オンラインゲームで男を落とせ 4




 わたしはサラリーマンの父とパート主婦の母のもとで育った平凡な娘だ。


 都内の大学に通うために狭いアパートに住み、両親からの仕送りもギリギリで、やっと生活ができるくらい。


 一方、マロンが住むのは別世界。とほうもない金を持つセレブ世界で、それでも、いつしかこの別世界に慣れた。


 大学とマロンの屋敷を往復する日々が普通になって、いいのか、わたし。まずいんじゃないかって、心の片隅では思っている。


「どうして佐々波を好きになったの?」


 ある日、面と向かって問いただされ、わたしは少し困った。はじめて出会ったのは、あの大講義室で、彼の笑った顔がなんとも素敵で、すごく可愛かった。


 いつから恋したなんて、明確な時間はわからないけど。ともかく、それは美しい瞬間だったことはまちがいない。


「ピピピって」

「なに、そのピピピって」

「そういう気持ちってない? 雷に撃たれたみたいな」

「ない。それに、あんたの場合、雷にしょっちゅう撃たれていそう。高校の頃、名前なんだっけ。星みたいな男子に夢中だったでしょ」


 嫌なことを思い出した。マロンが横からかっさらった星川健太郎。


「あんたが横から盗んでいった」

「そうだっけ」

「あの日、家に帰って一晩中、泣いたわ。なんで、そう見境なく男とつきあうの?」


 マロンは答えをはぐらかしたいのか、パソコン画面を向いている。


「今日の夜、彼とファーストコンタクトを試みるわよ」と言ってから、マロンは上下の唇を合わせて、パっと軽く音をたてた。


 唇が半開きになった表情が、なんとも無邪気でかわいい。


 今朝起きた時、マロンは映画『ET』を見ていた。だから、会話がSF的になっているのも機嫌がいい証拠だ。


 意外なことにマロンは映画通で、古い映画から、たとえばチャップリンのモノクロ映画から現代に至るまで好きな作品が多く、その知識量に驚くばかりだ。いったい、二十一年間の人生で、これほど多くの作品を、いつ鑑賞できたのだろう。


「ついにですね」

「そうよ、歴史的瞬間よ」

「そんな、大袈裟な」

「あら、ファーストコンタクトってのは歴史よ。それですべてが決まると思っていいわ」

「がんばります」

「いや、モチ。逆にがんばらないで欲しい。あんたががんばると、たいていの場合」と言って、彼女はニッと笑った。

「たいていの場合?」

「お昼にしましょう」


 今日は大学の講義がなく、佐々波光宏ささなみみつひろがゲームに参加するのも、午後七時以降だから時間があった。


 何もすることがない日って貴重だ。


 昼食を食べたあと、マロンもわたしも、ぼうっとベランダで過ごした。ふたりの間には、こういう何もないが居心地の良い時間が増えた。あの恋神マロンといて居心地がいいなんて、驚くしかないのだけど。


「ねぇ、モチ。昨日の夜、寝言を言ったわよね」

「寝言? わたしが? ぜんぜん自覚がないけど。ふだん、寝言なんて言わないけど」

「眠っている間に自分が何をしてるかなんて、わかるの?」

「寝返りも打たず、まっすぐに体を横たえている、はず」


 マロンは首を振った。そういえば、いつもわたしが先に寝てしまい、彼女の寝顔を見たことがなかった。


「自分の寝相を見られないってのは、人類にとって幸運の一つね」


 わたしは、まったりとした気分でベランダの白い椅子に斜めに横たわり、庭へと視線を泳がした。


 小春日和で、風もないおだやかな日で。


 太陽の光にキラキラと木々の葉っぱが輝いている。都内ではなく、どこかの高原にいるようだ。


 遠くから、鳥の鳴き声も聞こえ、こんな日は、つい神さまに愛されていると錯覚してしまう。


「それで、どんな夢を見ていたの」

「普段は夢なんて覚えてないんだけど。でも、昨日の夢は覚えていて……、奇妙な場所にいて、例のゼミ内容を予習したからかしら? 平安時代の姫さまがいそうな場所がね、奇妙なほどリアルだった。あの建物は寝殿造りよね。朱塗りの柱が美しくて。そこで、わたし、立っていた。どんな寝言を言っていたの?」

「ごにょごにょと、意味不明な言葉よ。ただ、聞こえた単語は、『後の月』とか。聞きまちがいかもしれない……」


 そう言ったマロンの顔は青白く見えた。この一週間は健康的な生活とはいえないから、体調を崩したのだろうか。


「後の月って。知らない言葉、どういう意味だろう。とても月がきれいだったわよ。庭の池にかかる橋の上にいると、いちょうの葉が落ちてきたの。それが、本当に美しくて」

「となりに、誰が……、いた…の?」

「となり?」


 となり?

 誰がいたのだろうか。よく覚えていない。そういえば、宴会なのか、衣冠をつけた男たちが赤い絨毯にすわって歓談していた。


「口がきけぬのか?」


 わたしの口から思ってもいない言葉が飛び出した。


 マロンは醒めた女だ。どんなときも感情的になったり、驚いたりすることはない。だが、この時、彼女はベランダの椅子を押し倒して、いきなり立ち上がった。そして、ブルブルと震えはじめた。


「マ、マロン。どうしたの?」


 彼女は何も言わず、両手で顔をおおうとベランダから去った。


 マロンは気まぐれだから、こういう態度には慣れている。数時間もすれば、けろっとして何事もなかったかのように戻ってくるだろう。


 しかし、その日はゲームがはじまる夜になるまで、マロンはどこかに消えて戻ってこなかった。



(つづく)

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