第115話 いつものお客と、自分だったかもしれないお客
ケイオスを見送ってすぐ、今度は札からの転移を感じて次のお客だと切り替えるリカルド。
「ようこ――」
「久しぶりだね主!」
垂れ幕を捲って勢いよく現れたのはお馴染みの王太子だった。
「――お久しぶりです」
定型文をキャンセルされたがそれもまた懐かしく、人型精霊三連続の後遺症によって腹黒王太子であろうと人であるというだけでもういっそ可愛くすら見えたリカルド(錯乱)。
「暫くやってなかったみたいだけど、主もヒルデリアに行ってたの?」
初っ端からジャブを打ってくる王太子に、しかしリカルドは動揺せず、ヒルデリアですか?と首を傾げて見せた。
この王太子に見抜かれた事は一度や二度ではない。今更己の行動の一つや二つ読まれた程度で狼狽えないのである。全く自慢にならないが。
「まぁ行ってたのかどうかはどちらでもいいんだけどね。食い止めてくれてたのならお礼を言うだけの話だから」
王太子の言葉に、ん?となるリカルド。
いつもだったらもう少し試すというか、揺さぶるような事を言いそうな気がしたのだが、あっさりと切り上げる様子から時間がないのかな?と思った。
「今日はお急ぎですか?」
リカルドが感じたままそう尋ねると、王太子は浮かべていた笑顔を苦笑いに変えた。
「そういう指摘を受けるという事は、ちょっと冷静にならないと駄目だね……懸案だったガルダナディアの問題を進められると浮ついてしまっているんだろう」
「ガルダナディアですか」
リカルドの頭に浮かんだのは精霊の振りをして助けた子供の姿だ。あの子供がそこの王族なのだ。
「そう。ガルダナディア。このグリンモアと三国を挟んで対決する近隣国では最大の農業国家。いずれはこのグリンモアの生産力を上回る相手だ」
頬杖をついて話す王太子に、はい?とリカルドは内心首を傾げた。
グリンモアの農産物の生産量はこの世界の中でも群を抜いて高い。それは大昔に人に同化した精霊の力が国民に受け継がれているからなのだが、その力の影響力は大きくそう簡単に他国がグリンモアの生産量を超える事は難しい。それは厳然たる事実だ。
「それはなかなか難しい事のように思いますが」
「まぁ私達も努力はしているからね。そう簡単に抜かれるつもりは無いよ。
けどね……このグリンモアの民が特別だと言われた頃から時が立ち、徐々にではあるけど確実に緑の手の持ち主は減ってきている。それに伴って生産量を減らしてきているところもあるんだよ」
王都だとあまり見かけないけれど、王都から離れると緑の色を持たない民というのはそれなりの数居るんだよ。と話す王太子に、そういえば……と、この世界に来て間もない頃の記憶を思い出すリカルド。
魔族領から人間領に入り山をいくつも超え、グリンモアの聖結界をどうにかこうにか抜けて、この世界に来て初めて声を掛けた相手が農作業中の人だったのだが、その人物は緑の髪でも緑の目でもなかったような覚えがあった。
「力が薄れていく事を嫌がる者が多いが、私に言わせれば代を重ねれば血も力も薄まるのは必然。さっさと対策を立てるのが上に立つ者のすべき事だと思うのだけれど……現実、そう考えられる者は然程多くないんだよね」
皆、今ある力に縋りたくなるんだろう。と緩く笑い溜息をつく王太子。
「だから私の妃になる者は緑の髪と目の者でなければ落ち着かない、なんとなく不安になるという気持ちもわからなくはない。だがそんな事では百年先、二百年先も安泰でいられる保証がない。どこかで力に頼った生産から切り替える必要が出る。
アイリーンには苦労を掛けるけど、正直彼女の色が緑でなくて私は良かったと思っているよ」
今任せている政策が成功すれば彼女はきっと象徴になるだろうからと思いを馳せるように王太子は呟いた。
リカルドは王太子とその婚約者の侯爵令嬢が何をしようとしているのか知らないし、本人が話そうとしない限り政治の小難しい事なんて敢えて探ろうとも思わないが(知ったところで頭がついていかないので)、とりあえず見た感じ精神的に疲れてそうなのでストックしているお菓子とお茶を出した。
「よければどうぞ。暖かいままですから」
つい先日リカルドが食べた
「……はは、強請ったつもりではないんだけどね」
と言いながらも早速フォークで切って口にして、あぁこれだよこういう感じ。と年相応に顔を綻ばせる王太子。
リカルドはそんな王太子の様子を見て、若いのに苦労ばっかしてるとハゲそうだよな……柔らかそうな細めの髪質だし……と、しみじみ酷い想像をしていた。王太子の見た目にも滅法弱い侯爵令嬢に知れたら、なんという想像をするのだと頭をカチ割られていただろう。
