第109話 何度でも落ちる心と、ようやくの再開
ぐさり。としっかり刺さるナイフ。
(うわ……)
腕からナイフが生えたその光景に、自分でやっておきながらリカルドはゾワっと鳥肌(妄想)を立てた。
ヒルデリアではもっと酷い事を散々やったので、ナイフぐらいならいけるだろと楽観視していたのだが普通にダメだった。
当然である。リカルドにとってヒルデリアは戦場で、ここグリンモアは日常なのだ。気構えというものが全く違う。
だがもう刺さってしまったので後には引けない。リカルドは追手が接近する前にと、我慢して柄を掴んで抜いた。
合わせてそこから人間らしく血を溢れさせ、すぐに服の袖を引きちぎり傷口に巻きつけ縛って血の生産をストップ。
(あ……なんか、思ったより本当にやばいかも……)
腕を伝う何とも言えない感触と鼻につく鉄サビの匂いに、偽物だとわかっていても血の気が引き(妄想)ちょっと気が遠くなるリカルド。
(なんで俺こんな事やってるんだろ……)
そんな考えも浮かぶが、その答えは先程自分で考えた計画のためであるし、もっと手前のそもそも論を言うと三股四股男に突っかかったのが始まりなので自業自得という話になる。
さすがにリカルドもその答えにはすぐに到達して、いやいや俺が居合わせなかったらこの子が無事じゃなかったかもしれないし、これもきっと何かの導きなんだよ……と自分に言い聞かせた。
ちなみにここにリカルドが居合わせなかった場合でもその子供は警邏に保護され、そのまま問題なく王太子の保護下に入る確率が高かった。つまり、リカルドが居なければ死んでいたかもしれないという確率は低いのだ。具体的に言うと数パーセントの単位で低い。
むしろリカルドがややこしい恰好(幻覚付き)で居合わせたせいで感情を上げて落とされる事になり、今後の精神状態が危ぶまれる可能性が出て来てしまっていた。
リカルドには無情な話だが、何かの導きだとすれば現状それは良くない存在の導きなのかもしれなかった。
「な、な、なん――」
「死にたくなければそこから動かないでください」
リカルドは何か言おうとしていた三股四股男に言い捨て(一応これから行う計画の目撃者その一の予定なので、保護する気はある)、泣きじゃくっている子供を眠らせて片手で抱えるともう片方の手でナイフを構えた。そして雪が積もる足場をものともせず迫り来ていた追手の剣をナイフ一本で受け止める。
ガッ
雪が音を吸収するせいか、それとも勢いが
相手の男は一瞬、片手で初撃を耐えたリカルドに目を見張ったが、すぐに感情の読めない目に戻り無言で力を強めた。
(幻覚の効果で気を抜いてくれればラッキーだったんだけど……さすがに暗殺者にハニートラップは効かないよな)
やっぱダメか……と内心ごちて、一切の手加減なく力を込めてくる男に押し負ける振りをして刃の角度を変え、相手の勢いを利用し流し払う。ついでに回し蹴りを繰り出し(ロングスカートが邪魔でこっそり切れ目を入れた)飛び退かせた。
一度間合いを取って互いの出方を伺う男とリカルド。
だが事前に確認した通り男は問答する気はないらしく、リカルドが顔を強張らせたまま向かって来ないのを見るとすぐに攻撃に転じた。
それをリカルドはナイフと体術でギリギリいなし、躱し、頭突きも織り交ぜながらどうにか凌いでいる風に見せる。
(あと少しだと思うけど……そろそろもう一人来そうなんだよな……)
と思ったところで案の定懸念だった二人目の姿が見え、さらにこちらに走りながらナイフを投げようとしているのも見えてリカルドは時を止めた。
狙いがどうも自分と子供ではないなと思ったのだが、その意図を調べて見れば三股四股男がそろりそろりとこの場から逃げようとしており、それを狙ったものだった。
動くなと言ったのに動いている男に、こいつもうほっとけばいいんじゃね?と冷めた思考になるリカルド。だが腕に抱えた子供の事を考えると自分のせいで犠牲者が出たと知るのは酷かな……と思い直した。
仕方なく時を戻して、目の前で剣を振り上げる男に足元の雪を蹴って視界を塞ぎ、その隙に投げられたナイフの射線上に出て一本目を叩き落した。そして二本目は当たらないので無視。三本目は人外スピードになるので叩き落とさず、また自分で受けた。本日二本目のぐさりである。
思わず、死にたくなければそれ以上動くんじゃねぇぞ!と三股四股男にガン飛ばしたのは致し方ない事と言えよう。
そしてすぐに雪を払った男と追いついたもう一人へ意識を戻し、肩近くにナイフを刺したまま応戦するリカルド。
だがやはり向こうの手数が増えるとどうしても無理があった。
人外のスピードを出していいなら十分捌けるのだが、そんな事をしたら仕留めきれないと思われて撤退され計画が頓挫する。なので、目撃者役が到着するまでもう少しそのまま粘る必要があるのだ。
という事で撤退されない範疇のスピードで子供には攻撃を当てさせないようにするが、リカルドの方はそうもいかず。急所こそ避けているもののどんどん切られ、当然不自然ではないように血も作っていく事になり——
(やばい……気持ち悪い、まじで吐きそう……)
(精神的に)瀕死になっていくリカルド。
(早く来て、お願いだから早く……)
演技ではなく本気ではぁはぁ(時々おえっと)しながら願っていると、その願いが通じたのか左側の道から複数の足音が聞こえてきて、角から警邏と三股四股男の同僚たちが揃って現れた。
「!? 何をしている!」
先頭に居た警邏がリカルド達を視界に入れるなり即座に抜剣、加速した。
国民を守らんとする素晴らしいその判断力と姿勢にリカルドは内心拍手しながら、やっとこれで血から解放されるとナイフを捨ててその場にしゃがみ込んだ。
その瞬間、雪の下から地面を破る勢いで巨大な根が出現し、リカルドに振り下ろされた剣を受け止めた。
「――?!」
突然の出来事に抜剣したまま急停止する警邏。
そんな中、リカルドは魔改造させてもらっている壁の向こう側のお宅の庭の木の根っこを使い、剣を根に食い込ませて取れなくなった二人をこっそりバインドで足止めしつつ巨大な
さらに辺りの雪を溶かして地面の下で眠っている種子状態の植物を活性化、一気に芽吹かせ成長させた。
緑の手を持つグリンモアの民といえど、真冬にみるみる草花が伸びて花を咲かせる様は、異様だった。
息をする事も忘れて凝視する観衆の中、リカルドはゆっくりと身体を起こすと重力魔法を使ってふわりと浮かび上がり、自身の服を何かのゲームで見たような葉と花がモチーフの衣装へと変えた(安心安全全年齢対応の魔法少女の変身と同仕様。エフェクトは花びら)。ついでに不調の原因の血も全部消し、肩近くに刺さったままだったナイフも空間の狭間に収納して消した。
「………精霊?」
誰かが呟いた声が、サワサワと風に揺れる草の葉の音に混じる。
リカルドはそうそうそれそれと思ったが、無表情を保って子供を抱えたまま根で縛り上げている二人のところまで空を泳ぐように浮かび上がり手を翳した。
拘束されたまま身構える二人だが、二人からはほっそりとした白い手を翳されただけで特に目に見えて何かが起きる事はなかった。
だが周囲の者には二人が巨大な花弁に包まれ蕾の中に閉じ込められたように見えており、そうやって隠したところでリカルドはちょいちょいと死霊術を使って二人から生命力を奪い、隠し持っている毒物や武器となるものを転移で全て排除した。こうしておけばそう簡単には逃げられず尋問の時にも情報を得やすくなるのだが、
尚、奪った生命力は魔改造させてもらった木の根に贈呈しておいたので、壁の向こうのお宅の木は元気一杯、葉がツヤツヤになっている。家人が事実を知れば何やってくれてんの?!と怒るだろうが、一応リカルド的には協力していただいたお礼のつもりだ。ありがた迷惑というやつである。
やるべき事を終えてリカルドが手を降ろすと、幻覚の蕾が開いて老人のようになった二人の姿が現れ、軽い悲鳴があがった。
リカルドはそんな周りの反応は全て無視し、やや畏れを抱いて立ち尽くしている警邏の一人へと舞い降り眠る子供を差し出した。
「……あ」
反射的に受け取った警邏の隊員。
リカルドはそこで一度時を止め、空間の狭間からからブルーベリー色の精霊の欠片を取り出すと細工をして細い鎖をつけた。そうして時を戻し、子供の首に出来上がったものをかけて隊員に微笑んだ。
〝この子をよろしくね?〟
一方的に居合わせた者達に念話を送りつけ、大量の花びらの幻覚を見せてその場から消えたように転移。これで計画の完了だ。
(これで精霊があの子を守ったって勝手に解釈してくれるからいいとして)
転移した先は先ほどの場所から然程離れていない路地。
壁を背にしている子供の護衛が、どうにか囲いを突破しようと三人を相手に隙を伺っているところだ。
リカルドは手っ取り早く追手三人を眠らせ、護衛を子供が居る路地の近くへと転移させた。そしてもう一人の護衛のところに行って同じように問答無用で転移。
突然場所が変わった護衛二人は一瞬状況が掴めず戸惑ったが、お互いに気づくと護衛対象の子供の行方を確認。傍の騒ぎにもしやと勘が働いて近寄れば、警邏に抱かれた子供の姿を見つけ、勢い込んでダッシュした。
そこまで見届けてリカルドは自宅の地下へと撤収し、大きな溜息をついた。
血によるダメージもさることながら、それだけではないダメージが今回はあった。
疲れたように椅子に座って頬杖をつくリカルド。
「……あれで良かったのかどうなのか」
頭に残っているのは離れたくないと全身でしがみついてきた子供の姿だ。
子供の心を傷つけるような事をしでかしてしまった事が結構重く心にのしかかっていた。
「………………」
暫くぼーっとしていたリカルドだが、これはいかんと自覚して姿勢を正した。
「とりあえず出来る事はした。あれ以上はあの子の人生だから、俺が何が幸せかとかどうなったらいいとか考える事じゃない。考えるのは終わり、やめ、終了!」
とか言いつつ、後で状況を覗いて大丈夫そうか確認しとこうと考えるのだから甘っちょろい
「さて、シルキーに買ったのを見て貰わないと」
勢いよく立ち上がって空元気を出し、日本版の姿に戻ってバックヤードから階段を上りキッチンを覗けば、そこにはなにやら生地を捏ねているシルキーの姿があった。なんとなくそれだけでほっとしてしまうリカルド。
〝おかえりなさい〟
「ただいまシルキー」
リカルドに気づいていつもと変わらぬほんわりした笑みを浮かべるシルキー。
リカルドが火を使ってもいい?と聞けばシルキーは捏ねていた生地を器に入れて濡れ布巾をかけ、脇に置いて手を洗った。
〝お茶でしたらお淹れしますよ〟
「邪魔してない?」
〝あとは少し休ませてからの作業になりますから〟
「そっか……ありがと」
シルキーはいいえと首を振って湯を沸かしながらテーブルを拭いて綺麗にすると、フライパンを取り出して小麦粉を卵と水で溶いて生地を焼き、そこに黄色い何かを乗せて器用にクルクルと巻いて皿に乗せ、それから紅茶を淹れてリカルドの前に出した。
〝
名前はよくわからなかったが、いただきますとリカルドはフォークを手に取って一口サイズに輪切りにした。断面の見た目は小さなロールケーキのジャムバージョンのような感じだ。口に入れるとまだ熱々で生地とジャムが解けるように混ざり、ジャムがたっぷり使われているわりにそれ程くどくなく食べやすい甘さだった。
リカルドは自然と二口目へと手を動かして、ぱくり。三口目をぱくり。無意識に四口目を食べたところでシルキーが追加で皿を置いた。
〝違うジャムで作ったものです。こちらもどうぞ〟
いつもは一皿しか出さないシルキーが続けて出したので、リカルドは思わずいいの?と首を傾げた。
シルキーはリカルドの問いに頷き、
〝お疲れのようですから〟
だから召し上がってくださいと柔らかく微笑んだ。
表面上、リカルドはいつもと変わらない筈である。なのに気づいたシルキーに、胸を突かれるリカルド。何度目かの完落ちである。
「ありがとぅ……」
涙も鼻水も出ないが、目元を隠してもぐもぐ食べた。
そうして追加で二本完食して、果実の香りがする紅茶をゆっくりいただいたところでようやく完全に気持ちが切り替わった。
「頼まれてたものなんだけど、種類が多かったからまとめて貰ってきちゃったんだ」
と言いながら空間の狭間から糸と布をどさりとテーブルに出すリカルド。
シルキーは珍しく目を丸くしてその山を見ると、苦笑を浮かべてリカルドにお礼を言った。
〝ありがとうございます。これだけあると選ぶのも楽しそうです〟
さすがシルキー。伝えたものを買って来れないダメな主にも優しかった。
そこにそろそろ夕飯の支度を手伝おうかなと部屋から出てきた樹が顔を覗かせた。
「あ、お帰りなさい」
「あぁ樹くん。ただいま」
樹はそのままテーブルの上にあるものに視線を移し目を瞬かせた。
「これは……」
「糸と布。刺繍の材料だよ」
「刺繍……すごい量ですね。何を作るんです?」
「何をってわけじゃないんだけど、まぁ練習用だね」
リカルドの答えに、練習用……と呟く樹。それにしては量が多くない?と思ったが、こちらも賢く深くは突っ込まなかった。
「広場の方には行って見ました?」
「あぁ……うん。行ったよ。野菜とか農作業とかほのぼのした雪像が多かったね」
一瞬いろいろな事を思い出して間を空けそうになったが、何でもない振りをして答えるリカルド。
「そうなんですよね。俺の世界の雪祭りだともっと有名な建物とかそういうのが多かったんですけど、地域性っていうのかな? 独特だなって思いました」
苦笑する樹に、龍の雪像は見なかったらしいと察するリカルド。いつかは目にするだろうが、今日ばかりはいろいろあったので見ていなくてよかったと安堵した。話題に出されたら狼狽える自信しかなかった。
樹くんの世界では建物以外にどんな雪像を作ってるの?と、そんな事を話しているうちにシルキーが大量にあった布と糸を片付け、そのまま三人で晩御飯の準備に入った。
本日のメニューは赤ちゃんの耳たぶという、リカルドにはなんだか猟奇的な名前に聞こえるものだった。
ドキドキ(妄想)しながらリカルドが材料及び調理工程を観察していると、シルキーが小さく切った小麦粉の生地を指で潰して貝殻みたいな形を作って見せ、それが小さくて可愛い耳に見えるからと名前の由来を説明してくれて、そこでやっとほっとした。
いやまさかシルキーがそんな、ねぇ?とは思っていたのだが、異世界に来てまさかと思うような事がいくつもあったので変に警戒してしまったリカルドである。日本でもう少しパスタに興味を持っていれば
オイル系と相性のいいそのショートパスタを茹でて、アスパラとニンニクを炒めたところに茹で汁を加えて絡め削ったチーズで味を調えれば完成だ。付け合わせは蒸し鶏の柑橘ソース掛けと根菜のマリネで、テーブルに並べたところでリカルドは樹とモチモチしてるねーとおしゃべりしながらいただいた。パスタがパンチの効いている味付けだから付け合わせがさっぱりしているのがまた良くて、無限ループが出来そうだなと思いながらあっという間に完食してしまった。
食事を終えて後片付けをすると、さてルゼかと考えるリカルド。さすがに今日約束した事なので忘れてはいない。
あちらの様子を確認すると野営でご飯中だったので少し待ってから訪問し、約束通りルゼに感覚を掴ませるため魔法の同時使用をルゼの魔力を使ってやってみせた。
野営の邪魔にならないようにと火ではなく水の魔法を使用して空中にいくつもの水球を作ったのだが、火よりも扱いが苦手なのかルゼは苦戦した。それでもルゼは不満な顔一つせず研究者のように自分のコントロールについて考察を繰り返し、5回程リカルドがやってみせたところでコツを掴んで来た。そこからは集中するとリカルドに宣言して自分の中に意識を研ぎ澄ませるように自主練習に入ってしまったので、リカルドは暫く見守った後にまた明日来ますねと言ってその場を後にした。
好きこそものの上手なれではないが、あの子も十分天賦の才がありそうだよなと地下の部屋で狐面を外しながら思うリカルド。
そうして何となく心機一転のつもりで魔法で部屋全体を綺麗にしたところで、ふと動きを止めると急に真面目な顔を作って厳かに椅子に座った。そして机に手を乗せて目を伏せると、占いの館よ……待たせたな……とよくわからない一人芝居を始めて悦に浸った。
アホである。占いの館を再開出来るのが嬉しくてテンションが上がったノリでやっているのだが、誰かに見られたら恥ずか死確定案件である。
「……それじゃ、やりますか!」
しょうもない事をして満足したところで頬を叩き背を伸ばすリカルド。表情をいつもの穏やかな微笑みに固定し、気持ちを新たにして意気揚々と空間を繋げた。
直後、館が燃えた。
何事!?と、反射的に時を止めるリカルド。だが、時を止めてもなお館を這いずる炎は止まらず、それ故にその正体を悟った。
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