最悪の敵、モテ女のテク 8
「では、
ごくりと唾を呑みこみ、わたしは居住まいを正した。
「まず基礎知識として聞くけど、これまで、彼とどんな接点があった?」
「ほとんど話したことないですけど」
「建築学部で一緒だから、共通の講義を取っているはずね」
「週に二つの講義が一緒で、どれも101教室で行われているんです」
101教室は大講義室で座席数が多い。おまけに必須科目なので、出席している生徒も多く、たいてい100人近くは聴講している。
「つまり、一般教養レベルの授業ばかりね。不幸中の幸いだわ。向こうはあんたを全く意識していないでしょうね」
「え? でも、そうとも言えないです。五ヶ月前ですけど教室でぶつかって、それで押し倒してしまって」
「押し倒されたんじゃなくて、押し倒したの」
マロンは優雅に左手をあげて口もとを隠した。部屋着の赤い生地がサラサラと音をたてて動く。そんな様子でさえ雑誌モデルみたいで、思わず見惚れて言葉につまった。
「それで?」
「そっ、それで、『ごめんなさい』って謝ると。『イタッ』と言われて、『大丈夫ですか?』って聞くと、彼、ニコってしたんです。だから、たぶん」
「いや、その、たぶんの先、聞かなくても想像できるけど、一応は聞いてみようか」
「わたしを見てくれたんです。ニコって笑ってくれて、だから好印象だって思う」
「つける薬のない下鴨モチ。想定内のことを一応は確認するが。たぶん、それが好きになったキッカケでしょ」
「え? どうしてわかったんですか」
「わからない方が驚くわ。それは、全てなかったことにしていいわよ。いっそ、忘れなさい。その後は、どう?」
「教室に行くたびに、好きって念を送ってます。きっと気配を感じてくれてるって思います」
両手で拳をにぎり、マロンの前で力強く上下にふってみた。気のせいかもしれないけど、納得してない顔をしている。
「下鴨モチ」
「はい」
「この計画、降りてもいい?」
「な、なんですか。急に」
「言いたくはないけど、絶望しているからよ」
彼女は話しながら、壁際にあったサイドテーブルから、書類袋をとってきた。
茶封筒の上部には、『
わざわざ、興信所を使って調べたなんて、なんか
「その訳のわからない念より、役に立つ情報よ」
「あの、いいんですか? 他人のこと勝手に調べても」
「いい? あなたの場合ね、こういう詳細な情報なくして、どう相手を落とせるのかわからないわ。前に言ったわよね、『恋愛こそが情報戦』。SNSの情報だけでは、心もとないから。それに、そのアフターフォロー興信所は、わたしの会社なのよ」
マロンは皮肉に笑った。
「男性と付き合うために、はじめて興信所をつかったわ」
「師匠は使わないんですか?」
「わたしに、必要あると思う?」
「いえ、ありません。きっちりないと言い切れる自分が悲しい」
今度こそ、マロンは手で口を隠しもせずに笑いだした。
それにしても大学生で会社を経営なんて。
学生起業家というニュースを見るけど、身近で知ったのははじめてだ。それも、どこか怪しい興信所なんて普通じゃない。
知れば知るほどマロンは謎。いっそ興信所を使って、彼女について調べたい。
「読まないの?」
「よ、読みます」
書類は数ページにわたっていた。
『
へええ、九州出身なんだ。
『身長一七八センチ、体重六十八キロ。
主な資格:普通自動車第一種運転免許、英検2級、電気工事士第二種取得。
家族関連:父親は九州で健在。ひとりっ子。
父親の勤務先は、地元の●●●酒造会社。
母親は幼い頃に他界。
【略歴】
福岡県内にある公立中学校から進学校である公立高校に進み、現大学に合格。所属サークルはテニス部。趣味はオンラインゲーム。現在プレイ中は、RPGゲーム『ニーズヘッドサーガ:歴史転生』、ハンドル名『コーキ−X』。
現在の住まいは、川崎市のアパート。
大学での単位履修は……』
好きな食べ物から、酒の好み。よく行く居酒屋など、詳細な情報が書かれていた。読み進めると、自分の恋している相手とは違う人物のように思える。
なぜだろうか?
そこには血の通った人間がいないのだ。
たとえば、彼の顔立ち。彫りが深くて九州男児らしい。二重の目がきれいだけど、鼻が大きくカギ鼻で、だから全体のバランスが崩れているとか。身長に比較して、ちょっと足が短い気がするけど、そこがチャームポイントでかわいいとか。
髪は軽い癖毛で首もとでカールしてる。自然な黒髪が、くしゃくしゃな時があって、それは朝寝坊してセットする時間もなかったんだろうとか。
トレーナーとジーンズ姿が多く。歩いているときは猫背になりがちで、両手を後ろのポケットにいれて、ひょこひょこ歩く
友だちとふざけているとき、頭を後ろにのけぞらして大笑いする。そんな時には目がなくなってしまうとか。
わたしの知っている
イケメンという意味なら、彼よりいい男は多いだろうけど。わたしにとっては最高に魅力的だ。
なぜ、そう思うかなんて理由などない。
出会った瞬間に惹かれ、それから、ずっと彼ばかりを追ってしまう。
なにより彼の姿が見えただけで、わたしはドキドキする。その至高の瞬間とか書類には欠けている。
身長とか、体重とか、親とか、大学とか。こんな陳列棚に並んだサンプル品のような人じゃない。
「彼が入っているゼミを知っている?」
わたしは首をふった。
「書類の最後に書いてあるでしょ。中世文化及び西洋建築史研究室よ」
「ほんとだ」
「そこに、今から入るわよ。ゼミ人数が少ないし、好都合だわ。全員でも十一人しかいない」
「でも、今から履修するのは」
「単位にはならないけど。特別聴講生として申し込んでおいたから」
「え? 入れるんですか」
「入れたわ」
マロン、恐るべし。調査票には、研究室の詳細も書かれていた。
『担当教授は山ノ内和子。小太り中背の教授で穏やかな人間性。
ゼミ自体は、教授と准教授に加えて事務員で研究室を構成している。学生は十一名。うち、留学生が二人、博士課程三名、修士課程六名』
「まだ、ゼミを履修していないでしょ。ちょうどいいじゃない」
「でも、中世建築なんて詳しくなくて、そこの聴講生になるのは」
「明日からプロジェクト開始よ。まずは、中世建築を勉強なさい」
「あ、あの、わたし、男にモテたいだけで」
マロンはニッと笑うと、「だからでしょ」と言った。
(つづく)
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