたんだから、これからが本番よ。ファッションも考えなきゃ。その、白いトレーナーとジーンズっていう定番スタイル? おまけに白って原色。色的にも、あんたに似合わない。色黒のあんたには白はだめ。せめて黄身がかっていれば、まだいいけど」


 マロンは容赦がない。

 お世辞とか思いやりって言葉が、きっと辞書にないから、以前はしんどい時があった。最近では慣れて、逆に辛辣じゃないと奇妙だと思ってしまう。


「さあ、化けるわよ」と、マロンに背中を押されてクローゼットに向かった。


 前に一度、入ったことがあるが、わたしのアパートの部屋くらい広い。そこに丁寧に整頓された洋服が吊り下がり、一角はバッグと靴のコレクション。贅沢とは、こういうクローゼットを持つことだろう、きっと。


「これを着てみて」と、茶と白の薄いストライプが入ったシャツワンピースを取り出してくる。

「わたしのほうが、身長が高いし体重もあるから。師匠の服は着れないわ」

「これは、大丈夫よ。サイズもぴったりのはず。あんたは、こういう知的で大人っぽい服が似合うし、それに、男って案外とこういうファッションが好きなのよ。それに、顔に特徴がなく平凡だからこそ、化粧映えがするだろうし」

「それ……、めたよね」


 マロンは、「ほら」とワンピースを手渡す。これまで着たことのない服を試した。コットン素材で肌触りがよく、ウエストがくびれ、微妙にスカート部分が広がっている。


 鏡の前でチェックするマロンの目は真剣だ。

 首もとに、細いチェーンをつけると、「すわって」と言った。


 髪に軽く水分を吹き付け、ドライヤーでセットする。これまで出していた額を前髪を下ろして隠す。


 顔には軽く白粉をはたき、目もとを随分と塗ったが、実際に鏡を見た時は驚いた。まるで素顔のように自然だったのだ。


「まあ、こんなものね」


 マロンはそう言ったが、鏡に映る自分は自分ではなかった。何がちがうかわからないが、本来のわたしとは別の大人っぽい女がそこにいた。


「いいこと、ゼミは少人数だから、彼と会話するチャンスがあっても。ぜったいに、こちらから話しかけないのよ。向こうから挨拶されたら、にっこり笑って、頭だけ下げておいて。さあ、目の前に佐々波がいる。挨拶、やってみて」

「こ、こんにちは」

「ダメね」

「え? どこが?」

「自然じゃないのよ。声がうわずってて。いかにも、わたしは緊張してますって態度になっている。もう一回、もっと自然に挨拶」

「よっ、こんちわ」

「それじゃあ、慣れすぎよ。もっとエレガントに、軽く小首を曲げて、いや、それじゃあ、曲げすぎ、ほんの少しよ。そうそう、そして、薄くほほ笑みをうかべ、こら、薄笑いになってる。怖がらせて、どうするの! 両端の口もとを優しくあげるのよ。目もとをさげ、そして、少し恥ずかしげに、男慣れしてない感じを取りいれながら、視線は顎あたりで、挨拶したら、少しだけ思わせぶりに戸惑う」

「わ、わからん」

「チッ、こうよ!」


 マロンは後ろを向くと、怒りにまかせて、どたどたとクローゼットの端まで歩いていった。

 立ち止まると、肩が上下に揺れ、いったん息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。背筋がすっと伸びた。


 くるりと振り返る。


 視線が上にあがり、軽く周囲を見渡す。

 あ、こちらに来ると思ったけど、来ないのだ。再びうつむいて、もじもじした様子で、救いを求めるように動かない。

 

 どうするの?

 どうするつもり?


 はじめての場所に怯えているようだ。そして、意をけっしたのか、前に一歩すすもうとして、再びやめた。美しく細い手が自分を守るように喉もとを軽くおさえる。

 もう、その段階で、彼女を助けたくなっている。

 

 それから、驚くほどきっぱりとした歩き方で、わたしに近づいてきた。


 普通、はじめての人との距離間は一メートルほど開ける。これは動物としての本能だ。

 だから、人との距離間で、その人たちの関係性と親しさが測れる。


 マロンは、わたしがすわっているスツールまでくると、恐れを抱いているような視線を浮かべたが、距離が近い。五十センチもないと思う。


「こんにちは」


 軽く言って自然にほほ笑むと、そのまま、すっと後ろにさがって別の場所に去った。


 もう少し話したいと思わせる巧妙なテクニックで、すでに去っていた。


 天才だ。これはもう天才の手腕だ。わたしに真似できるはずがない。マロンの神業は、これほど技巧的なのに、わざとらしくないことだ。女優になれば天性の演技力って評価されるだろう。

 

「できない」

「いいわ、多くは期待しない。ともかく、静かにしているのよ。ゲームのことは絶対に口にしない。お互いに初対面だからね」

「なんか、マロンって、母親みたい」

「母さん、こんな役立たずの子どもを育てた覚えはないわ」

 

 わたしたちは怒ったように目を合わせ、それから、同時に吹き出していた。


(つづく)

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