最悪の敵、モテ女のテク 5



 人って、得てしてそういうものだろうけど。

 相手を一定の型に押し込め、自分基準で決めつけ思いこむ。それがよくある関係性だと陽鞠ひまりが言っていた。

 オタク的するどい洞察力だ。

 けど、自分基準って、一番あてにならない情報でもある。きっと誰もが薄々気づいてはいるだろうけど。


 マロンは性悪のモテ女で、女の敵。

 しかし、この基準がゆらぐとは思ってもいなかった。


 実際のマロンに近づくほど、その捉えどころのなさに困惑する。知れば知るほど疑問が生じる。

 これこそがモテ女の極意なんだろうか?


『沼落ちしたんかい』と、陽鞠があきれてラインしてきた。

『女に落ちるのも、ある意味、オタクとしての正しい方向性ではある。百合もよきかな、知らんけど』

『いや、違う。それこそ方向性があっちに行ってる』

『とりあえず、ワレの姿を、生ぬるく見ているぞ』

『ありがたい』


 わたしは、マロンが虚栄心から男たちを翻弄ほんろうしていると考えていた。


 実際のマロンはめきっている。枯れきった老婆のような高みに登って世間を睥睨へいげいしているみたいなんだ。


『いつか、この世から去ることができるかもしれない。そういう僅かな希望で気力を持たせている』というマロン。


 意味がわからない。


 わたしが何と返事したか覚えていない。ただ、これだけは覚えている。マロンは、その答えが気に入ったようで。『あんたって、本当に面白い』と笑ったのだ。






 弟子入りして、ちょうど一ヶ月後のことだ。


『結果は出たか?』と、マロンからラインが来た。


 マロンは史学科に通っており、理系のわたしとは学ぶ場所が違う。広いキャンパスで出会うことは少なく、お互いにラインで話しあった。


『師匠。あれから一ヶ月です。がんばりました』

『わかった』


 満月になる少し前の日で、秋の月が美しい夜だった。

 ラインのすぐあと、玄関チャイムが鳴りドアを開けて驚いた。マロンが立っていたのだ。


 部屋の掃除をしていなかったから、いろんな物が散乱して慌てた。マロンは気にもせず、ドンッと日本酒の一升瓶を座卓テーブルに置いた。


「さあ、飲むわよ」

「お酒ですか」

「そうよ。今日は飲みたい気分。それもひとりで飲む日じゃない」

「なにか、あったんですか?」

「なにも……、旧暦なら九月十三日、十三夜は後の月、後の月は十三夜」と、リズムをつけて口づさんだ。


 もう、だいぶ飲んでいるようだ。


「さすが、史学科。詳しいですね」

「ふん、満月でもないのに、欠けた月を見て、なにが楽しいのよ。窓を開けて」


 そう言った彼女は目がすわっていた。一升瓶の半分ほどが、すでに消えていることに気づいた。

 

