第二部 現代編「モテ女に変身させる、姫のノウハウ」

第一章 最悪の敵、モテ女のテク

最悪の敵、モテ女のテク 1




 ジジジジジ……ジィージィージィー。


 セミの鳴き声が聞こえていた。

 声はか細く、セミというより仏壇で燃える蝋燭ろうそくの音だと、なんの脈絡もなく思ったのを覚えている。


 わたしの名前は下鴨しもがもモチ。


 東京郊外の高校に通う二年生で、過去を常に忘れたいなんて、厨二病的な……。ちょっとした嫌な思い出に、うじうじして前に進めなくなる。そういう自分が許せないって、厄介な性格だ。


 まあ、過ぎ去った日々なんて、そもそも後悔ばかりのシロモノだろうけど……。それが、過去の宿命ってやつだと自分なりに納得してはいる。


 それから、もうひとつ。


 わたしは思い込みが激しい。

 正直に言えば、自分でもかなり面倒くさいと思う。宇宙人も霊も、なんなら妖怪も信じているし、何かといえば、大げさに考えて意味不明な◯◯理論なんて持ちだしてくる。


 たとえば、宇宙人陰謀説とか、細胞が記憶する説とか、魂そこなわれ理論とか。


 だから、これから書く物語は、話半分で読んでくれていい。これは、そういうたぐいの眉唾まゆつば話にはちがいない。

 

 なにせ、平安から一千年を生きるあやかしが、いきなり普通の学校に現れるなんて、いったい誰が信じることができるだろうか。




*****************




 その日は、すわっているだけでも汗が噴き出す暑い日で……。暑すぎて、あの女が転校してくるには、いささか問題だったと思う。


 いや、あの女の転校は、どんな時だろうと問題にはちがいない。


 生ぬるい学校生活がバケツに張った静かな水面だとしたら、あの女は、そこに一滴の油彩絵の具が落ちるような効果を及ぼす奴だから。


「あ〜〜、微分とはですね。まずは、う〜〜、グラフとは何かってとこからはじめましょう。縦軸がy、横軸をxにして放物線を描く、この線形を。え〜」


 眠気ばかりにおそわれる退屈な数学の授業中。


 わたしは三階の教室、窓際の席から、ほおづえをついて校庭を眺めていた。

 半袖の制服を着た女の子が歩いてくるのが目に止まる。さっきまでいなかったのに、いきなり校門近くからあらわれたのでびっくりした。


 炎天下に、校庭を斜めに突き抜けてくる際立つ女。


 かっこいいと思ったのは、その歩き方だ。

 背筋がピンと伸びて、歩幅が広く、まっすぐ前を向いている。上半身にまったくブレがなく腰を軽く振る優雅な歩き方なのに、緊張感がない。まるで、ランウェイを歩くモデルのよう。


「……すごい」と、思わず声に出していた。

「え、誰、あの子」

「見かけないよね」


 窓際席からはじまり、波のように他の子も気づいたのだろう。


「誰?」

「誰?」

「誰よ?」


 ボソボソした囁き声が漏れてくる。


 サラサラの長い髪が風に揺れ、それが邪魔なのか、左右に軽く頭を振って右手で髪を後ろに流す。

 小柄にもかかわらず、スタイルの良さが際立っている。あっ、綺麗な子だって誰もが思ったにちがいない。


 校庭を歩く子は、みなの好奇心を刺激して、生徒全員が窓際に群がるのに、数秒。窓から顔を出していると、一緒になって窓際に来た先生が注意した。


「オ〜〜、授業中だぞ。何見てるんだ」

「先生、あの子、転校生?」

「そんなことより、あ〜〜数学の授業だ」

「先生、結果を早くだしたほうが授業に集中できます。転校生ですか?」

「ああ、そうだ」


 教室内に歓声があがると、こちらに向かってくる女の子は、ちらりと上を向いた。それを見た男子の様子ったら。興奮が匂いになって教室全体に漂うようだった。


 午後の授業前に、その子は、わたしたちの教室に入って来た。


 小柄な細い体は、陶器製のお人形さんみたいで。

 ぬけるように白い肌に血のように赤い唇。薄紅色の頬は、ほんのりと上気している。

 鼻筋が通った、いわゆる美人顔だが、ぷっくりとした下唇がかわいらしく、だから無邪気で素直な子にも見えた。


『恋神マロン』


 カツカツカツという気持ちのよい音を立て、チョークで黒板に、まるで偽名のような、ふざけた名前を書いた。


「よろしくお願いします」という声が、ハーブを弾くような高く柔らかい音で、耳に心地よい。


 その登場に、一部の男子は「うおおお」と唸り声をあげ、別の男子は、ごくりと唾を飲みこんだ。事実、彼らの喉仏が上下するのが、はっきりと見えた。


 しかし、わたしは見逃さなかった。彼女、目だけは氷のように冷たかったんだ。たぶん、それに気づいたのは一部の女子だけだろう。


 恋神マロンは、美しい切れ長の目で、教室の全体を睥睨へいげいして、ふっと、いかにも自然な様子でほほ笑んだ。


 まるで天女だ。天女がほほ笑んだかのように、一瞬だけど、彼女の周囲に星が輝いて見えた。




(つづく)

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