第108話 負かしたい!と思っていたら思わぬ事態に
(いやいや……)
リカルドは額を押さえて息を吐いた。
(噂を聞いて何を思うのかは個人の自由だから。あれもただの一つの意見だって)
と、冷静になろうとするリカルドの後ろで会話は続く。
「そうは言っても
「それは英雄を知ってるって自慢したいから適当に言ってるだけだろ。悪く言えば恨まれるかもしれないからいいように言ってるだけで」
(否定的な意見が出るのもわかってたし……)
「そんな自慢するような人じゃないって、あのおやじは」
「じゃ英雄とやらの外面がいいんだろ。そういう奴に限っていざとなれば命惜しさに女を生贄に捧げるとか平気でするんだよ」
(あくまでも個人の意見で……)
「今頃話が大きくなり過ぎてビビってるんじゃないか? 顔がどうだとか話も出ないって事はどうせ見た目も悪いんだろ」
案外その女の方がそいつとデキてる事にされて
ぶち。
いままで聞いたことが無い音(幻聴)を聞いたリカルド。
即座に踵を返して口を開き——そこで毎度お世話になっている精神耐性が働いた。残された冷静な思考が囁いたのだ。果たしてこいつに苦情を言ったところでまともに耳を貸すのだろうか?と。
そんな事は
結果、突然会話に入ってきたリカルドを冗談もわからない頭のおかしな奴と馬鹿にして会話など成り立たない事が判明。それどころか、揉め事を起こしたとして警邏にしょっぴかれる可能性もあった。
まぁ普通に考えればそんなものである。
仲間内でちょっとふざけながら話をしているところに、いきなり他人が入ってきて正論を言い出したら白けるし、何こいつ空気読めないの?頭やばい奴?となって反感と警戒感を抱くのが人間というものだ。
そしてここには雪像を作るために三股四股男の同僚が多数おり、騒ぎが大きくなれば必然的に部外者のリカルド(一人)対三股四股男とその同僚(多数)という構図になる。
その状況でどれほどリカルドが正しい事を言ったとしても、三股四股男がそんな事は言っていない、言い掛かりだ。と言ってしまえば部外者のリカルドは分が悪い。三股四股男が属しているコミュニティのメンバーから三股四股男以上の信用を得る事など基本的に難しいのだ。仮に得られたとしても仲間を批判する側に回る事は稀だろう。
よって多勢に無勢。数は力の理論で負けるのである。
(……なるほど)
理解はしたリカルド。
だが腹の虫は全く収まらない。ラドバウトならほっとけと言うだろうと想像もつくのだが、どーにもムカついて仕方がなかった。
うちのラドを悪く言いやがって!とラドバウトが聞けば、いやお前とパーティー組んだ事一度もないからな。と突っ込みが入りそうな事を考えつつ、どうにか出来ないか頭を捻った。
(とにかく……なんかこう、ぎゃふんと言わせたい! 負かしたい! 物理的にはアレだから精神的な方向で……あ、いや、そうか)
不意に思いつくリカルド。
(俺が男だからダメなんだよ)
悲しいかな、人は見た目に左右される生き物である。とはリカルドが占いの館を開いてすぐに学んだ事である。
つまりリカルドがそのままの姿で三股四股男に苦情を言うと男同士の喧嘩という絵面になり、第三者が目撃しても関わり合いになるのは止めておこう。となるが、それが儚げな女性だったりすると男性が女性に何かしている?とか、男達が女性を囲んで何かしている?とか、そっちの方向に受け取られやすいのではないかと考えたのだ。
もしそういう方向で第三者を巻き込み自陣に加える事が出来れば数の不利は解消され、場合によってはその数が逆転する可能性も出てくる。
リカルドはすぐに
まずは見た目を変えるところからだが、リカルドは迷わずグリンモア的美女へと姿を変えた。これだけで第三者の男性陣がかなりの確率で味方につくのだ。
同じ男としてその単純な生態に切なさを感じるリカルドだが(もちろん自分が第三者なら美女派)、気にしている場合ではないのでそんな思いは振り捨てる。
そして見る者にとって好ましい女性の姿になるように幻覚魔法も補助に使う(不特定多数に対して見せる幻覚を変える高難易度技)。こうする事で個人の好みに合わせる事が可能となり、さらには女性からの票も得やすくなる。男性票だけ獲得した場合、女性からの反感を買って横槍が入る可能性があるため、それを防ぐ意味でもこの一手間は重要だった。