 ガラガラっと音を立てて、窓を開けると柔らかい風が入ってくる。


 屋根と屋根の間から、少し欠けた月が見えた。

 美しい月だ。


「ねぇ! 朝起きたときを想像して。飲みたいのはグレープフルーツジュースなのに、冷蔵庫にはオレンジジュースしかないときって、どうするの?」

「コンビニに買いにいくか、我慢するかの二択って意味ですか」

「ちがうわ。三択よ」

「オレンジジュースで我慢するか、欲しい飲みものを買いにいくかしか、選択肢がないですけど」

「だから、あなたはモテないのぉ。前の日に買っておくという戦略がないってことよぉ」


 マロンは、フンッと鼻で息をして皮肉な笑い顔を浮かべた。

 戦略が前日に買っておくなら、そもそも三択じゃなく一択でしょ、という言葉をのんだ。


 マロンは、かなり酔っている。


「師匠は男にモテるために、いつも戦略を立てているってことですね。すごいです。考えも及びませんでした」

「当たり前じゃない。戦略なくして、どう男を落とすのよ。さあ、極意を教えてあげる」


 襟を正して正座した。


「恋愛こそ情報戦! はい、繰り返す」

「れ、恋愛こそ情報戦」

はつくりあげるもの、はい!」

はつくりあげるもの」

「よろしい」

「なんですか、それって」

「モテたくないの」

「モテたいです」

「では、SNSなんか利用して相手の情報を知る。恋愛こそ情報戦! これは鉄則よ。それから運命の出会いをつくりあげる」

「本物の恋じゃないって思うんですが」

「本物の恋って?」


 真正面からそんなことを聞かれても、わたしのような経験不足にはわからない。


「ほら、答えられない。誰もそんなことを知らないのよ。男なんて簡単につき合えるわよ。たとえ人のもんでもね」

「お〜〜い」と、わたしは窓の外に向かって叫んだ。

「いま、この酔っ払いが、全世界の女性を敵にまわしていま〜す!」


 ふんって、また鼻で息をして、マロンは空になったコップを不思議そうに見た。それから、コップいっぱいに酒を注ぐと、わたしに差し出した。取ろうとすると、わたしの手をはたく。嫌がらせかっ。


「男なんて、単純よ」

「わたしにはムリゲーで、でも、んなことを言うから師匠は女の敵なんです」

「どうして?」


 小首を傾げ唇をすぼめる姿は、あざといくらいに可愛い。ちょっと頬に触れたくなる。


「どうやったら、そんなかわいい表情をできるんでしょうか?」

「鏡の前で研究したら」

「まさか、研究したのですか」

「ふふふ。さあ、肌を見せてごらん」


 酒臭い匂いを発散させたマロンに頬を両手でつかまれた。


「ちょ、ちょ、ちょ、やめてください。師匠」

「おお、モッチモチになってきたわね。あの基礎化粧品は思っていた以上に使えるようね。こんなカエルでも、ツルツルにした」


 そして、いきなり乳房を両手でつかまれた。


「師匠!」

「悪くはない」

「なに言ってるんですか」


 わたしの言葉なんて聞いていない。ガハハと、目の周囲をくしゃくしゃにして、天井を向いて笑っている。そういえばマロンはあまり笑わない。笑うとしても、にっこりほほ笑むくらいで、大笑いする姿を見たことがなかった。


 笑いながら外を眺め、嫌そうに月を見ている。雲が出たのか半分、月が隠れていた。マロンが大声で叫んだ。


「こおらぁ! 雲が勝手にやらかすなぁ。月が隠れてっぞ!」


 となりの部屋から「うるさい!」と怒鳴られた。


「師匠、師匠。声を落としてください。男ができる前に、隣の男のクレームで大家に追い出されます」

「まあったく。なにが大家よ。うるさいぞ、隣!」


 窓から顔を出したマロンはさらに叫んだ。


 ガラガラっと音がして、怒った男がにゅっと顔を出す。ニキビ面の学生で、日頃は挨拶もしない仏頂面がマロンと出くわした。


 そう、まさに、出会い事故。彼は目を見開いて、何か言おうとして、口をアワアワさせている。


 わたしは必死にマロンを部屋に戻そうとしたが、言うことを聞かない。


「ねぇ」


 マロンが男を流し目でにらむ。目力がすごくて、わたしまで硬直した。


「ねぇ。名前、聞いてもいい」

「え? お、俺のですか?」

「そう、あなたの」

「す、鈴木」

「鈴木さん、わたし、うるさかった?」

「い、いえ、すみません。なんでもありません」

「よかったぁ。怒られるのかと思ったわ」


 それから、きつかった目つきを意図的に和らげると、にっこりほほ笑んだ。


「ね、月が綺麗でしょ」

「は、はい!」

「今日は十三夜。飲まなきゃ、いられないの」


 ほろりと彼女の目から涙がこぼれた。

 男は驚いていた。口をぱくぱくさせ、呆然としている。そんな男を残して、マロンは顔をひっこめ窓をガシャンと閉めた。


 マロンは完全に酔っている。また、酒を飲もうとしたので強引に取り上げた。


「こらああ、モチ……」という語尾が消える。


 気がつくと、かわいい顔でわたしの胸に抱かれた格好のまま、寝息をたてていた。

 いったい何があったのだろう。


 今日は、十三夜、マロンに言わせると、『後の月』というらしい。


(つづく)

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