最悪の敵、モテ女のテク 3




 時間は一定速度では流れない。わたしが発見した最新理論だ。


 時間には感覚時間ってのがあって、早くなったり遅くなったりする。高校を卒業して大学入学。その後の二年は、感覚的には、あっという間に過ぎてしまった。


 なんだか日々を空回りしているうちに結果もなく、初期状態に戻るを繰り返して迎えた運命の大学三年生。

 なぜ、運命かと言えば、これを境に人生の羅針盤がグルリと半回転したからだ。


 この時の重大決意を今も思い起こす。その選択がよかったのかどうか、未だに悩んでいる。


 わたしは大学三年まで、恋人いない歴が順調に更新され、同じ大学に通う恋神マロンは十人目の彼氏がいた。


 たぶん、いや、まちがいなく、恋神マロンにはモテのノウハウがある。わたしに問題なのは何を知らないのかもわからないことだ。


 これが勉強なら致命的な欠陥だ。

 数学を解くにしても、全くわからないのと、解法はわかるが難しいでは意味が違う。


 歩きながら考えていたとき、予備校の広告が偶然を装ったかのように目に飛び込んできた。大学受験だって予備校で学んだほうが格段に成果があがる。それは単純な真理……。


 その瞬間、天啓のようなアイディアが浮かんだ。


 これしかない。

 悔しいがこれしか方法を発見できない。


 下鴨しもがもモチ、二十一歳。

 わたしはついに膝を折ることを決心したのだ。


 


 ひとり暮らしのワンルームの壁に、受験期と同じように張り紙をした。恋神マロンに弟子入りして、モテる方法を学ぶ。

 大事なことだから、もう一度宣言してみる。


 


 別の大学に通う陽鞠ひまりにも決意をラインした。


『ついに血迷ったか。一周まわって尊いぞ』と返事がきた。応援してくれているようだ。




 翌日、大学内を探し回り、マロンがある助教と付き合っているという情報を仕入れた。助教が主催するゼミ教室に向かうと、運のいいことに、ちょうど彼女が建物から出てきた。


 トトトッと、軽い足取りで階段を降りてくるマロン。歩くにつれ、オーガンジーの柔らかいスカートが揺れている。


 わたしは確信した。


 自分の選択が正しいからこそ、こんなジャストタイミングで彼女に出会えた。これはラッキーを通りこした運命だ。


 季節は秋のキャンパス。わたしは呼吸を整え、彼女に向かった。


「恋神マロン……、さん」


 おずおずと声をかけた。彼女は女に冷たい。知っているからこそ、階段下で両手を広げ、逃げられないように通せんぼした。


「高校で同級生だった下鴨モチですけど。話したいことがあるんです」

「いったい、何?」


 怖い顔でにらまれた。


 わたしは天を仰いだ。すでに心が折れそうだ。それから左右につづく桜並木を見つめた。

 桜の葉は、すでに枯れはじめている。

 この先には、もうクリスマス。今年のイベントは絶対に好きな人と一緒に。でなければ、来年はない。そんな強い決意でマロンの顔を目玉が飛び出しそうなほど力を込めて凝視した。


「ついに膝を折ることにしたんです。師匠」

「意味がわからない」


 怪訝けげんな顔つきで、返答する声もきつい。


 男と一緒いるときの恋神マロンは、とても甘くとろけそうだ。声も鼻にかかった掠れ声。だから、こういう事務的な声も出せると知って驚いた。


「わ、わたしは、わ、わたし」

「さっきから顔を真っ赤にして、わたしの道を塞いで、いったい何なの。それから、膝を折るとか、師匠とか。理解できない」

「はっきり言っていいですか?」

「いや、むしろ、はっきりして欲しい」

「わたし、あの、恋人が欲しいんです!」


 あまりに大声で言ったので、すれ違う学生たちが、こちらをガン見した。


「ちょ、ちょっと、やめなさい!」


 マロンがわたしの口を塞いだ。


「まるで、わたしにこくっているみたいじゃない」

「え? わ、たひ、告ってたの」

「ともかく、落ち着いてもらえない。下鴨さん」


 下鴨しもがもモチという名前は、人生全て続けるようにと、剛直でまっすぐな父が祈りをこめて名付けてくれた名前だ。名前に恥じないように生きたいと思う。


 そう、すべて、持つモチ!


