第105話 そこに居るのは予想外だった

 リカルドが家へと戻ると、こちらでは朝日がすっかり顔を見せていた。時間的には朝市には遅いが、朝ごはんには間に合いそうなタイミングだ。


(良かった、これならセーフかな?)


 キッチンから漂ういい匂いに内心顔を綻ばせていると、おかえりなさーいとウリドールが姿を見せた。


〝今日はちょっと遅かったですね〟

「そうか? 言うほど遅くないと思うけど」

〝遅いですー。ちょっと遅いだけでもドキドキするんですー〟


 何度もすっぽかされたんですからねと拗ねたように言うウリドールに、リカルドはわかったわかったと固くパリパリになった雪を踏み締め世界樹の方へと足を向けた。


「だけど最近は無理な時は無理ってちゃんと前もって言ってるだろ?」

〝前もって言われてもお腹は膨れないんです〟


 真面目腐った顔で言われて、まぁそりゃねと思うリカルド。事前に言われて出来る事は心構えぐらいだ。


「何か非常食みたいな感じで作っとけないかねぇ……」


 何となく今後も突発的な事で帰れない事とかありそうだよなぁと思いながら水を撒けば、横でにこにこしていたウリドールが疑問を顔に浮かべた。


〝ひじょうしょく?〟

「俺が戻れない時のごはんだよ。先に渡しておいたら俺が居なくてもそれを食べて凌げるだろ?」


 ラドに渡した魔力タンクみたいなのを作ればこいつもあの龍みたいに吸えるかな?と思考を巡らせていると、ウリドールはこてんと首を傾げた。


〝貰ったらすぐに食べちゃいますよ?〟

「いや食べるなよ。俺が居ない時用の非常食なんだって」

〝だって目の前にごはんがあったら食べちゃいますよ?〟


 首を傾げたまま素で言うウリドールの様子に、もしやと時を止めるリカルド。

 世界樹と言えど木である事には変わりはない。であれば栄養となるものがあれば勝手に吸収してしまうのかもしれない。とそう思ったのだが、調べてみれば単純にリカルドの魔力が好みと合致しているせいで我慢できずに吸収しているだけだった。

 脱力して時を戻したリカルド。とりあえず非常食が出来てもこいつに渡すのは止めようと思った。シルキー一択だ。


〝あれ? 今止めてました?〟

「あーうん。ちょっとな。まぁ気にするな」


 じゃあ俺もごはん食べたいからと踵を返せば、はーいと気楽な返事をしてウリドールは消え、なんだか余計に疲れた気分になるリカルド。


(……にしても、あの耳と尻尾だけは良かったよなぁ……あれだけ取れないかなぁ……)


 そして削れた精神を回復させるために無意識に思い浮かべたのは森狐メアレプスだった。

 辺りにいい匂いが漂っているので常のリカルドならそちらに意識が向きそうなものなのだが、ケモ耳を思い浮かべてしまうとは萌えの業はげに深かった。さすが二次元の存在を彼女認定していた強者である。

 何気に他人が聞けば猟奇的な事を考えてもいるが、単純に耳と尻尾を作り物で想像したところでリカルドはハッと閃いた。


(そうだよコスプレ作り物! それならシルキーにも狐耳を生やせ――いや、ここはにゃんこ!)


 内心、天啓を得た!みたいな顔をして足を早めるリカルドだが、それはもうファンタジーでもなんでもなく、ただへきを晒すことに他ならない。猫をにゃんこと言ってる時点でいろいろお察しだ。ついでにコスプレそんな事をすれば日本との関係性を樹に疑われかねないのだが(この世界の人間には他種族を真似て楽しむという感覚は無い)、猫耳シルキーに頭を支配されたリカルド馬鹿は気がつかなかった。

 スキップしそうな勢いで勝手口を開ければ、ちょうどエプロンを付けた樹がオーブンからふっくら焼けた丸パンを天板ごと取り出しているところだった。


「ただいま! いい匂いだね樹くん」

「あ、おかりなさい」


 元気よく樹に声を掛けて、そしてその向こうでくつくつと音を立てる鍋に塩を振っていたシルキーにとリカルドは視線を動かし、


「おかえりなさい」 


 何故かそこにシルキーではなくリズが居た。


「あ…え? ただいま、です?」


 予想外過ぎて頭の中にあった構想が全部吹っ飛んで変な言い方になるリカルド。


 リズはあからさまに動揺しているリカルドに気まずげな顔をして鍋に視線を戻した。そしてリカルドの反応を予想していたのか樹は腕で顔を隠して少し笑っていた。

 

