最悪の敵、モテ女のテク 2




 やっぱり厄災でしかないな、この女は。と、納得したころには、恋神マロンは男子をとりこにして、女子全員を敵にまわしていた。


 男子は、まるで羽が生えているような振る舞い。

 女子は、マロンを潜在的な敵とみなして警戒した。


 たとえば……。


 マロンはかすれた囁きに近い声で隣にすわる男子に質問する。これは、あの女の、あからさまな戦略だ。


 小鳥がさえずるような声で話せば、意味を理解するのに顔を近づけて聞く必要がある。


「え、なんだよ」

「ここなの、この文法。意味がわからない。前の学校より、進んでいるから」と言いながら、さりげない様子で相手に顔を近づける。


 その頬に、ふっと息がかかる。


 思春期の男子は、さりげないものでも、意図的なものでも、どちらであろうが結局のところボディタッチに弱い。声の細さで強引に引き寄せ、絶妙なタイミングで、男子に軽く触れるマロン。


「ああ、これか、これだよね。簡単さ」


 そう答える男子に向かい、(男子目線)むっちゃ可愛い様子で、(女子目線)あざとく計算高い様子で、小顔を斜めにのけぞらせて髪をかき上げる。

 その角度がえげつないったら。

 潜在的に敵だと思う女子でさえも、つい視線を奪われてしまう。それほど完璧に、完成された美しい角度だった。


 だから、これはもう必然的結果としか言えないが、転校して一ヶ月もしないうちに、マロンは女子全員を敵にまわした。

 これはわたしだけが気づいたことかもしれないが、マロンが、そのことを全く気にしてないってことだ。


 普通、そんなことってある?

 十七歳だよ。


 心がガラス張りだから、わたしたちは簡単に傷つく。みんな、いろんな鎧を身につけて、他人の悪意に傷つかないようバリアをはっているのに。超然として他人を気にしないって、それは天地を逆さにしてもありえない。


「モチ、ねぇ、あの女が超モテるなんて思っちゃだめよ」と、オタク仲間の長塚陽鞠ながつかひまりが言う。


 トンボ眼鏡を丸い鼻にのっけた、わが悪友陽鞠ひまりとは二年のつきあいだ。


 わたしは答える代わりに、まず顔前で十本の指を立てた。それから、リズムをつけて指を波うたせ、絶妙な腰ふりを加える。ニッと笑いながら互いのコブシを合わせてから、親指で首すじを掻き切る。


 これがわたしたちの定例化したあいさつだ。ときどき、面倒になるけど、やるしかない。


「そうよね、モテるわけじゃないよね」

「あれは、違うよ。モチ」

「うん、あれは違う。でもさ、なぜ男たちがいつも周りにいるの?」

「そこで、ヒヨってどうする。友よ」


 なぜモテるのかって、わたしのような恋愛偏差値ゼロ女にはわからない。自分とどこが違うのだろうか。


 わたしはモテなさすぎが、全国レベルとまで言われている。


「モテないってのも、ここまできたら文化遺産だ。すべての女から好感を持たれる女道、下鴨モチが極めるべき道は、そこにある」


 陽鞠ひまりが、仰々ぎょうぎょうしく死刑宣告をした。


「わたしだって、努力すれば、なんとかなるって思う」

「いや、ない」

「なんでよ」

「あの、ミスターイケメン。星川健太郎が好きなんだろうけど、無駄なあがきなのだよ」

「まさか、す、好きじゃないわよ」


 オタク仲間って、いろんな側面から探求及び分析するのが得意で、こういう時は非常に厄介だ。


「隠しても無駄だ。いつだって、彼の姿を追っている」

「追ってないから」

「あ、星川」

「ど、どこ?」

「さあ、きわめて簡単に白状したな、下鴨しもがもモチ! あまりに簡単すぎて、こっちが気恥ずかしいほどだ」


 たしかに、トップの成績を維持する星川健太郎が好きだった。勉強ができるだけでなく、スポーツもでき、顔も悪くない水泳部の王子さま。


「きっと、彼を落としてみせる」

「そうか。絶望的な戦いに向かう友に、栄光を」

「栄光を!」


 恋愛に関して、わたしの仲間ほど役に立たないものはない。


 だから、作戦をひとりで考えるしかなかった。

 他人に自分をアピールするには特技を活かせと読んだことがある。

 わたしは勉強が得意だ。注目してもらうために、彼の成績を追い抜き、この特技を認めてもらう。


 わたしは期末試験のかなり前から、死に物狂いの努力をしたんだ。


 とくに数学で差がついていたから、数学の教本、魔界の『赤チャート』と『青チャート』を十往復して、もう擦り切れるほどに計算した。机に突っ伏して寝てしまうほど解き明かした。