ちなみに、実はこの高難易度の幻覚魔法を使う時点で女装(女体化)の必要性はほぼ無い。せいぜい幻覚(女)と実体(男)とのずれが大きくなるので接触された時に違和感を抱かれるのを防ぐぐらいだ。じゃあ何でリカルドは女装(女体化)したのかと言えば、単純に調べた順番が女体化が先で幻覚が後だったため必要性の精査がうまく出来なかっただけである。つまり、ただのポンコツという事だ。
無駄な事をしていると気づかず服を女物に変えて準備を完了させたリカルドは、よし。と気合を入れて時を戻し出陣した。
人の足によって踏み固められた雪の上をゆっくりと歩いていくリカルド(美女)。初めてのロングスカートで若干歩きにくいが、そこは気合と身体能力でカバーだ(やっている事は無駄だが、本人は大真面目である)。
そしてそのまま問題の三股四股男の後ろに立つと、そっと息を吸った。
あのーちょっといいですか?などとまどろっこしいやりとりはしない。そんな事をしていたら三股四股男に普通にナンパされて話がおかしな方へと転がるので、初っ端から勝負を仕掛けるリカルド。
「どうしてそんな事が言えるのですか?」
人に悲しみを感じさせるように作った声は然程大きくなかった。だが風魔法によって周囲に居る人々に届くように広げ、加えて精神魔法を使いその声が気になるように働きかけるリカルド。高難易度の幻覚魔法と合わせ、魅了にならないように微妙なコントロールで精神魔法を使うその手腕はさすが歴戦格の
そしてその効果は顕著で、すでに数名足を止めてリカルド(美女)の方を見ていた。
三股四股男とその同僚も背後で聞こえた声に振り向き――固まった。何せ頭の中の理想の女性が具現化して自分の方を見ているのである。びっくりするなと言う方が無理な話だった。
リカルドはその隙を見逃さず言葉を続ける。
「先程そちらの方と話しているのが聞こえました。ヒルデリアで命がけで戦った戦士に対して、女を生贄にしただけの腰抜けだ。英雄として祭り上げるなど気が知れない、と。どうしてそんな事が言えるのですか?」
「………は? いや、なに、え?」
三股四股男はリカルド(美女)の顔に見惚れていたが、ようやく糾弾されている事に気づいて戸惑った。
これがリカルド(男)であれば、ああ?なんだよお前。とすぐに反応していたので、やはり見た目の力は偉大である。
「本当はこんな風に声を掛けるのもどうかとも思ったのです。でも、やっぱり恩人の事を悪く言われて黙っている事は出来ません。
私は英雄と言われるその方、ラドバウトさんにお世話になった事がありますが、決して誰かを犠牲にして生き残ろうなどと考えるような方ではありませんでした。仲間を逃がして、自分一人最後まで見届けようと踏み留まる。そういう方です。
そんな方をどうして、顔も醜く女を生贄にしただけの腰抜けだと、英雄として祭り上げるなど気が知れないなどと言えるのですか?」
(水魔法で)目を潤ませて訴えるリカルド(美女)。
ちなみに同じ内容を繰り返しているのは集まり始めた
「あれほどの方をどうして――」
「いや、ちょっと待て! 俺はそんな事言ってないぞ!」
周囲に人が集まって来ている事に気づいて、慌てて大声で反論する三股四股男。
普通の女性なら男性の大声に怯む者も多いが、もちろんそんな大声程度で怯むリカルドではない。古龍に頭からパクつかれ、
「では私が嘘を言っているという事ですか? 顔も醜く女の生贄にしただけの腰抜けが英雄として祭り上げるなど気が知れないなんて、そんな酷い事を私が考えてそれをあなたが言ったと嘘をついていると?」
胸元で手を握りしめ、酷い……とひとすじの涙を零して見せるリカルド(美女)。三股四股男はただそれだけで狼狽え「そっ……れは」と言葉が途切れた。が、女慣れしているせいかすぐに立ち直り、周りの視線にこのままでは不味いと方向性を変えてきた。
「か、勘違い! 勘違いしてるんだよ! 俺じゃない別の奴と間違えてるんじゃないか!?」
例えばこいつとか!と横の同僚を生贄に差し出す三股四股男。差し出された方は目を剥いた。
「はあ?! 何言ってるんだよ! 俺は違うんじゃないかって言っただろ!?」
罪を擦り付けられそうになって冗談じゃないと同僚の男性は声を荒げた。
それはそうである。この時点でかなりの野次馬が集まっており、その大多数が英雄を馬鹿にした三股四股男へとヘイトを向けていたのだ。ここで自分が言った事にされたら、そのヘイトが丸々自分へと向かって来てしまう。