「高校の頃から、変人で浮いていたけど。さらに狂ったの?」

「え? わたし、浮いてた?」

「ま、その点じゃあ、わたしも同類だけど」

「へえ、自覚があるんだ」

「わたしの場合、あんたと違うのは、わかって、やってることよ」

「だから、わたしも理解したんです、師匠。まずは自分の将来のことですけど。わたしは頭が良いのです」

「だんだん、そう思えなくなってるけど」

「こんな優秀な女が、将来、もし、子どもを持てなかったらどうしますか。それは日本にとって、大変な資源の無駄遣い。それこそ究極の環境汚染」


 マロンは、ただ左右に頭を振っている。なんとなくだけど、説得に失敗してる気がして仕方がない。こんなとき、悪い癖で自分を止められなくなる。


「話がぜんぜん見えないわ」

「そこで、日本の将来のためにも、あなたに立ち上がってもらいたいの」

「日本の将来なんて、わたしにとっては、どうでもいいのだけど」

「だめよ、恋神マロン。世界はあなたを待っている。わたしがモテないことが、世界の大きな損失なんです!」


 マロンは困ったような顔をして、それから吹き出した。

 それは男を前に、小首を傾げ目を潤ませる方法とは異なって、女らしさのカケラもない。


 もしかして、マロンの色っぽさは、男限定なのだろうか? そして、マロンが女子と一緒にいることは決してないから、こんな姿を見たことがない。


「つまり、下鴨しもがもモチ。要約すると、日本の将来とか、世界が待ってるとか。とりあえず大げさだけど、要するに、あなたは男にモテたいのね」

「ああ、やっとわかってくれたのね」

「最初から、そういえば」

「じゃあ、よろしくお願いします」

「さようなら」


 マロンがスタスタと桜並木を去っていく。

 秋の気配のなか、枯れ葉が一枚一枚と彼女の背中に舞い降りていく。さすが、わたしの選んだ師匠。


 後ろ姿がすでにつやっぽい。オーガンジーのスカートが揺れ、ちらりと見える白い太ももで男の視線を奪っている。


「待って、待って。見捨てないで」

「いい加減にしてよ」

「あの、大事なことなんで、師匠になってください。もう一度、言うけど、師匠と呼ばせてください」

「ともかくね。あなたは絶望的に男が逃げてく女よ。対男性型蚊取り線香って呼んでも差し支えない」

「それほどでも」

「褒めてない!」


 マロンは顔をくしゃくしゃにしてから、また吹き出した。それから、こちらを振り返って、ゆっくりとわたしの全身を上から下へと見下ろした。


「やりがいがあり過ぎて、無謀な戦いだと思うわよ」

「思いません。師匠。なんでも言うことを聞きます」

「なぜ、わたしなの」


 その時、「哀れなおなごよ。その身が満たされるまで、永遠を生きよ」と、わたしの口が勝手につぶやいた。


 なぜこんなことを言ったのだろう。マロンの顔が急に青褪めた。


「なんて、いま、なんて言ったの?」

「だから、師匠として頼みますって」

「そこじゃないわ。永遠に生きよって、言ったわよね。哀れなおなごよって、どういう意味で言ったの!」

「ど、どうしたんですか? わたし、ただ急に痛いことを言いたくなって、口がかってに。アニメで読んだと思うセリフかな、たぶん。最近、SAN値が削られてるから」

「また、意味がわからないわ。なに、そのSAN値って」

「それは、正気度や精神力のパラメータで。これが削られると正気が失せていくんですよ。師匠、アニメ界に疎いですね」


 マロンは小悪魔のような笑みを浮かべ、「高校の頃から面白かったけど、大学生になって磨きがかかったわね」と言った。


 それから横目でにらみ、ため息をついた。


「ついてきなさい」


 彼女はわたしの知ってる、甘ったるい声ではなく、ドスの効いた声で念を押した。これまで大学とバイトだけで終わった日々に、はじめて光が見えた瞬間だった。


「死ぬ気でついてきます。師匠」

「師匠って意味もわかってないでしょうけど……」


 わたしの未来が開けた瞬間だと、この時は思っていた。


(つづく)

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