 彼に勝てば、きっと認めてくれる。


「よく、がんばったな」と、キラキラした瞳でわたしを見つめてくる。


 なんという胸キュンな光景だろうか。


 そして、やってきた期末テスト、一点差だったがわたしは数学でトップを取った。あの憧れの星川健太郎に勝ったのだ。


 学年三十位まで壁にはられた成績表を見て星川に突進した。


「あ、あの。ほ、星川君」

「なに?」


 彼は数学二位の成績表を、ぐっと睨みつけていた。骨ばったセクシーな横顔がピリピリしている。


 彼の美しい目がわたしの成績を見ている!


 そう、わたしががんばったの。見た? わたし、ほんとにがんばったの。ウキウキした気分で、彼の袖を引くと手を払われた。

 照れてるんだな。でも、今こそが千載一遇であり、最高のチャンス。ここを逃したら、すべての努力が無駄になる。


 よし! 下鴨モチ、ついに恋人ゲットします。特攻します!


「す、好きです」

「キモ!」


 え?

 耳が悪いのか。『赤チャート』で目ではなく耳をやられたのか。


「あの」

 

 彼はプイッと横を向いて、こちらを見ようともしない。

 なにが悪かったのだ。最大限の努力をした。あれほど深夜まで必死に勉強して、彼に勝って、そして、こくったのに。


 キモって、聞き間違い?


 そこに彼女があらわれたのだ。


 恋神マロン。学年順位はと見ると、なんと十一位。ベストテンを落ちている。

 ふふ……、わたしは勝った。


 彼女は星川健太郎の隣にくると、甘いかすれ声で、いくぶん涙声をふくみながら、こう言った。


「わたし……、すごくがんばったの。でも、でも、ベストテンから落ちちゃった」


 彼の恋神を見る目はわたしのものとは違った。不可思議なほど柔らかい。


「大丈夫だよ、君なら」

「教えてくれる? だって、星川くんに苦手な数学を見てもらったら……」


 後半の声はクフンっと鼻声に消えた。


「あ、あの。ぼ、ぼくでよければ」


 彼は赤くなった。

 その瞬間、わたしは恋神と目があった。その冷酷な目つきにぞっとした。


 そう、あの女はベストテンを落ちて彼をゲットし、わたしは彼に勝って失恋した。


 理由がわからない。


 わたしだって努力しても、報われることは少ないと理解している。努力が足りなかったのか?


 いや、ちがう。恋神マロンは努力しなかった。実は勉強などしなくてもトップレベルを維持できる実力だと知っている。本気になれば、トップだって夢じゃない。


 努力もせずに適当な順位。それでも、わたしは完敗した。


 もしかしたら、努力の方向性を間違えているのだろうか……。でも、わたしは、どっち方向へ努力すればよいのか、その方向性がわからない。


 下鴨モチ、十七歳。努力が完璧に報われない世界が、まちがいなく存在するという現実にうちのめされた。


「なに、両手でコブシをつくっているのだ、モチ」


 いつの間にか、陽鞠ひまりが背後にきていた。


「未来で羽ばたこうって思っているのよ、陽鞠」

「健闘を影ながら祈っているが、どこへ向かって、ワレは祈ったらいいのだ」

「大学生になったら、恋神マロンに勝ってみせる」

「野望はでかいな。夢は大きいほどいいとは聞くが、無謀だとも思うぞ。壁にぶちあたって玉砕したとき、骨はひろう」

「ありがたい!」


 わたしたちは、ニッとわらって、首を掻き切る動作をして別れた。大学受験はすぐそこだった。



(つづく)

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