第104話 作業は朝ごはんに間に合うまででお願いします

 治療して予防方法を伝える。それが大体の方針だ。

 原因については前述の通りリスクがあるので伝えない。知りたがる獣人が少々揉める事になるだろうがそこはもう頑張っていただこうとリカルドは割り切った。


 それじゃぁやりますかと時を戻せば、数メートルの距離を空けて相手方の気配が止まった。

 少しばかり木々の茂みを間に挟んでいるが、暗闇でも視界が保たれるリカルドには相手の姿がよく見える。

 大きくてピンと立った耳に細面の獣の顔。身体から少しだけはみ出てチラ見えしている尻尾はふっさりとしていて、ゆったりした服から覗いている毛は喉元は白くそれ以外は全て柔らかな色合いの小麦色だ。


(人型の狐って……こうなるのか……)


 今回リカルドを取り囲んでいるのは森狐メアレプスという種族の獣人なのだが、二足歩行する人型の狐というのは実際目にするとなんとも言えない物の怪もののけ感があった。昔話に出てくる化け狐が化け損なったような、服装を和にすれば提灯持ってそうなそんな感じが。

 さすがに生きているのがわかるので怖いとは思わなかったが、同時にやっぱりなんで人の姿にケモ耳&尻尾じゃないんだ……という残念な気持が蘇ってきてしょうがなかった。


「お前、回復魔法を使えるな?」


 前置きなく尖った口から紡がれたのは滑らかな人の声。

 明らかに口腔の構造が違うのに人と変わらぬ発音というのもなかなか不思議な現象なのだが、これで人の顔ならなぁ……と考えていたリカルドは気にする事もなく、当初の予定通り警戒感を出す為に声を低くしてどちら様ですか?と返した。


 森狐メアレプス達はそんな警戒をしている(ように見せている)リカルドを前に、目配せをした。

 獣人に向かってどちら様ですか?などど尋ねる人間はいない。つまり、こいつ見えてない、と言う事だ。

 ほんの少し前までリカルドは明かりをつけず森を駆けていたのだが(薄羽狼フロウビッドの訓練の邪魔になるので付けなかった)、その事実を忘れて目の前の都合のいい情報だけを取り入れてしまう森狐メアレプス達は、それだけ切羽詰まっていたとも言える。


 リカルドは後ろから間合いを詰める音を捉えそっと腕の力を緩めた。その直後押し倒され、リカルドの腕の中に居た薄羽狼フロウビッドは驚いて飛び上がり反撃しようとして、リカルドの傀儡によって止められた。

 なんで??という疑問を抱く薄羽狼フロウビッドをよそに、そのまま風を操って遠くへ飛ばしたリカルドは傀儡を解き「そのまま行け、もう捕まるなよ」と声を送った。

 居ても危害を加えられる可能性は低いのだが、敢えて付き合わせる必要も無いのでここで退場させたのだ。


 風で舞い上がり逃げた(ように見える)薄羽狼フロウビッドに、一瞬あっと声を漏らし視線を上げた森狐メアレプスも居たが、目的のリカルドを二人がかりで地面に押さえつけ確保していたので、すぐにそちらへの注意は薄れた。


「余計な事はするな。命が惜しければ言う事を聞け」

「……わかっ…た」


 背中を膝で押さえられ、ついでに両腕を後ろに捻られ、顔を地面に擦りつけた状態で痛みに顔を歪めるふりをするリカルド。

 そのまま後ろ手にきつく縄を掛けられたリカルドは、あーこれ生身だったら痛かっただろうなぁと他人事のように思いながら引っ張り立たされ、言われるまま足を動かし彼らの村へと向かった。

 そして子供を集めている簡素な木造の建物(村の集会場)のところまで連れて行かれると、説明もなく中の子を治せと言われた。

 普通ならまごう事なき無茶振りである。

 しかも、ちょっとでも変な事をすればどうなるかわかっているだろうな?と鉄板のセリフと共に大ぶりのナイフを突きつけられた状態なので、防衛手段を持たない人間であれば精神状況は著しく悪くなるだろう。だが人間でもなく防衛手段も持ち合わせており、事情もわかっているリカルドは違うところに意識を奪われていた。

 

(獣人って牙とか爪で脅さないんだ……)