「そちらの方ではありません。その方はバッスル亭の方もいい人だと言っていたので、精霊使いの方を亡くしてしまったのはどうにもならない事だったのではないか? と反論されていました」
「そう! そうです! 俺は已むに已まれない状況だったんじゃないかって言ったんです! ほらみろ! お前が言ったんだろ! 英雄だなんて祭りあげて気が知れないって!」
同僚の男性はリカルド(美女)の援護に我が意を得たりとばかりに頷いて、三股四股男が件の発言をしたとリカルド(美女)の主張を肯定した。
この瞬間、リカルドの勝利がほぼ確定した。
何せ身内からリカルド(美女)の証言を肯定する言葉が出たのだ。これ以上の証拠はない。
よもやこれほど簡単に事が運ぶとは……と、内心笑いが止まらないリカルド。完全に悪人面である。
「ちがっ、言ってな――」
「それにラドバウトさんの事だけでなく、命を懸けてこの人の地を守ってくださった精霊使いの方も侮辱しましたよね?」
三股四股男の言葉に被せ、さらに畳みかけるリカルド(美女)。オーバーキルに片足突っ込んでいるが、どうしても個人的に言っておきたい事があったのだ。
「そんな醜い男の恋人と言われて
リカルド(美女)の言葉に周りのざわめきが増し、信じられない!といった眼差しが三股四股男へと向けられた。
そもそも
「違う! そんな事は言って――」
「言った言わないの問答は止めましょう。そちらの方に確認すれば終わる話ですから。ただ」
リカルド(美女)は意味ありげに言葉を区切り、三股四股男の目を正面から見据えた。
「大通りの花屋で働かれている女性、南門近くの宿屋で働かれている女性、北門近くの食堂で働かれている女性」
「なっ――」
「そしてつい最近、工業区の方で働かれている見習い職人の少女と付き合われていますよね?」
はく。と三股四股男の言葉にならない息が漏れた。
前者三名は自慢していたので他人に漏れている可能性は十分にある。だが、つい先日声を掛けて付き合い出したばかりの少女の事は、誰にも言った覚えがなかった。他人が知る筈のない情報だったのだ。
「同時に四人もの女性と付き合われているような方に、精霊使いの方をどうこう言う資格は無いのではないかと思いますが?(意訳:何股もしているような奴が戯言ほざいてんじゃねぇぞ!)」
これが一番言いたかったリカルド。非モテの心からの糾弾である。
リカルドの内心など周囲の野次馬は知る由もないが、男女共に同意する声が上がりざわめきは喧騒へと次第に大きく膨らんでいった。
と、そこで人垣を割って壮年の男性が入り込んできた。
「何事だ!」
鼓膜を震わせる一喝に、瞬間的にその場が静まった。
「グ、グラインさん……」
歳で白いものが混じり始めた髪を後ろに撫でつけた男性は、焦ったような声を出す三股四股男とリカルド(美女)、そして三股四股男の同僚に目を向けた。
「あ、あの俺は関係ないんです! こいつが馬鹿な事言って!」
その視線に震え上がるように同僚の男が声を上げた。
尚、ここに至るまで三股四股男の同僚はかなりの数が集まって来ていたのだが、結局擁護する者は誰も出なかった。完全にリカルドのペースになっていたので、巻き込まれたくないと保身が働いたのだ。
リカルドは孤立無援となり青くなっている三股四股男を見て、人間こうはなりたくないよな……と思いながら同僚の男性が壮年の男性(この雪像を作っている商業ギルドの役員の一人)に、経緯を一生懸命伝えているのを静観していた。
言いたい事も言ったし、ここまでくればもう何もしなくとも公開説教が行われて三股四股男の株は大暴落する。仕事にも少々影響が出るかもしれないが、そこは素直にふざけ過ぎたと謝罪すれば被害は最小で済む。せいぜい悪くて一ヶ月の減給程度だ。
リカルドとしてはそれでも十分満足のいく結果である。
よく知りもしない相手の事をそんな風に貶めてたら自分が貶められる事になるんだぞ。と完全に上から目線でやり切った満足感に浸っていると、不意に三股四股男が動いた。
「くそっ!」
ヤケクソのようにリカルド(美女)の腕を掴んで走り出したのだが、リカルドは取り押さえようとして、いやこれはこれでいいかとやめた。
側から見れば人攫いに近い行為に見えるので、より罰が重くなるだろうと思ってだ。果たしてどこまで罪状を重ねていくのだろうかと底意地の悪い事を考えながら、引っ張られ(るフリをし)て足を動かしていると、三股四股男は追いかけてくる同僚や野次馬達の視界から逃れるように路地に入り、どんどん奥へと入り込んで人気の無い場所まで来るとリカルド(美女)を壁に叩きつけた。