ちなみにハゲても教会に行けば一瞬で毛根から復活してもらえるので、悩んでハゲる心配をする者はこの世界にはあまり居ない。
しばらく二人でまったりとお菓子を食べてお茶を飲んで、時間は大丈夫なのかな?とリカルドは思ったが、本人が何も言わないならいいかと急かすような事はしなかった。
「……主が出すお菓子はあれだよね。どれも食べるとほっとするっていうか、優しいよね」
「ええ。私もいつもこのお菓子に助けられています」
視線を皿に落としたまま呟いた王太子に謙遜など一切せず真面目に同意するリカルド。
王太子はその受け答えに笑った。
「主はいいね。本当……話していて安心するよ」
安心?何故に?と思うリカルドだが、王太子が穏やかな顔をしていたのでまぁ悪い事じゃないだろうしいいかと流した。
そうして最後の一口を口に入れ、ゆっくりお茶をいただいたところで王太子の表情が切り替わった。
「お陰様で落ち着いたから話を戻そうか。
今日、主に聞きたかったのはそのガルダナディアの王族についてなんだけど」
いつもの読めない笑顔を復活させて尋ねる王太子に、為政者って大変だなぁと思いながらリカルドも微笑みを浮かべて答えた。
「お客様が保護された子供の事ですか?」
「そう。その子供についてなんだけど、精霊が祝福を与えたというのは本当なのかな? もし精霊が執着している子供なら扱いがかなり難しいと思うんだ」
あぁなるほど、と王太子が懸念している事を理解したリカルドは首を横に振った。
「精霊が祝福を与えたというのは周りの人間が見た印象です。実際にその子に精霊が直接恩恵を与えるような事はしていません」
「精霊の欠片は? あれを与えるという事はそれだけ気にしているという事ではない?」
「精霊の欠片についてはその子に必要だと思い渡したのでしょうが、それ以上の他意はないものと思います」
「という事は、あの子供が不機嫌になるような事をしても精霊が怒ったりする事は無いという事かな?」
「はい。そういった事は無いかと」
「……それなら大丈夫そうだね。予定通り計画を始められるよ」
王太子は満足そうに頷くと、あともう一ついいかな?と質問した。
「主ってもしかしてこの間の人攫いの騒動に首を突っ込んでいたりする?」
「人攫いというと、王都のあちこちで女性や子供が攫われた事件の事でしょうか?」
「そうそれ。組織の人間は全て捕まえたんだけど一人だけどうしても被害者が見つからなくてね。私の情報網を使っても全く掠りもしないから、ひょっとして主が助けているんじゃないかなって思ったりしたんだけど」
リカルドは内心眉を顰め、すぐに時を止めて
前もって確認した時には被害者は全員助けられる結果だったのだが、どこかでボタンを掛け違ったのだろうかと思って見れば、何の事はない。己だった。
「……お手数をお掛けし申し訳ありません。その被害者、私の兄弟子です」
「え?」
時を戻して謝罪したリカルドに王太子は珍しく目を丸くした。
「偶々少女が攫われそうになっている現場に兄弟子が出くわし、その身代わりとして少女の振りをして捕まっていたんです」
「……なんで?」
「なんでと聞かれましても偶然としか……」
「いや、主の兄弟子殿ならその場で犯人を捕まえて突き出しそうじゃない? 面倒事は嫌いなタイプのようだし、わざわざ身代わりになるなんて手間が掛かることをするとは思えないんだけど」
的確な指摘をしてくる王太子にリカルドは、私にも何を考えているのかは……と言葉を濁した。ここで正直に、あなたが怖かったから計画に支障が出ないようにしたんです。なんて言えるわけもない。
王太子はしばしリカルドを見つめていたが、目を逸らさず見返すリカルド(顔面固定)に肩を竦めた。
「ま、被害者が居ないならいいか。これで捜索を打ち切れる」
追及を諦めた王太子に再度申し訳ありませんとリカルドが頭を下げれば、主の方が兄のようだよねと王太子は笑って立ち上がった。
「そろそろ失礼するよ。今度はまた婚約者殿の話を聞いてもらうから」
代金を置きながら言う王太子に、またか……と思いながら、ほどほどでお願いしますと一応の抵抗はしておくリカルド。
王太子はほどほどだねと笑って頷き背を向け——あっ、と思い出したように足を止めて振り向いた。
「助言という程ではないけど、主に一つ。
兄弟子殿は女装の腕が相当あるようだけど、それも含めていろいろと露見しないように注意した方がいいんじゃないかな? でないと精霊使いのリサが誰なのかわかる者にはわかってしまうかもしれないよ」
王太子は言いたい事を言うと、それじゃあまたねと天幕の外へと足を踏み出し消えた。
その瞬間、固まっていたリカルドは我に返って即座に時を止めた。
(何でバレた?!)
日本版リカルドがリサだとバレる要素など何一つ無かった筈だと慌てて調べてみれば、別にバレたわけではなかった。
単純にリサという突如表舞台に姿を見せた怪しい精霊使いなる人物を調査した結果、報告に上がってきたリサの能力(高位魔族に対抗可能な戦闘能力)と事実(聖女の護衛を務める程の騎士なのに教会がその素性と行動履歴の殆どを徹底的に隠した事)から該当する人物としてそういう可能性もあるなと王太子は思っていただけで、もし当たっていたら主は動揺するかな?と、その程度の遊び心から口にしていただけだった。
その証拠に、無言の反応を返してしまったリカルドに王太子は逆にびっくりしていた。まさか本当だったの?と。もちろんそんな素振りは一切見せなかったわけだが。
(なんで遊び心で当てちゃうんだよ……)
リカルドは机に突っ伏し(心で)泣いた。
やっぱあいつ可愛くない。気のせいだったわ。と。
ちなみにだが、人攫いの件で兄弟子が少女の振りをしていたという話を聞かなければ王太子もそんなおふざけは言わなかった。
さすがに男が女の振りをするのはどう頑張っても無理があるので、日本版リカルドがリサである可能性は相当低いと意識から外れていたのだ。が、人攫いの件で少女の振りをしていたと聞いたものだから、同じ女装案件として再び意識にのぼってしまったというわけである。
この辺の自業自得っぷりはいつも通りだ。
リカルドは突っ伏したまま放心する事暫し、はぁと息を吐いて身体を起こした。
(まぁいいや。王太子なら下手な事はしないだろうし)
直近で調べて見てもリサの素性がバレるような可能性は限りなくゼロに近く、日本版リカルドの事をかなり警戒している王太子が軽率な事はしないだろうと冷静に考えるリカルド。
(バラす時は何かしら理由があるんだろうけど……その時はその時だな)
最悪、家ごとどこかへお引越しすればいいだけだし。と敷地丸ごと移送計画を頭の隅に置きながらリカルドは時を戻した。
そして次のお客さんは普通のお客さんがいいなぁとお祈りしながら待っていると、黒髪に続いてまた路地裏から繋がる気配がした。
リカルドが姿勢を正して待っていると、入ってきた客は何かを窺うように足音を忍ばせていた。そしてそっと垂れ幕を捲って、リカルドが居るのに気づいた瞬間お化けを見たように固まった。
「ようこそ占いの館へ。今宵はどのようなご相談でしょう」
「……う、占い?」
「ええ。どのようなご相談でも承っております」
どうぞと椅子を勧めたリカルドに、垂れ幕に未だ半身を隠したままの男は慌てたように後ずさった。
「あ、いえ、すみません、人が居なければ休ませてもらおうと思ってただけで、俺、今、金持ってなくて」
しどろもどろで、すみません、勝手に入ってすみません、と謝って出て行こうとする男。リカルドはその足をバインドで固定し立ち上がった。
「お待ちください。今日泊まる場所はおありですか?」
いきなり足を縛られ、ぎょっとした男は近寄るリカルドを恐怖の眼差しで見た。
「あ……あの、すみません、本当に俺何も持ってなくて」
「この冬空、その身形で一夜を越すのは自殺行為ですよ」
「……え?」
二十代前半の背ばかり高くてひょろりとした風貌の男は、外套一つ身に着けず、部屋着のような簡素な出で立ちで震えていた。
リカルドは足のバインドを解いて男を椅子へと促し座らせると、バックヤードから出したように見せかけて神酒を取り出しコップを作ってそこに注いだ。本当はお茶のストックがあれば良かったのだが、無いので酒で温まって貰おうと思ってだ。ついでに体調が悪そうなのでその改善も狙って。
ぬる燗よりもちょい熱めにした酒を男の前に出すと、男はそこから漂う芳醇な香りにごくりと唾を呑み込んだ。
「お代は頂きませんからどうぞ」
リカルドの言葉に男は本当だろうか?と疑うような目を向けていたが、目の前の香りに抗うのは難しく、震える手でコップを持ち上げて口にした。その瞬間口から鼻へと香りが抜けて、身体の中へと何かが染みわたるように広がり男は目を見開いた。
「あ……?」
気が付けば身体の震えが止まっていて、あれほど感じていた寒さを全く感じなくなっていた。
「遠慮せず最後までお飲みください」