〝おかえりなさい〟

「あ、シルキー」


 横から声を掛けられてそちらを見ればシルキーが居て、思わずほっとするリカルド。


「シルキー、これ何事? 急にどうしたの?」


 樹と一緒にサラダを作っているリズを気にしながらこそこそと尋ねるリカルドに、シルキーは少し嬉しそうに微笑んだ。


〝リカルド様に申し訳なかったそうですよ〟

「俺に?」


 何が?っていうかハインツじゃなくて?と首を傾げるリカルドに、シルキーはくすりと笑って外套をどうぞと手を差し出した。

 あぁうんとリカルドはよくわからないまま魔法で身体を綺麗にしてから外套を脱いでシルキーに渡し、手持無沙汰になっていつもの習慣で棚から食器を出していき、それもまたすぐに終わってしまった。


「樹くん樹くん、もしかしてもうリズさんと会ってた?」


 そしてまたこそこそと樹に聞くリカルド。


「はい。何度か挨拶はしてて、一緒にご飯を作るのは初めてですけど」


 と言いながらもリカルドから見ると樹はごく自然にリズと接しているようで(病人だという意識があるためか気遣う様子はあったが)、リズの方もそれを拒む事なく受け入れていた。

 二人の自然な距離感に、自分の立ち位置をどの辺に持っていけばいいのか迷い視線があちこちへと動くリカルド。家主の癖に狼狽え過ぎである。


「そんなに距離を取らなくてももう大丈夫です」


 そわそわしているリカルドが目に余ったのか、リズは少し視線を逸らしながらそう言った。だがリカルドは本当に?と首を傾げた。


「自分で大丈夫と思っても案外大丈夫じゃない事って多いですよ?」

「……虚勢ぐらい張らせてください」


 若干憮然とした顔で言われ、あ、なるほど虚勢……と納得して、すみませんと謝るリカルド。

 簡単に頭を下げるその姿にリズは困ったように眉を下げた。

 謝って欲しいわけではないのだ。むしろこれまでの事(ハインツを自分を質に取って使おうとしていたのではないか?と疑った事や、世話になっておきながら礼の一つも言っていなかった事)を謝りたくてこうして勇気を出して降りて来ていた。

 だがいざ本人を前にすると謝罪の言葉がどこかに置き忘れて来てしまったかのように口から出なかった。


「確かにまだ息苦しくなることはありますけど……でもいつまでもお世話になっている事も出来ませんから」


 出てくるのはそんなともすればつっけんどんにも取れる言葉で、うまくいかない唇をそっと噛んだ。


「あー……いえ、私としてはそこは全く構いませんが」


 そっか。もうそこまで考えられるようになったのか。とこっちはこっちで思考を巡らせるリカルド。

 リカルドとしてもリズがいずれここを出て行く事は想定内の事ではあるが、その場合どこでどう生活するのかは結構難しい問題だと考えていた。ハインツは自分が面倒を見るつもりでいそうだが、おそらくその場合クランハウスの管理人として雇うといった形になると思われ、あまり兄の力を借りたくはないという思考を持つリズは受けない可能性が高かった。そうなると一人暮らしをするのか?という話になるわけで、それについては実質難しいとリカルドは思っていた。理由はやはり精神的な問題だ。本人がいくら大丈夫だと思っていてもふとした拍子に均衡が崩れる事がある。

 候補としてはあそこが無難かなぁと思っているところはあるが、それもまたリズの意向を聞いてみない事にはわからない話で、そして今はまだその話を持ち出す段階ではないと思われたので、リカルドは結局口にはしなかった。

 

「まぁ体力も戻ってないでしょうからその辺はおいおい考えましょう」


 そう気楽に言ってシルキーが手早く焼き上げたオムレツを並べる樹を手伝い、意識を切り替えた。

 ご飯の時はご飯に集中、とばかりに先ほどまでのおろおろした様子はどこへやら、リカルドはリズが逆に戸惑う程テキパキと動いてあっという間に朝ごはんの開始となった。


 ちなみに本日の朝ごはんは、パンととろみのある野菜ホートプスのスープ、チーズを入れたオムレツにシャキシャキ水菜クルシャのサラダだ。

 リカルドはスープを啜りながら、あー冬瓜みたいで染みる……と懐かしんだ。味付けは違うが、祖母が偶に作ってくれた冬瓜のお汁が好きで、出てくるたびにお代わりしてたなぁと思い出しながらしっかりとお代わりをして、少し塩気の強いチーズを中に入れたオムレツをパンと一緒に食べてとろけるチーズとふわふわなパンの甘味を享受する。プレーンのオムレツも好きだし、チーズが入ったこれも好きだし、スパニッシュオムレツみたいな具沢山のオムレツも好きだし、卵ってうまいよなぁと味わいながら合間にシャキシャキサラダを口に入れてリフレッシュして何度も楽しめば幸せだった。