「何だよお前!」
「っ……こんな事をして、どうなるかわかっていますか?」
痛みに顔を歪め(るフリをし)て言い返すリカルド(美女)。
「知るか! そんな事よりお前何をどこまで知ってるんだよ!?」
――何をどこまで?と思うリカルド。
何となくだが、その反応からこいつ犯罪にでも手を染めているんだろうか?と思って時を止めて調べてみれば、商業ギルドの職員として一部の商会から賄賂を貰っている事が判明。その事までリカルド(美女)に掴まれているんじゃないかと疑っている事がわかった。
(いや、賄賂とか知らないし……)
そっちはどうでもいいんだけど……と、溜息をついて時を戻した。
「何の事を言われているのかわかりませんけど、自分の非を認めて謝罪すれば今なら役員の方も注意ぐらいで済ましてくれると思いますよ」
「お前……やっぱり内情を知ってるのか」
顔を歪ませ唸る三股四股男。
あ。こいつ今は何を言ってもそっちに繋げるわ。とリカルドは早々に諦めた。
面倒臭いので早く同僚に引き渡すかと再び時を止めて調べてみれば、わりとすぐ近くまで追って来ている事がわかってほっとした。
「内情って、なんなんですか」
「しらばっくれるな!」
とりあえず何も知りませんというポーズを取って待とうとしたリカルドだが、三股四股男はどこまでも冷静なリカルド(美女)にカッとなって手を上げた。
人外の動体視力を持つリカルドは当然その挙動が見えたが、まぁ一発殴られて罪を一つ重くするのもいいかな?と思ってそのまま待ち受けた。
が、
「お母さん!」
突如甲高い声が響き渡り、リカルドの腰に小さな物体がぶつかった。
不意打ちタックル選手権なるものがあれば、なかなかの好成績が収められそうなぐらい経験があるリカルド。反射的にウリドールよりも軽いそれを難なく受け止めて何事かと見れば、8歳か9歳、そのぐらいの子供がリカルドの腰に手を伸ばして抱き着いていた。
「こ、子供?」
三股四股男の困惑した声でリカルドは我に返り、一旦時を止めた。
(なんでこんな奥まったところに子供が……この辺の子か?)
それにしたって一人で歩くにはちょっとアレな感じのところじゃないか?と周囲の雑然とした雰囲気を感じながら親がどこにいるのか調べ——判明した事実にリカルドは言葉を失った。
その子供はとある王国の王族だった。しかも王唯一の子で、政争の問題から暗殺の恐れがあるため母親の専属護衛だった二人が命がけでこのグリンモアに亡命させるために連れて来ていた。
そして母親はというと、後から必ず行くからと言って子供を護衛に託し死亡していた。
リカルドは今、幻覚魔法を使用している。見る者が好ましいと思う姿に見えるように。
よって偶然であり全く知らなかった事ではあるが、母親が来てくれたとその子供に誤解させてしまったのだ。
(…………まじか)
罪悪感が半端なかった。
申し訳ないとか言うのも憚られるぐらいの状況に、しばし動けないリカルド。
だがいつまでも気持ちを地中深くにめり込ませていても仕方がない。現実問題これをどうするかと、リカルドは心苦しさを一旦脇に置いて思考を巡らし始めた。
政争の問題についてはリカルドにはややこしいのでパスして、とりあえずグリンモア――王太子がこの子供を受け入れるのか否かを調べた。駄目だったら最悪
ただ、他国の政争に絡む問題の種を抱え込んだと批難する声が上がる事もわかり、ううむと唸る。
(保護して貰えるならその辺のサポートぐらいはしたいけど……んー俺が出来そうな事……丁度リサで精霊の認知度が上がってるからそれ利用するか? グリンモアだから……植物の精霊とか)
グリンモアに所縁のありそうな植物の精霊がこの子供を守ったとなれば話は変わるかな?と調べれば、それなりの効果はあるようだった。
じゃあそうするかとリカルドは決め、どういう現象が
そして何度か頭の中でシミュレーションを行い、いけそうだなと思ったところで時を戻した。
「な、なんだよ、お前子供がい——」
リカルドは三股四股男の言葉を無視してその腕を引き、男を庇うように飛来したナイフを左腕で受けた。
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