一度酒の旨さを知ってしまった男は止める事が出来ず、けれど一度に飲んでしまうのが勿体なくてちびりちびりとその酒を口にし始めた。
「ここは占いの館で私は占い師をしております。悩み事、困り事がありましたらお話を聞きますが、どうされますか?」
男は酒に口を付けたままふるふると首を横に振った。
「すみません……お金、ないので」
「お代はお金が出来た時で構いませんよ」
ちなみに一回300クルですと言うリカルドに男は視線を下げたまま、また首を横に振ってすみませんと謝った。
リカルドは幾分顔色が良くなった男を眺めながら、たぶんこの人浮浪者とかそういう人じゃないと思うんだよなぁと考えていた。
外套は無いが着ている服は別にそこまで痛んでいないし、焦茶色の髪もこまめに切っているのか短めに揃えられている。指先は少し黒ずんでいるが爪も整えられていて、少なくとも何かしらの職にきちんと就いているような印象があった。
咄嗟に引き留めたのは、なんとなく怯えたような目をしていたのが気になったのと、その服装が外を歩くようなものではなかったからだ。ここで引き止めなければ翌朝凍死しているのを警邏あたりに発見されるだろうと思って。
この世界ではそう珍しくもない事だが、リカルドからするとそれはやっぱり寝覚めが悪かった。
(ここに入れる時点で何かしら悩んでいる事は間違いないし、このくそ寒い中そんな軽装で歩いてるのも絶対何か問題を抱えているんだろうけど……)
しかし、本人が介入を望まないのならリカルドに出来る事は無い。
無言で酒を少しずつ飲む男を黙って眺め、あーでもなぁ……と思うリカルド。
ここのところ普通の客を相手にしていなかったので、ここらで普通(?)の相談を聞きたい気分でもあった。
少し考えた後、リカルドは懐から取り出したように見せてその場で一枚のコインを造った。
「お客様、ここに一枚コインがあるのですが、勝負をしませんか?」
「……勝負?」
少し酒が回ってきたのか、のろりと男は視線をあげた。
「表が出たらお客様として何か相談をしてください。もし裏が出たら何もせず朝までここで過ごしていただいて構いません」
「…………」
男はリカルドの提案に考えるように間を空けた。
「300クル……でしたよね?」
「はい。後日で構いませんし、期限も特に設けておりません。300クル以上頂く事もありません」
「……コインを見せて貰えますか?」
用心深いのか、男はそう言ってリカルドからコインを受け取ると表と裏を念入りに確認した。
「……裏が出たらここに居させて貰えるんですね?」
「はい。私が居ると気が休まらないという事でしたら奥に下がっております」
男は館の中を見回して、もう一度リカルドを見ると意を決したように頷いた。
リカルドは了承を得て、コインを男から受け取ると指で弾いてパシリと手の甲と手の平でキャッチした。
結果は――
「表です」
それを見て男はどこか諦めたような顔をして溜息をついた。やっぱり仕組まれていたんだろうなと。
それは半分外れで半分当たりだ。リカルドは一切コインに手を加えてはいないのだが、その有り余るステータスの力を用いて目視で裏と表を見極めキャッチしたのだ。結果が操作されているという点では手を加えていると言えるだろう。
「聞いても面白くない話ですよ……それに、相談したところでどうにかなるような話でもないですし……」
自嘲気味に笑って後ろ向きな発言をする男に、リカルドは微笑みを浮かべ話してみてくださいと促した。
促された男は視線を落としたまま唇を噛み暫く黙っていたが、息を吐くと小さな声で話し始めた。
「……俺……ダメなんです。……力だけはあるけど、どうしても戦うのが苦手で…………それでパーティーに迷惑かけてしまって……出来る事はしようって思っていろいろやってみたけど……やっぱり足手まといで……今日、もう無理だって言われて…………パーティーを解消されたんです」
話の内容から男の職業が冒険者だと知ってリカルドは少々意外に思った。
見た感じの身体つきもそのおどおどした様子も冒険者にはあまり見えず、どちらかというと事務仕事をしていそうな印象があった。
「それで……今までの迷惑料だって言われて、荷物とかお金とか、全部……」
(……は?)
占い師モードでなければ、危うく声が漏れていただろうリカルド。
(何? もしかしてこの人、パーティー追い出された挙句に身包み剥がされたって事? この真冬に?)
それ死ねって言ってるようなもんじゃ……と唖然とするリカルド。
そして勘違いだとか行き違いだとかあるかもしれないと時を止めて
男はもともと王都から南にある農村で暮らしていたのだが、17の時に村の同年代の次男三男に声を掛けられ一攫千金を夢見て冒険者になった。男が誘われた理由は村の中で一番の力持ちだったからなのだが、いざ冒険者になってみると戦闘が怖くてまともに戦えないという冒険者としては致命的な問題が露呈した。
それでもすぐに慣れるからと言って頑張って訓練して、迷惑をかけているからと荷物持ちだとか消耗品の管理調達だとかの雑用を引き受けてどうにか待ってもらっていたが、一年程経ってもまともに戦えず匙を投げられた。
それからは別の冒険者のパーティーに臨時で入って荷物持ちをしたり、討伐系ではない依頼で食い繋ぎ、様々なパーティーに入っては抜けてを繰り返した。
そうして一年前に戦闘ができなくても構わないと言うパーティーが現れ、喜んで加入して雑用を一手に引き受けていたのだが、戦闘に参加しないんだから報酬もその分引かせてもらうからなと当初交わした約束がどんどん反故にされ、パーティー内での扱いも悪くなり最終的に奴隷のように扱き使われて、そろそろ身体を壊して死にそうだから次の小間使いを探すかと捨てられたのだ。
(最初から人が良さそうな相手、気が弱そうな相手を選んで使い潰すつもりだったって事か……)
実力主義で何かあっても自己責任の冒険者に現代日本のような労働基準法や福利厚生を求めるつもりはリカルドにもないが、それにしたってやり方が悪辣だと頭を掻いた。
冒険者同士の事にギルドが介入する事は無いため、こういう問題を回避するには個人が警戒して避ける必要があるのだが、戦えない奴とレッテルを貼られ誰にも相手にされなくなった男からしたら、甘い言葉に飛び付かずには居られなかっただろう事はリカルドでも容易に想像がついてしまった。
(……だけどこれ、俺もこうなってたのかもな……)
もし自分が選んだギフトが違っていたら。人間のままこの世界に降り立っていたならば。血がダメで同じように戦闘が苦手な自分も男のような目に遭っていた未来は十分にあっただろうとリカルドは思った。
束の間男を見つめていたリカルドは、これも何かの縁だよなと呟いて、よし!と気持ちを切り替えた。
「お客様は冒険者でいたいですか?」
まずはここからだと尋ねたリカルドに、男は力なく笑った。
「いたいとか、いたくないとか……俺にはもうそれしか出来る事が無いから……」
「もし冒険者に拘るという事であれば戦闘ではなく斥候に特化すれば目はあると思います」
「……え?」
いきなり現実的な話を始めたリカルドに、男はぽかんとした。
「冒険者に拘らなければこれまでの経験から商家で働く事も可能でしょうし、その体力と器用さがあれば薬師に師事してそちらの道に行くことも可能でしょう。他にも魔導士の素質がありますから、少々遅めではありますがそちらで道を切り開く事も出来るかと」
さて、どの道を進みたいと思われますか?とリカルドが尋ねると、男は口を開けたまま停止していた。
「…………あの……え?」
しばらくして復帰した男だったが、頭がついていかなかったのか聞き返した。
「まずは冒険者のままでいたいのか、それとも違う道に進みたいのか、そこから確認しましょうか。どちらが良いですか?」
「え……え?」
「難しい事は考えず、続けたいか続けたくないか。そこだけ教えていただけますか?」
「続け……たくは……」
もう、もう……と苦し気に首を横に振った男にリカルドは頷いた。
「では冒険者以外の道ですね。
お客様は人当たりが良く値段交渉や品質を見極める目をお持ちですから冒険者を相手にしている商家に入れば重宝されると思います」
「それは……」
嫌だと今度は先ほどよりもハッキリと首を横に振る男。
「もう、関わり合わずに済むなら、関わり合いたくない……」
もう疲れた。もういい。と呟く男に、さもありなんと内心頷くリカルド。
今まで散々下に見られて搾取され続けて来たのだ。冒険者全てがそうであるわけではないが、男にとって冒険者とはもうそういうイメージでしかなく、そんな相手に商売をするなど苦痛でしかないだろう。
一応適性があったので提示だけはしたが、予想通りの答えにリカルドはすぐに他の適性のある職の中から一番冒険者と接する機会が少ない選択肢をあげた。
「では一番接点が少ないのは薬師でしょう。冒険者を相手にする薬屋ではなく、街の方を相手にする薬屋の薬師に師事すればほとんど関わり合いになる事は無いかと。
もし希望されるのでしたら、私が知る薬師の方に紹介状を書きますがどうされますか?」
「紹介状……そんなもの書いてくれるんですか?」
「ええ。お客様からも誠意をもって弟子にしていただけるようお願いしていただかなければなりませんが、それをお持ちいただければ門前払いをされる事だけは無いかと」
リカルドの言葉に男の表情が俄かに変わった。
口先だけなら何でも言えるが、紹介状を書いてくれるのなら本当に薬師になれる道があるのかもしれないと、目の前で途切れていた生きる道が薄っすらとまた見え始めたのだ。
「お願いします、俺、なりたい、薬師になりたいです」
「わかりました。少しお待ちいただけますか?」
リカルドはバックヤードからと見せかけて紙と羽ペンを取り出してその場で手紙を書き、書きあがったそれを乾かすと封筒に入れて魔法で封じ、別の紙に地図を書いて封筒と一緒に男に差し出した。
「この地図にあるワッチパークという薬屋のディアナという薬師にお渡しください」
「ワッチパークのディアナさん……わかりました」
封筒と地図を大事そうに両手で受け取った男に、それととリカルドは続けた。
「お客様が大して使えないと思っておられる『小さなポケット』についてですが、それは歴とした空間魔法で使い手が限られる有益な力です」
「……へ?」
「これまで通り誰にも明かさず、隠れて使用する事をお勧めします」
「……空間魔法?」
「はい。鍛えればこの館に入るぐらいの物資を空間の狭間に入れて持ち運ぶ事も可能ですし、国から国への転移も可能となるでしょう」
男はリカルドの言葉に固まった。
国から国への転移を行う魔導士なんて、本当に一握りだと魔法に疎い男でも知っている。
それが自分が持っている変な力――片手に乗る程度の物を何もないところに出し入れ出来る力と同じだとは全く思ってもみなかった。というか、その『小さなポケット』を魔法だと思っていなかったので、ちょっと気味の悪い力だと男は敬遠していたぐらいだ。
「今からでも魔導士としての道を選んでいただいて構いませんよ。きっと空間魔法の使い手としてあちこちからひっきりなしに要請が掛かる事になるでしょう」
その場合は別の紹介状を書きますがどうされますか?とリカルドが尋ねると、男はハッとしたように首を横に振った。
「いえ、いいです、そんな、魔導士とか空間魔法とか……ちょっと俺には荷が重いというか……」
薬師への紹介状を離さないよう胸に抱える小心者そうな男に、リカルドは大丈夫、取りませんからと微笑み頷いた。
「ではそのままその紹介状をお持ちください」
「はい、はい」
そうしますと何度も頷く男からリカルドは視線を天幕の入り口へと向け、まだ夜明まで時間はあるよなと頭の中で確認した。
「お客様、せっかくの力なのでよければ朝まで少し練習されて行きませんか? おそらく片手から両手に乗る程度には入れられる物を増やせると思いますが」
薬師になったとしてもその力はとても有益だと思いますよとリカルドが提案すると、男はリカルドと同じように天幕の入り口を見て、さっきまで寒さで震えていた事を思い出した。
今ここを出れば凍え死ぬ。そう自覚した男は視線をリカルドに戻した。
「……朝まで?」
「はい。日が登るまで」
安心させるような柔らかな笑みを浮かべるリカルドに、意図的にここに居させてくれるのだと悟った男はおずおずと頷いた。
「あの、じゃあ、お願いします」
言質を取ったリカルドはじゃあまずはこのお菓子を食べて元気になってから始めましょうかと例のブツを取り出し食べさせた。
この時点でお察しであるが、一晩でガッツリ鍛えるつもりのリカルドである。
男の戦闘が苦手という部分がどうにも自分と重なってしまい、ここである程度自衛能力含めて鍛えてやるから今後の人生しっかり生きろよ!というエールのつもりなのだが、果たしてそれが有難迷惑になるのか、それとも本当にエールになるのか。そこは誰にも見透せない事であった。
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