第99話 平穏なような平穏じゃ無いような
ちらちらと雪が舞う夜。
普通なら家の中でも壁や窓から冷気が伝わり防寒具でも着ていなければ凍える程寒くなるところだが、リカルドの家は床暖房的な処置を施しているため(己の息が白く無い事に気づいた時に全部屋どころか廊下から玄関に至るまで全てその処置を施した)、暖炉のような暖房器具が無くとも寒くはなく、
ところでこんな夜中に居間で何をぐてっとしているのかというと、遅まきながら
しかも仮に痛みが引いたとて魔法の制御が出来なければ自分から離すわけにはいかない。つまり、そこそこの期間このカンガルー状態が続くという事で必然的にそれだけ占いの館も開けない事になる。
幻覚でも掛けておけば……とも思ったが、どんなお客が来るかもわからないので躊躇いがあり、特に王太子なんか
(………さっさと鍛えて出て行ってもらおう)
当初の小動物に対する憧れは何処へやら。それしかないと身体を起こして時を止め、
その結果、少々——いやかなりスパルタな内容となったが、これ以上自分の時間を圧迫されたく無い心の狭い
鍛え方のノウハウを頭に叩き込んだあとは、そういえばリズさんの調子はどうなんだろうと調べ、そこまで問題も進展も無かったのでハインツの剣の原案を考えたり、時々思い出したように
翌朝久々の買い出しに出かければ、足首程度に積もった雪が掃かれ冬でもしっかり軒を連ねる朝市の姿があった。
秋の終わりに比べて大きな鍋を持ち込んでスープや煮物を売っているところも多く、あちこちで白い湯気があがり、それぞれいい匂いをあたりに漂わせている。
冬は冬でいいなと気になったものを買い食いしながらリカルドが歩いていると、顔見知りのおばちゃんに
すぐに子犬だと言って幻覚魔法を掛けた状態で姿を見せて誤解は解いたが、同じやり取りを何度もやりそうだなと思ってスリングごと認識阻害を掛けてその後の面倒なやり取りは回避した。
「あれ? 旦那久しぶりだな」
「どうも、お久しぶりです」
馴染みの肉屋の軒に入れば今日はおかみさんはおらず主人が一人で店番をしていた。
リカルドは軽く会釈して三種類のソーセージを頼み包んでもらう。
「そういや旦那は勇者の末裔が光の龍を召喚したって話聞いたか?」
はいよ。と出された包みを受け取り、変容している噂話の内容に内心苦笑いをしながらいつもの微笑みで頷くリカルド。
ちなみに勇者の末裔がリサの事で光の龍が白龍の事だ。リサについてはフルールの貴族家出身だという事が拡大解釈されてそのようになっているのと、白龍の方は砦に現れた時の光とその身体が白かった事からそう呼ばれ始めたものだ。正しく伝わっているものもあるが、現在の主流は勇者の末裔と光の龍になる。それからリサが精霊に龍を連れてくるように願ったという部分もいつの間にか召喚した事になっていたり、その願いが龍の形を取ったなど、いろいろとバリエーションが多い。
「今はどこもその話でもちきりみたいですね」
「そりゃなぁ、噂が本当なら命と引き換えに召喚したんだろ? まだ若い娘だっていうんだから……」
重いため息でやるせなさそうに首を振る主人。
「今回は随分危なかったって話だし、うちらの聖女様まで呼ばれたっていうんだからよっぽどだったとは思うんだが……俺たちは良くてもその勇者の末裔の相手はどんな気持ちでいるか……魔族なんてこの世から消えちまえばいいのにな」
「そうですね」
前半の話には反応し難いが最後の魔族なんて〜の部分には、完全同意とばかりに深く頷く
そうして買い物を続ければ、肉屋の主人以外にもあちこちで同じような会話になり、本当に噂になってるんだなとリカルドはその広まり具合を実感する事になった。
特にここグリンモアではラドバウトが暫く拠点にしている事もあって、本人を知る者達があの人は義理堅くて力に驕る所もなくて気さくでいい人なのに、本当に気の毒だと同情を増長させるような話がいろいろと追加されている始末。
国事や大規模な何某かの大会でも開かれれば人の意識が分散されるかもしれないが、直近数か月の内にそのような事はグリンモアでは予定されていない。一番近いところで春の大祭なのでまだまだ先の話だ。
リカルドはラドバウトの今後の活動のし難さをヒシヒシと感じ、本人は要らないと言ったが何かしら姿を変えるか認識を阻害する魔道具を用意した方がいいかもと真面目に思った。少なくともこのグリンモアの王都ではラドバウトを知っている人間が多いため、せめて仕事をしていないオフの時だけでもそうした方が心労が減るのではないかと真剣に考えつつ、不意に細い路地から飛び出てきた人影をひょいと避けて帰路につこうとした。ら、がしっと足を掴まれた。
