終章


「晴美先輩! 晴美先輩!」



 大森の声に、車の運転席に座っていた晴美は目を覚ました。少し寝ぼけた様子で車内を見渡す。


「晴海先輩、今日中に依頼主の所に行かないと。変異体による被害も大きくなっているらしいですし」

「あ……うん……わかってるよお……」

 晴海は大きなあくびをしながら、扉に手をかける。

「でも……今すぐに運転するのは危ないから……目を覚ましにいくよう」




 ココアカラーの車から降りた晴美は目をこすりながら、駐車場に設置された自販機に小銭を入れる。


 その後ろから、大森が追いかけてきた。


「そういえば、俺が警察にいたころの先輩から聞いたことがあるんですけど……晴海先輩って、親戚の叔父さんのところに住んでいたんですよね?」

 自販機のラインアップを確認しながらたずねる大森に対して、晴美はうっとうしいようにため息をつきながら取り出し口に手を伸ばす。

「そのことを言っていた先輩の名前、覚えていますかあ? あたしの知っている名前なら、時間が空いた時に会いに行くからあ」

「あ……すみません、忘れてください」

 余計なことを聞いてしまったと言わんばかりに、大森は先ほどの言葉を慌てて取り消した。


 晴美は手にしたエナジードリンクの中身を飲み干した後、肩の力を抜いた。


「……ちょっと家出をしたことがあって、その時に家の帰り方を忘れてしまったんだよねえ。たまたまある家に泊まらせてもらっていたら、親戚の叔父さんが迎えに来てくれた。泊まらせてもらっていた家の主人は叔父さんの上司だったから、特にややこしいことにはならなかったみたいだけどねえ」


「?」


 大森の口は、ビー玉の形をしていた。


「でも、実家には帰れなかった。後から思い出したけど、あたしの実家を知っている人はほとんどいなかったんだっけ……」


「……せ、先輩?」


 晴美は戸惑う大森の声を聞いて、彼が話を理解していないことに気づいた。


「大森さんが聞いてきたんじゃないのお?」

「い、いや、俺なんとなく聞いただけなんですけど。それなのにいきなり家出したとかわからないこと言い出して……」


「……確かに、聞かれてもないのにベラベラとしゃべっちゃったねえ。懐かしい夢を見た後は、どうも口が軽くなるんだよねえ」


 手に持つエナジードリンクを上から見て、丸の形であることを確かめる。


「あ……それじゃあ、その泊まらせてもらったっていう家は、どんな家だったんですか?」




 そして空に浮かぶ丸い太陽を見上げ、女性は大きく深呼吸した。






「もう目が覚めたから、夢の昔話はもう終わりだよお」











 喫茶店【化物】のカウンター席で、我輩はカフェオレを待ちわびていた。


 特別性のゴーグルを装着し、スマホでネットサーフィンを楽しんでいると、


 広告のバナーに、バイクの写真が載っていた。


 我輩はバイクのことなど興味がない。


 第一、その広告は興味が引くほど魅力的なものではなかった。


 ただ、喫茶店の中でバイクを見かけた。


 それだけで、あの少年の顔が頭の中に現れたのだ。




「カフェオレ……できたぞ……」


「ああ、感謝する」




 口数の少ない大男の店主が作ったカフェオレを数量口に流し、マグカップを食器に乗せる音を響かせてから、我輩は店主に声をかけた。

「先ほど、貴様の聞きたそうだと思う話を思い出した」

「“変異体”の……話……か……?」

 顔面は仏頂面を決め込んでいても、下から現れた鋭い尻尾が、人間が変異した“変異体”である店主の心境がはっきりとわかる。猫のようにクネクネと尻尾を動かすのだから。


「いや、変異体と関わる人間の話である。貴様は、“化け物運び屋”を知っているか?」


「ああ……俺も……利用したことが……ある……」




 変異体は、ある理由から普通の人間に姿を現さない。

 衣服などで姿をごまかせる変異体ならまだしも、それが出来ない変異体は廃虚や同じ変異体たちが集まった集落に身を潜める。

 そんな彼らのために依頼を受け、配達を行う者たち……それが“化け物運び屋”だ。




「我輩の思い出した話は、化け物運び屋をしていた男と、変異体と関わりを持った少年の話である。それでも聞きたいか?」


「……ああ……聞かせて……くれ……」






 我輩は昔話を始めた。


 かつての友人であった化け物運び屋のこと、


 そして、あの金髪の少年との出会いを。





「それで……その少年は……今はどうしている……?」

 尻尾を生やした変異体の店主がたずねてきた。

「あの後、届けた相手から別の依頼を受けたみたいでな、そのまま各地を巡る化け物運び屋となったと聞いた」

 我輩は唇を緩めると、チマチマと飲んでいたカフェオレの残りを飲み干した。

「なるほど……自分の夢が……ちょっとしたきっかけで……かなえることが……できたのか……」


 店主は、まるで誰かを思い出すように天井を見上げていたが、窓の外をみると尻尾をカウンターの影に隠した。




 入り口の窓に、バイクと人影が映ったからである。


 我輩も振り返って見ていると、人影はヘルメットを外した。そして、後ろの席に設置してあるボックス……巨大なリアボックスから箱のようなものを取り出すと、入り口の扉に手をかけた。




 カランカラーン




 入店を告げるベルとともに、見覚えのある立ち姿が現れた。




「ん? あれ、もしかして……信士のオッサン!?」




 我輩は席を立ち上がり、学ランを着た金髪の少年の前まで歩くと、






 少年の肩を思いっきりたたいた。










「坂春サン、見エテキタヨ」


 電車の中で、タビアゲハは窓の外を指差した。


「この前の博物館で見た景色とまったく同じだな」


 その横で坂春がのぞき見る。


「私タチガ実際ニ来タコトガ違ウケドネ」


 周りには、他の乗客の姿がある。


「ああ、そうだな」


 周りを見渡しながら坂春はうなずいた。


「今度はこの目で見るんだ。映像とか人の話ではなく、この目でな」


 そう答える坂春の目は、曇りひとつなかった。






 電車が、駅のホームに止まった。




 駅から坂春とともに出てきたタビアゲハは、その場で大きく深呼吸した。




 蜜の味に満足する蝶のように。




 新たな場所に向かうため羽を広げる蝶のように。




 その背中には、黒いバックパックが背負われていた。

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化け物バックパッカーOMNIBUS オロボ46 @orobo46

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