 アニメの見過ぎである。

 確かに噛み付けば人間に致命傷を与える事は可能だが、それはナイフでも出来る事で、加えて噛み付いたら普通に不味いので誰もしない。威嚇で見せるにしてもわざわざ自分の口の中を見せるような変な趣味の持ち主は居ないので、やっぱりこちらも誰もしない。

 獣人は文化的な生活を送る極めて人に近い感性の種族なのだ。

 ちなみに爪もアニメのように伸びたりしないので、そもそも脅しに使うのは不向きである。


 意外だなぁと思っていたリカルドを、恐怖で固まってしまったと受け取った森狐メアレプスは早く行けと乱雑に背を小突いて建物の中へと押し込んだ。

 つんのめるふりをしながらリカルドが入れば、歳のばらばらな子供(こちらは獣ではなく人の姿)が7人、薄暗い中、床に敷かれた敷布の上に寝かされていた。

 看病のために付けられている明かりは壁際にある数本の蝋燭のみ。子供らの痩せてやつれた姿とすぐそばで蹲るようにしてその小さな手を握る親と思われる森狐メアレプスを微かに照らしている。

 そして蝋燭の燃えるジジジという音すら聞こえる静寂の中、突如乱入したリカルド達に誰も反応せずうつらうつらしている姿には疲労感がありありと見て取れた。


 あぁ、これは確かに限界だなと内心率直にそう思うリカルド。

 すぐに一番近くで自分を見張っていた森狐メアレプスに視線を向け小さな声で聞いた。

 

「すみません、これ外して貰えませんか?」


 さすがに後ろで縛られた状態で診るのは難しいと言う(出来ないとは言ってない)リカルドに、その森狐メアレプスは舌打ちをして別の森狐メアレプスへと視線を向けた。


「前で縛れ」


 という事で一度拘束を解かれ、今度は身体の前で両手首を縛られるリカルド。

 拘束に変わりないが、可動域が随分と広がったのでリカルドとしてはこれで十分だった。

 ギチギチに手首に食い込む縄から視線を外し、さてやるかと顔を上げれば子供達の親と思われる森狐メアレプス達と目があった。

 すぐ傍で縄を寄越せだとかもっときつく縛れだとかごそごそとやっていたので途中で気づいて目を覚ましていたのだが、リカルドを見るその目には不安が宿っていた。

 獣人の表情がイマイチわからないリカルドだが、状況からそれを察してまぁそりゃそうだろうなと思った。

 自分の子供を得体の知れない人間に見せる親の気持ちなど不安や恐れでしかないだろう。だからと言ってリカルドが微笑んでみたところでなんでこいつ笑ってんの?と不気味だろうし、口で何を言っても気持ちは休まらないだろう。出来るのはさっさと子供を診る事ぐらいだ。

 リカルドは悩む事も無く一番手前の子の前に膝をついた。単純にその子が一番状態が悪いからだ。

 だが子の傍に居た森狐メアレプスは反射的に腰を浮かした。


「変な事はさせない。大丈夫だ」


 その動きを制するようにリカルドを縛るよう指示をした森狐メアレプスが言えば、若長が言うなら……と母親らしき(声から女性と判明)森狐メアレプスはゆっくりと座り直した。


「いつからこうなったんです?」


 リカルドは身体を魔法で綺麗にしてから、5歳ぐらいの男の子の痩せてすっかり薄くなってしまった腹に手を置き、情報収集するふりをして尋ねた。


「……ひと月前ぐらいからだ」


 リカルドの手が淡く光り回復魔法を使っていると知れると、若長と呼ばれた森狐メアレプスが母親らしき森狐メアレプスに代わって答えた。母親らしき森狐メアレプスはただ不安に耐えるように手を握りしめている。


「わかった事があるなら隠してないで言え」

「まだこれだけでは何も言えないですよ。

 ここには子供ばかりですが、お年寄りや大人は他のところに?」


 逆に尋ねるリカルドに若長と呼ばれた森狐メアレプスは鼻の上に皺を作った。


「それがこの病と何の関係がある?」

「病気になる者の共通点がわかればそこから見える事もあります。年齢、性別、習慣、そう言ったものも解決の糸口になったりするので」

「………子供だけだ。子供だけがひと月程前から急に元気が無くなってずっと眠るようになった」


 警戒しながらも情報が欲しくて正直に答える若長と呼ばれた森狐メアレプス

 母親らしき森狐メアレプスも、他の子に寄り添っている親らしき森狐メアレプスも、そしてリカルドをここまで連れて来た他の森狐メアレプスもみなそのやり取りを不安な気持ちで見ていた。


「子供だけ眠る……。何かいつもと違うものを食べたりは?」

「そんな事はしない。何を食べてはダメか良く言い聞かせているから毒なんかじゃない。それにそれならすぐにわかる」

「では周りで何か変わった事はありませんでしたか?」

「ない……と、思うが……」


 確証が持てずその言葉は濁った。

 リカルドは考えるように沈黙し、


「………内転器官の働きが不自然です」


 暫くしてから探り当てたという体で口にした。


「なに?」


 予想もしていなかった言葉に若長と呼ばれた森狐メアレプスだけでなく、他の森狐メアレプス達も顔を見合せた。


 ちなみにこの内転器官というのは、獣人が人と獣の姿を行き来する時に機能している器官で、肝臓と右側の腎臓の間に収まっている。大きさは胆嚢ぐらいで、リカルドが偶に使っている生体操作に近い事をやってのける獣人固有の特殊な器官だ。


「……子供だけと言う事は、おそらく子供の未熟な内転器官が何かの影響を受けて異常をきたし、本人の意思とは関係なく姿を変えようとして失敗。体力を消耗しているのではないかと。ずっとそこが活性化している反応があります」

「細かい事はいい、治るのか」


 リカルドの説明を聞き流すようにして肝心な事を聞く若長と呼ばれた森狐メアレプス

 リカルドは子供の腹から手を退けて視線をそちらへと上げた。


「治しました」


 ―――。


 束の間、変な間が空いた。

 誰よりも早くに立ち直ったのは母親らしき森狐メアレプスだ。


「……本当に? 本当に治ったの? この子はもう大丈夫なの?」

「内転器官については治しました。他にも診ましたが病変、病気になっているような箇所は見受けられませんでした。脱水と低栄養ではありますが、もう少しすれば目を覚ますと思うので姫蓮ロトスの種と、当帰花ポーシィ紅参エリスロスの根を煎じたものをコップに半分程飲ませてあげてください」

姫蓮ロトス当帰花ポーシィ紅参エリスロスね?」


 いずれもこの森で採れる薬になる植物の名だ。全て滋養の効果があり今回の事で親達が採って来た中にもそれらは含まれている。


「はい、そうです。他の子も診ますからちょっと失礼しますね」


 と言って固まっている森狐メアレプス達の横をすり抜けて次の子のところへと行くと、同じように手を当ててさくさく治していくリカルド。


 絶望的と思われていた状況だっただけに森狐メアレプス達は次々と治療していくリカルドの姿にあっけに取られていた。そして子供らが目を覚ましたのを見て、本当に……?と戸惑い、それからようやく実感とでもいうものがじわじわと広がり、安堵に泣き崩れる者や言われた薬草茶を作って来ないとと我に返ったように立ち上がる者、子供が目を覚ましたと知らせに走る者とで俄かに騒がしくなり始めた。


「ちょっといいですか?」


 息を吹き返したように動き出した森狐メアレプス達を、どこかほっとしたように見ている若長と呼ばれていた森狐メアレプスにリカルドは声を掛けた。

 その瞬間、舐められないためにか森狐メアレプスの目つきが再び鋭くなった。


「お前にはまだやってもらう事がある」


 リカルドがもう解放してくれと言うと思ったのかそう牽制されたが、あぁ他の村の子ねと想定内のリカルドは聞き流し、それはいいんですけどと言ってから小声で要件を切り出した。


「さっきは何かの影響で内転器官の異常が起きていると言いましたが、おおよその見当はついています」

「なに?」

「あまり不安にさせたくないので別の場所で話せませんか」


 若長と呼ばれた森狐メアレプスはリカルドの腕を掴んですぐに建物を出た。


「何が原因だ」


 連れて来られたのは村から少し離れた森の中。子供達が目覚めたという事で村のあちこちに松明がつけられ活気づいた様子が確認出来る程度の場所だった。


「おそらく星屑アナフィスです」

「アナフィス?」

「魔素や魔力に吸着する性質を持っている物質なんですけど、それが魔力を多く溜め込む内転器官にくっついて、成長に合わせてそのまま取り込まれ形成不全を起こしたのだと思います」

「けいせい……」

「形が本来の形ではなくいびつになり、そのため働きも正常では無くなったという事です」


 初めて聞く症状に、そんな事が……と森狐メアレプスは呟いて、ハタと動きを止めた。


「……何故そこまで詳しい事がわかる……そもそも人間がどうしてそんなに獣人の身体に詳しい――お前、まさか」


 何かに気づいたように細い目を開く森狐メアレプスに、あらかじめ疑われる可能性が高いと知っていたリカルドは呆れた顔を作った。


「あのですね、私がこの病をもたらした黒幕だとしたら私は馬鹿ですよ? なんで治療するんですか」

「……何か目的があって」

「どんな?」

「……俺たちの何かを欲しがっているとか」

「何も要りませんし用がないならさっさと帰りたいです」


 即行で否定するリカルドに森狐メアレプスは押し黙り、他に何も思いつかないのか耳までそっぽを向いて不機嫌そうになった。

 大丈夫そうだなと思うリカルドだが、一応念のために追加で言葉を重ねた。


「私がこちらに来たのはあの薄羽狼フロウビッドのためであって、あなた方の存在すら知りませんでした」

薄羽狼フロウビッド……」

「人間に捕まって逃げ出していたところを偶々私が保護したんです。それで独り立ち出来るように訓練をしていたんですが……あなた方に邪魔されて中途半端な状態で森に帰す事になってしまいました」


 無事にやっていけるといいんですけど。と、本当は帰すにあたって全然問題無いのだが、ささやかな意趣返しも込めて嫌味っぽく言うリカルド。

 子供を治すと決めたのはリカルドだが、だからと言って男達に押し倒されたいとは露程も思わない。あれはああするのが手っ取り早いから受け入れただけで、お前ら協力して欲しいなら普通に頼めよというのがリカルドの本音だ。それが難しい精神状態だったというのを理解しているのでこうして黙って協力しているが。


 子供達が救われた事で精神的に余裕を取り戻しつつあった森狐メアレプスは、さすがにリカルドが黒幕の可能性は低いかと思い直し、じとーとしたリカルドの目から気まずげに口元の髭をソワソワさせながら視線を逸らした。


「まぁそんな事は置いといて」


 手首を縛られたまま小さく手を叩いて話を戻すリカルド。


「病の事についてですが、星屑アナフィスが原因だとするとそれをどこから摂取したのかが問題です。ですが、変わった事は無いと言われていたので摂取した経路を割り出すのはかなり難しいのではないかと思うんです」

「経路……」

「ちなみにまだ母乳以外を口にしていない赤子はいますか?」

「一人いるが、その子は元気だぞ」

「大人の方で同じように体調を崩した方は?」

「いや居ない」

「であれば大人の方は肝臓かどこかでそれを取り除いているんでしょう。母乳は血液から作られますから取り除かれていなければ真っ先にその子が影響を受けているはずです。

 で、そうなってくると大人はいいとして今後も問題になるのは子供達ですね」

「今後? ……まさか、また?」


 細い目を開いて、毛を僅かに膨らませる森狐メアレプスに頷くリカルド。


星屑アナフィスを取り込んでしまったら何度でも同じ事になります。経路が不明な以上、摂取する可能性があると考えて行動していた方が良いかと」

「考えて行動って――」

 

 考えたところでどこから取り込んでいるのかわからなければ対処のしようもない。そう続けようとした森狐メアレプスにリカルドはわかってますと手を上げた。


「先ほど話した薬草、その中の当帰花ポーシィが内転器官を守る予防薬になります」

当帰花ポーシィが?」

「一度取り込んでしまうと治療はかなり難しいですが、予防なら当帰花ポーシィの成分が星屑アナフィスと結びついて内転器官にくっつくのを阻害してくれるので可能です。

 ただし摂取経路がわからない以上、星屑アナフィスを排泄する機能が十分に成長するか、内転器官が成長を終えて星屑アナフィスを取り込まなくなるまでは毎日飲んでもらう必要があります」

「毎日……」

「はい。出来れば当帰花ポーシィを安定して採取するために栽培する事をお勧めします」

「それはそこまで難しく無いだろうが……具体的にはいつまでだ?」

「排泄機能の方はわかりませんが、内転器官であれば歳で言うとだいたい16から18。その姿と人の姿を一瞬で行き来出来るようになったらです」

「……16から18。結構長いな」

「大人になれば問題ありませんから。

 ただ、この事を周知すると不安がって当帰花ポーシィを過剰に摂取したり不安から体調を崩す方が出るかもしれません」

「……だから俺だけに話したのか」

「若長と言われているのなら適任ではないかと思いまして」


 森狐メアレプスは人間臭く溜息を吐いて頷いた。


「その辺は健康のためにという事でどうにか言って聞かせよう。

 もし病になってしまったら……どうにかしてまた治癒者を連れてくるか」

「あ、それは無理です」


 また流行病だなんだと追い返されそうだなと嘆息する森狐メアレプスに、さくっと事実を伝えるリカルド。


「治療には闇魔法の消滅魔法と部位欠損を治せるレベルの回復魔法が必要です。そんな人間まずその辺に居ません」


 無言になる森狐メアレプス


「予防が重要です」


 重く頷くリカルド。


 暫し村から聞こえてくる声や音だけが二人の間に流れ、予防の重大さに気づいた森狐メアレプスは目つきを鋭くした。


「何がなんでも徹底させよう」

「と言っても万一もありますからこれをどうぞ。先程言った治療が出来る者のところへと転送してくれる札です。それが光っている時に会いたいと願えば起動して相手のところへ連れて行ってくれますから。お代は取ると思いますけど、この辺で取れる果実とか持っていけば問題ありません。たぶん、開実ヌクスとか花梨テラソーあたりが好きだと思うのでこのぐらいの籠に適当に詰めて持って行ってください」


 はい。とポケットから取り出すふりをして空間の狭間からストックしている占いの館の札を取り出し渡すリカルド。

 村の子を守ると決意を新たに固めたところでの情報出しは先程に続く意趣返しであり、そして占いの館の報酬はこの辺で気になっていた果実のおねだりであった。何にしても人の弱みを突く性質タチの悪い死霊魔導士リッチである。

 まぁ今回は暴力によって事を進めようとした森狐メアレプス森狐メアレプスなのでお互い様なところはあるが。


 渡された森狐メアレプスは胡乱な目つきで札を見た。


「お前……これが目的じゃ」

「言っときますけど、今回の治療を人間のお金に換算するとこの辺の資源を全て売っぱらわないと無理ですからね?」


 実際に換算するとリカルド以外に出来る者が居ないので、森を丸裸にしても無理である。自信満々に話すリカルドだが、安定のザル勘定だ。

 

「まぁ信用ならないなら捨てといてください。

 それで、まだやってもらう事があるみたいな事を言われていましたけど、私は何をしたらいいんですか?」


 森狐メアレプスは微妙な様子で札をズボンについている道具入れに突っ込むと、仕切り直すように咳払いをした。


「この森には俺たちの村の他にもいくつかの種族の里、村がある」

「あぁそっちでも同じ病になっている子がいるんですね。で、治療しろと」

「………そうだ」


 はいはいなるほどと妙に飲み込みの早いリカルドに、なんでこいつ縛られたまま平然と頷いているんだろう?と今更な事を考え始める森狐メアレプス


「わかりました。でも私、朝には帰りたいので急ぎましょうか」


 夜明けまであと3時間ぐらいかな。と計算したリカルドは、はい案内してくださいと要求した。


「いや、こんな夜中に行っても」

「何を言ってるんですか。今この時も衰弱している子がいるんですよ?」

「………わかった」


 お前絶対早く解放されたいだけだろ。と思ったが、実際子供が苦しんでいる事は確かだと思ったので折れる森狐メアレプス。事情を話せば向こうも理解して村に入れてくれはするだろうと思っていると、頭に手を置かれていた。


「時間が惜しいので失礼しますね」

「何をするっ!」

「ちょっとその村の場所を確認してました」


 反射的に振り払う森狐メアレプスにしれっと言って、じゃあ行きますよといきなり転移するリカルド。

 転移した先は森狐メアレプスの村から一番近い丸熊フィルクダの村で、しかも子供が寝かされているこちらも集会場のような場所だった。


「——え」

「——あ」


 突然の出現に驚く、黒く丸い耳が特徴の丸熊フィルクダ達。そしてこちらも突然の転移に声を漏らす森狐メアレプス

 だがすぐさまリカルドが眠りの魔法を掛けて丸熊フィルクダ達にお休みいただいた。


「さて、話がわかる方はどなたでしょう?」

「お前…眠らせ——いや、これ……転移じゃ……」

「転移ですね」

「……だからか、お前が落ち着いていたのは」

 

 だがなんでそんな魔法が使えるのに自分達にわざわざ捕まっていたのか意味がわからないという雰囲気を見せる森狐メアレプスに、リカルドは肩を竦めた。


「まだ近くに保護した薄羽狼フロウビッドが居たんです。下手な事してあちらに手を出されるのも嫌だったから大人しくしていたんです」


 堂々と思っても無い事を言うリカルド。森狐メアレプス達が薄羽狼フロウビッドに危害を加える気がないのはわかっていたので、完全に辻褄合わせでしかない。


「だが――」

「正直」


 それでも疑問を抱く森狐メアレプスの言葉を封じるようにリカルドは続け、近くの子供の傍に膝をついてお腹に手を当てた。


「こんな手荒な事をされたら私だって適当なところで逃げてましたよ。でも目の前でやせ細った子供を見て何も思わない程人の心が無いわけでもありません」


 前半は嘘だが、後半に関しては本心だった。

 あなた方のやり方は如何なものかと今も思ってますけどね。と先程の嫌味な口調とは違い淡々と口にしながら治療をするリカルドに、森狐メアレプスは鼻に深く皺を刻み視線を落とした。


「だったらどうすれば良かったと?」


 お前達は変な病を持ち込むなと、穢らわしいと俺達の話をまともに聞きもしないじゃないかと苛立ちを見せる森狐メアレプス


「さあ。私は部外者ですからそれに対する答えなんて持ち合わせていませんよ。

 そんな事を考えているよりも今は偶々捕まえた使い勝手のいい私を利用して、どれだけ自分達の利になる事をさせるのか考えた方がいいんじゃないですか? 私、朝になれば帰りますよ?」


 答えの出ない思考に時間を割くよりもすべき事があるんじゃないんですか?と言うリカルド。

 ちなみに朝になれば帰ると言っているのは、長居をすると獣人同士の争いの種になりかねないからというのと、こうでもして無理やり行かなければ相手側がリカルド人間の治療を拒んで手遅れになってしまう子供が出るからだ。決して朝ごはんに間に合いたいという理由だけではない。


 森狐メアレプスは苦悩するように息を詰めて――振り切るように短く吐き出した。


「こいつを起こしてくれ、こいつに話を通す」

「了解です」


 はい、どうぞ。とすぐに眠りの魔法を解いて頷くリカルドに、森狐メアレプス丸熊フィルクダの前に陣取った。

 そして目覚めた丸熊フィルクダに一生懸命状況を説明するのを背にしてリカルドは治療を進めようとして――通信の魔道具が震えている事に気づいた。

 すぐに時を止めてシルキーの方かと確認したが、そちらではなかった。

 じゃあラドかと考えて、そういやハインツの様子がアレだったもんなと思い出し、何か悪い方に転がっちゃったかなぁと頭を掻いて調べたら違った。ルゼの事だった。

 あ。となるリカルド。


(……連絡入れようと思って忘れてた)


 さすがにルゼの方からラドに何か連絡が行ったかと思って虚空検索アカシックレコードでチラ見してみれば、何故かアイルがラドバウトに連絡していた。

 んん?と首を傾げるリカルド。

 ルゼならともかくアイルが出てくる意味が分からずもう少し調べると、どうやら訓練をすっぽかされたまま連絡がない事にルゼが落ち込んでいて(ちょっと不眠にまでなっていた)、その様子に気づいたアイルがどうしたのかとしつこく話を聞いて事情を知り、うじうじしてないで聞けばいいだろ!と間接的に連絡を取り合っているラドバウトにギルド経由でどうなっているのか問い合わせていた。


(あのぐいぐい来るルゼが意気消沈かつ不眠……)


 なんかものすごく悪い事をした気持ちになってくるリカルド(事実として悪い)。


 実際のところルゼはリカルドの事を魔神だと思っているので、やっぱり自分なんか見てもらうなんて烏滸がましかったんだよな……と諦め気味だったのだ。これに関してはラドバウトも龍に咥えられたり悲劇の人にされたりと散々な状態で気にかける余裕が無かったし、リカルドは言わずもがな。アイルが気づかなければ相当放置されていたのでファインプレーである。


 リカルドは時を戻して森狐メアレプス丸熊フィルクダに背を向ける形で治療しながら、防音の魔法を使いこそこそと通信の魔道具を接続させた。


『あー……リカルド?』

「どうしたの?」


 遠慮がちなラドバウトの声に極力普通の反応を心掛けて返すリカルド。


『悪いなこんな夜中に』

「いやいや全然。それでどうしたの? 何かあった?」

『いや、ルゼの事なんだがな。お前の弟弟子がルゼの訓練に顔を出してないみたいで……何かあったんじゃないかと思ったんだが』

「あいつが? いや、特になにかあったとは聞いて無いけど……ちょっと連絡してみるよ」

『悪いな。理由なくすっぽかすような奴じゃないと思ってな。何事もなければいいが』

「大丈夫だと思うけど、わかった」


 ラドバウトにまで何かあったんじゃないかと心配されて申し訳なさに胃(無い)が痛くなってくるリカルド。通信の魔道具を切って、さっさと帰ろうと改めて決意した。

 そんな流れで治療を行い続けざまに十か所以上巡り、どうにか各村に予防方法を知る者を作って森狐メアレプス達の村へと戻ってきた。


 若長と呼ばれる森狐メアレプスも一緒に戻ってきたが、もう疲労困憊だった。

 何しろこうも立て続けに他の村の者と話をする事は無く、しかも承諾も得ずに村に入り込んだ上での事情説明がとにかく骨が折れて精神的に疲れたのだ(普通はその村の者に承諾を得て入るのが獣人の常識)。それでも若長という立場上やらなければならない事を頭に浮かべて呟いた。


「とりあえずこれで子供らは大丈夫だろうが……当帰花ポーシィの栽培を急がないとだな。それから問題の経路を調べて……」


 星屑アナフィスの摂取経路については、治療が出来るのならリカルドその人間に調査させればわかるんじゃないのかと他の村の者に散々言われた森狐メアレプス

 人間が獣人達を病原扱いして追い返した事でヘイトが溜まっていた事もあり、リカルドは森狐メアレプス達が捕らえた使い勝手のいい道具程度に思われていたのだが、道具でいてくれている事を知る森狐メアレプスとしては、本人が帰ると言っている以上、そこまで協力させるのは無理だろうと思っていた。

 ここで帰してしまえば何をしているんだと詰られそうな勢いまであるが、止める力がない事は次々と村へ転移し眠らせていくリカルド人間を見ていれば嫌でもわかる。

 それでもどうにかしなければならないかとため息をついて視線を上げれば、件のリカルド人間が、何やら手のひらを顔の前に翳してこちらを見ていた。


「……何をしているんだ?」


 いつの間にか手首を縛る縄が切られていたが、そのぐらいの事は出来るのだろうと気にはならなかった。それよりも奇怪な動きをしている事の方が気になった。


「いや、この後知人に謝罪しないといけないもので。その前にちょっとでも幸せ気分というか萌え成分でも蓄えておけないかなって」

「しあわせ?」

「人の顔にその耳が付いたら最高に可愛いと思いません?」

「………」


 人の顔に森狐俺達の耳が付いたらそれはもう化け物だろうと思う森狐メアレプス

 海溝よりも深い意見の相違がそこにはあった。 


 リカルドは、なんだこいつ……という異物を見るような目をしている森狐メアレプスにも気づかず、どうにか耳と尻尾だけを残して人間の姿(可愛い女の子またはちょっと妖艶なお姉さん)と想像上で合成できないか余計なところを手で隠して頑張っていたのだが、


「駄目だ。やっぱ素体が男だと思うとうまくいかない」


 真顔で無念がるリカルド。アホである。


「まぁいいや。じゃあ私はこれで失礼します。お疲れさまでした」


 しかも合成を諦めたリカルドは、定時上がりを至上命題としている会社員のように速やかに森狐メアレプスの前から消えた。情緒も何もないのは毎度の事である。


 一方、引き留める間もなく消えられた森狐メアレプスはしばらくその場に立ち尽くしていたのだが、なんか変態やばそうな人間だったしこれで良かったのかも……と考えていた。何で逃がしたんだと言われたら、危ない奴だったからと言おうと思って。

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