足を引っ張られる形となったリカルドが視線を後ろに向ければ、薄い貫頭衣で腕も足も出ている寒そうな身なりの男が雪でぐちゃぐちゃになった地面に倒れており、リカルドの足首を掴んだまま「なか、ま……」とガサガサの潰れた声を出していた。
とりあえず周りの視線を集める前に時を止めたリカルド。
掴まれた足を転移で抜いてしゃがみ込み、知り合いか?と、顔を覗き込んだ。
男は青と灰色を混ぜたような色合いのボサボサの頭に、僅かに開いている目は暗い群青、顔立ちは堀が深いがすっきりとした印象だった。
んー?と首を傾げるリカルド。よくよく顔を見ても記憶に無く、占い師としても会った事がない相手と思われた。
視線をむき出しの白い手足に向ければ無骨な金属の腕輪と枷のような足輪が目に入り、鑑定すればそれが魔力封じと身体能力を制限するものだとわかった。どこをどう見ても捕まっていたところを逃げて来た人物である。
一旦買い物籠を空間の狭間に退避させて、うーんと悩むリカルド。関わり合いになりたくない気持ち半分、見て見ぬふりをしたら後ろめたい気持ち半分。そして面倒くさい(というか朝ごはんに間に合わない事態は避けたい)と思う気持ち十割。
それでもやっぱりここで見て見ぬふりは無いよなぁ……と、残っている日本人的倫理観で男の事を調べ、驚いた。
(獣人!?)
倒れている男は
獣人に出会うのは初めてのリカルド。思わずそのぼさぼさの頭と大殿筋が発達してそうな尻を確認して、全く獣らしさを見つけられず、あれ?となった。
改めて調べると、彼ら獣人にはこの人の姿と、ほぼ獣に近い姿(二足歩行をする獣のような姿。
(ガチ獣タイプ……確かにカテゴリーは獣人だけど……)
出会ってみたいファンタジー種族の一角が想定と違い地味にショックを受けるリカルド。
暫くしゃがんだまま世界の不条理に嘆いていたリカルドだったが、ぼろぼろの姿の男を見て嘆いている場合じゃないかと思考を切り替えた。
ひとまず被害者である事が確認出来た男の腕輪と足輪を壊し、おまけで胃の中に神酒を入れて雪と泥で汚れた身体を綺麗にし、裸に近いその身体に外套を脱いで掛けてやり元居た西の国の森の中へと転移させた。
腕輪と足輪さえなければ人間よりも身体能力も自己治癒能力も高い
尚、この男がリカルドの足を掴んだのはリカルドが
男の事が終われば次はとリカルドは立ち上がり、とある貴族の屋敷の一室へと転移した。そこの貴族もいろいろ問題(違法賭博だとか闇市の共同開催だとか)はあるのだが、今リカルドがどうにかしたいと考えているのはそこに入り込んでいる魔法使い達——
緑色系統のグリンモアらしい調度で整えられた部屋の中、リカルドは長椅子に大股を開いて座り怒鳴っている感じの男に魔力封印を施し、次にその男の前で頭を下げている方にも同じく魔力封印を施す。そして今度は通りに出ているもう一人のところへと転移してこちらにも魔力封印を施した。
この魔力封印を施した三人はいずれも闇魔法使いなのだが、彼らは闇魔法を扱えるというだけで邪険にされる風潮に苛立ち、自分達を認めない世間を恨み、それほど自分達を厭うならそれだけの事をしてやろうと
ここでリカルドが手を出さなければ必要な素材が揃うヒルデリアまで行って儀式を行い不完全な魔狼を作る確率が高く、そうなれば世間の闇魔法使いに対する風当たりはさらに厳しくなり(儀式自体は呪術寄りの技術なのだが、一般人にはその違いがわからない)、そしてつい先日まで稼働可能な戦力の大半を魔族領との境に集中させていたヒルデリアのさらなる疲弊に繋がる可能性があった。
まぁリカルドとしてはヒルデリアの疲弊とかまで意識していないのだが、ザックが闇魔法使いに対する認識を塗り替えるために努力している事を知っていたので、努力している人の足を引っ張るような事はやめて欲しいと思ったのだ。
ただ口で言ったところで止まるような手合いではないので、じゃあもう実力行使に出るしかないよねと実に
魔力を封印された男達が今後どうなるのかまでは知らないが、少なくとも同じ事は出来ない事だけは確認して元の朝市の通りに戻り、外套を魔力で作って羽織ると空間の狭間から籠を取り出して腕に下げ、何事も無かったように家へと戻った。
家へと戻ればシルキーにいつも通り籠を渡して庭に出て、ウリドールに水をやりながら菜園は水やりが要るのか聞いてそちらにも少しだけ水を撒き、それが終わったら起きて来た樹がシルキーと朝ごはんを作るのを眺めた。