 流れでそのまま食卓についたリズだったが、リカルドの切り替えにちょっとついていけず、けれど真剣にご飯を食べる様子に目元を緩めて笑った。ハインツから飯に対する情熱が濃い奴と聞いていたので本当なんだなと。あと、自分が作ったスープをお代わりしてくれたのが普通に嬉しかった。そんな風に食べてもらって喜んでもらうのが本当に久しぶりで。


「そういえばリカルドさん、薄羽狼あの子はもう自然に返したんですか?」


 ふと樹がいつもならご飯を食べに現れる薄羽狼フロウビットが現れない事に気づき、視線を足元に向けながら尋ねた。


「うん、放してきたよ。まだ幼いけど実力的には成体の薄羽狼フロウビット以上だし、教えられる事はもう教えたから」

「そうですか……」


 どこを見てもあの小さな姿が無い事を認めてちょっと寂しさを覚える樹。思い返してみても人懐っこくて可愛かった記憶しかなく、リカルドからここを出たがっていると聞いていなければ無理に返さなくてもいいんじゃ?と思っていただろう。

 同じようにリズも少し寂しい気持ちになったが、人に捕らわれているよりもその方が幸せでしょうねと、ついつい自分の境遇と重ねてそんな風に思っていた。

 

「樹くんは今日も例の人達と?」

「あぁいえ、今日は休みです。定期的に休みを入れてるそうで俺も偶にはちゃんと休めって」

「うんうん、休むのは大事だよ。休みなく働いてたら普通に倒れるから」


 真面目な人ほど注意が必要だからねと言うリカルドに、同じことをケイオスさんにも言われましたと笑う樹。


「今日はのんびりしてようと思ってます。あとシルキーさんに髪を切ってもらう予定で」

「髪?」


 言われてみれば結構髪が伸びて来たなと樹を見て思うリカルド。

 初めて会った時は耳に髪が少し掛かる程度だったが、今は耳が半分以上隠れて後ろの方はちょっと結べそうなぐらいだ。前髪も横に流しているが目に入りそうで、確かに切った方が楽そうに見えた。


「リカルドさんも切ってもらってるんですよね?」


 聞かれて、え?となるリカルド。

 だが通りかかったシルキーが頷いたのが見えて、あ。フォローしてくれたのかと気づいた。

 リカルドの髪は魔力で出来ているので勝手に伸びたりしない。出会った時から全く変わらない髪の長さなので、その不自然さをシルキーは今まで許可頂いた主の髪は切ってきましたからと言って誤魔化してくれていたのだ。


「そうだね、シルキーは上手だと思うよ」


 ありがとうシルキーと内心礼を言いつつそう口にして、なんとなくシルキーが髪を切るところを想像したリカルドは——なんかいいな……と思った。


 日本に居た頃リカルドは髪型など無頓着だったので美容室に行くことはあまりなく、馴染みの床屋でやってもらっていた。

 偶に美容室に行った時に女性の美容師さんに当たると内心ちょっと焦って、けれど俺別に慣れてますけど?みたいな顔をして言われるがままに切られていた(そして慣れない髪型に暫く四苦八苦していた)。

 気心が知れているシルキーならそんな変な緊張しなくて済むし、それに髪を切って貰うところを想像をしたら、なんかいい……と思ったのだ。あの細く白い指が器用に髪を――と、だいぶん変態臭のする想像をしている死霊魔導士リッチである。


(あーでも何で切る必要が? って言われたら答えようがないな……)


 幸い我に返ったリカルドは己の妄想の不毛さに気づいた。

 髪を切って貰う事自体は出来るのだが魔力で出来ているので当然長さも自由自在。そもそも切らなくても変えられる。シルキーからすると、何故わざわざ?という事になる。それに対する答えが思い浮かばず、無理かぁと内心肩を落とした。


「リカルドさんは今日は?」


 樹の質問にリカルドは意識を戻して視線を上げた。


「俺は……んーまだ未定なんだけど、たぶん出かけるかな?」


 一度ラドバウトに連絡を取ってルゼの予定を聞いて、それから行った方がいいかなと思っていたのでそれ次第なところがある。

 そうなんですねと樹は相槌を打ち、黙って食べていたリズにも今日は何をする予定なのか話を振った。その様子にこの子、コミュ力すげぇと内心思うリカルド。

 境遇を知らないからこそかもしれないが、それでも療養中の女性にこんな自然に声を掛けられるとか、将来すごくモテるんじゃなかろうか??と想像してしまうのはモテない男の性である。


 幸せではあるが己との能力の違いを(勝手に)感じたご飯タイムが終わると、リカルドは疲れた様子のリズを早々に二階に送ってから後片付けをして、髪を切る準備をしているシルキーと樹を横目に自室へと向かった。


 シルキーが髪を切るところは本当はすごく見てみたいが、見ていたら羨ましくなる気がしたので断腸(切れる腸は無い)の思いで我慢した。あと、早めにラドバウトに連絡を入れた方がいいだろうという思いもあってだ。

 性能のいい聴覚が、どのくらいの長さにしますか?というシルキーの声を捉えるので最後まで後ろ髪を引かれつつ自室に入り、入ったところで気持ちを切り替えるためにこっちに集中と頬を叩いた。

 ルゼの件は完全に自分が悪いので、誠意を持って対応しなければならない。

 ベッドに腰かけて通信の魔道具を取り出して一旦一呼吸。

 よし、と気合いを入れてボタンを押した。


「ラド、今大丈夫?」


 繋がる音がして問えば、早かったなとラドバウトの声が返ってきた。


『連絡取れたのか?』

「忙しいところごめんね。連絡取れたよ。

 すっぽかして申し訳ないって。ルゼの予定が大丈夫なら今日にでも謝りに行くって言ってるけどどうかな?」

『大丈夫なのか? 何かあったんじゃないのか?』

「あー……まぁ無かったわけじゃないんだけど、ラドが心配する程の事ではないって言うか。うん。まぁ大丈夫。本人がそう言ってるから」

『それならいいが……今ルゼのとこは移動中だからな。アドーシャからグリンモアに戻ってる最中なんだが』

「了解、ルゼに目印付けてる筈だから行けると思う。ラドの方からルゼに連絡は……難しいか」

『難しいな。向こうは俺がここに居るってわかってるからギルドの魔道具使って連絡出来たが、逆はな。移動してるとなると』

「だよね。んー……ルゼには悪いけどいきなり行くことになるね。まぁその件も含めて謝ると思うけど……ラドもごめんね、調整役にしちゃって」

『それを言うならお前もだろ?』


 笑うラドバウトに、当の本人です。とは言えず、はははと苦笑いを返すリカルド。


『あぁそうだ、そろそろ俺達も戻れそうなんだ』

「そうなの?」


 朗報に一瞬ルゼへの謝罪云々を忘れるリカルド。薄情な奴である。


「でもハインツはまだ難しいみたいな反応だったけど……」

『ヒルデリア側が渋ってたからな。だがアーヴァインが暫く魔族は来ないって断言してな。あいつの勘は当たるからってことでお役御免になったんだよ』

「ええ? いいの? そんなノリみたいな根拠で」


 日本であれば考えられない根拠に、どんだけアーヴァインって人は凄いの??となるリカルド。


『実際のところはヒルデリアが戦力をいつまでも抱えてる事に不満を持つ国が出て来てるって事だろう。ギルドの方でもいろいろと依頼が滞ってるって話だしな』

「あぁそういう……」


 それなら納得。と頷くリカルド。


『魔族がまた来たらそれこそ命がけで詰めてる奴らが止める事になるだろうが……お前も来ないと思ってるんだろ?』

「あ。ハインツから聞いた?」

『あぁ、お前がそう言うって事はそうなんだろうし……俺としてはあの龍を突破してくる魔族に俺達が敵うとは思えんっていうのが本音だがな』


 要するに居ても居なくても同じって事だな。と自嘲気味に笑うラドバウトに、あぁまぁねとリカルドは曖昧に相槌を打った。

 実はラドバウトに渡した鎧の機能をフルに使えば虹龍ぐらいなら互角に戦えたりする。ただ鎧という前提なので防御に特化しており攻撃面に関しては弱く突破力は無い。耐えられるが、倒せるかと言われると少々厳しいというのがあの鎧の性能だ。

 その事を製作者のリカルドは十分に理解しているが、ラドバウトが気づいてないので言わない。言ったら危ない事に手を出しそうな気がしたから、ハインツと同じでそうして欲しくなくて口にはしなかった。


 まぁとにかく仕事が終わりそうで良かったよとリカルドは返し、帰ってきたらまた酒飲もうよと誘ってラドバウトの承諾の言葉を聞いてからじゃあねと通話を切った。

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