小柄なシルキーとそれほど背が高くない樹が並んでいると何となく微笑ましく、あぁ平穏な日常っていいなとほのぼのするリカルド。
しばしそうやって眺め、今日の予定をシルキーに伝えていなかった事を思い出した。
「シルキー、今日は午前中に教会に寄ってその後にリッテンマイグスさんの所に行くからお昼戻るのが遅くなるかもしれない」
〝では戻られてから作りましょうか?〟
「そうしてくれると嬉しいな。樹くんの予定は?」
「俺はギルドに行って依頼を受けてくるので、夕方ぐらいに戻る予定です」
「ギルドに?」
脅迫のやり合いをしたのは副ギルド長個人とであるが、大丈夫なの?と思わず心配するリカルドに、樹は問題ないと言うように頷いた。
「約束もあるので」
「約束? って、ギルドと?」
「いえ、ケイオスさんっていう冒険者の人です。ヒルデリアに行く時に俺を自分のパーティーメンバーだって言って匿ってくれた人なんです」
あぁ、そういえばそういう人も居たなと思い出すリカルド。
なんで樹がヒルデリアにいるんだと驚いて調べた時に樹を匿ってくれた存在は確認していた。名前までは調べていないが、三人組のパーティーだった筈だと記憶を引っ張り出すリカルド。
「すごくいい人達で、こっちに戻る時も何も聞かず俺をパーティーに入れてくれて、それで戻って来てからも一緒に依頼を受けないかって誘ってくれて」
「……樹くんの力をあてにしてるとかじゃなくて?」
いい戦力だと思われて使われているんじゃないかと疑うリカルドに、樹は首を振った。
「違うと思います。なんていうか、ラドバウトさんみたいな感じでいろいろ教えてもらってて、魔物と戦う時も一人で前に出ないように注意してくれたり、俺を利用しようとかそういう感じは全然ない人です」
「そうなんだ……」
と言いつつ後で確認しようと思うリカルド。人間なんて腹の中で何を思っているのかわからないものだからな、と保護者馬鹿思考で神経を尖らせていた。モンペ一歩手前のリカルドである。
「うん、了解」
ひとまず理解のある保護者の振りして頷き、朝ごはんの後、樹が出かけてからすぐに確認した。そして予想外の相手に思わずよろめいた。
(まさかの黒髪と毬栗頭!)
樹の約束の相手というのは、あのディアードの一件で心に大きな傷を与えてしまった相手の事だった。
侍に魅せられた黒髪ことケイオスは、ディアードから戻って来て直ぐにヒルデリアの魔族討伐をギルドから打診されて受けたのだが、南に向かう一団の中で不審な動きをしている樹に気づいて、その顔がリカルド(樹)と瓜二つだった事から反射的に匿ったのだ。
ケイオスは占い師にいずれまたその魂と会うことがあるだろうと言われた(言ってない。それっぽく勘違いさせただけ)が、さすがに輪廻と考えるには歳が合わず、かと言って他人の空似にしては似過ぎている。もしやあの少年なのでは?いやしかし占い師には二度と会えないと言われたからそうではない筈。自分を見ても何の反応も無かったから初対面なのは間違いない筈で……と頭を悩ませた結果、もう別人だろうと何だろうとこれも何かの縁だとお手本にしている侍に習って手を貸そうと決めたのだ。
あぁこれは確かに樹くんを利用するとかは無いな……と納得したリカルド。だが、どんな確率で出会ってるんだよと突っ込みたかった。
(一番樹くんにとって安全な相手を引き当てたのかもしれないけど……)
そう思いつつ、何かの拍子に顔を合わせるような事があったらちょっと気まずいと思うリカルド。
(まぁいっか。樹くんが安全なのが一番だし)
とはいえそこは精神耐性の高いリカルド。その時はその時だとさっさと切り替えて家を出た。向かう先はもちろん教会だ。
雪でどことなく見慣れぬ道となった通りを歩き、雪によって白く化粧を施された教会の姿に特に感慨を受ける事も無く、さくさく正門から入ると礼拝堂の隅に立った。
そこに居ればジョルジュと遭遇する確率が高かったので、後は待つだけだとそのままぼんやりと女神像を見上げた。
いつもよりも人の入りが多い礼拝堂の中、変わらず女神像は慈愛に満ちた微笑みを浮かべており、そういやあの酒飲み女神暫く来てないなと気づくリカルド。また何で館を開けてないんだと怒鳴り込んでくる可能性がある事に思い至り、あぁ面倒なと柱に寄りかかって嘆息した。
そうしてぼーっと突っ立っている事四半刻。ようやくジョルジュが通りかかり、どうもーとリカルドが手を振れば、ジョルジュは綺麗な二度見をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます