第94話 魔族はやっぱり嫌だわ

 補給基地として使われている地点にて。

 物資の一時保管用の天幕が並ぶ横で平に慣らされた地面の上に地図を置き、それを囲むように地面に片膝をついて視線を落としているのはカッサとラクサ、リカルド、それから軍籍の者が数名と冒険者の中でも顔役になれそうな者が一名選ばれ(過去何度もこの地で防衛に参加していた者)、顔を突き合わせながら最新式の携帯用通信魔道具で状況を聞いていた。


『いずれの地点でも善戦している模様です』

「避難の方は」

『後方の街には伝達済みですが、夜分という事もありなかなか進んではおりません。王都の方からは防衛線を張るための招集を掛けるとの回答がありました』

「無駄足になれば叱責どころの騒ぎでは無いな」


 口の端を歪めて笑うカッサに魔道具の向こうも小さく笑う気配がした。答えているのはネルマート、後の指揮を任されたカッサの副官だ。


『団長が左遷されるならば自分は一緒に付いていきますよ。今更他の方に付く気にもなりません』

「物好きな」


 互いに軽口を叩くのは緊迫した状況で過度な緊張を抱かないようにする儀礼のようなものだが、それは周りで待機している軍籍の人間にとっても、教会騎士や冒険者達にとっても意味はあった。各々が最前線で人間領を賭けた戦いが行われている事を理解しており、負ければ死闘を演じなければならない事を覚悟している。そのため緊張はどこまでも高まっており、そんな中余裕を見せる指揮官というのはそれだけで頼もしく映っていた。


「ルマンシラの避難はどうだ?」

『そちらは順次進めている最中です。完了するのはおよそ夜明け頃かと』

『横から申し訳ない。カッサ殿、街道まで来ていた冒険者は当初23名でしたが4名姿を消して19名となりました。申し訳ありません』

「……状況の悪さに厭い離れたか」

『いえ、こちらから伝達を出した時には既に確認出来なかったのでこの状況に気づいてという事ではないと思います。ですが今後招集を掛けている者達の中からはそれが理由で離れる者が増える可能性は否定できません』


 なるべくそうならない者を送らせるようにはしていますが……と、魔道具から聞こえる声に、致し方ない事だなとカッサは胸の内だけで呟いた。

 冒険者はカッサに言わせれば個人主義の者達だ。国のため、人間が生きる土地を守るためという意識が強い者はそれほど多くない。己の手で金を、名誉を、名声を、地位を掴み取ろうとする野心が強い者の方が大半を占める。そういう者達にとってこの戦場は名を売るチャンスだが、リスクが大き過ぎて避けたい場所でもある。特に今回のような、名のある者ですら命を賭ける事になる戦いではギルドの罰則程度では抑えられないだろう事は予想出来た。


「冒険者の離反についてはこれまで通り追及するつもりはない。士気の低い者に来られても足枷になる。むしろその気配があるものは早々に離脱させて構わない」

『わかりました』


 会話の中、黙って地図を見ている(振りをしながら何度も時を止めて状況確認をしている)リカルド。

 戦況の方はアーヴァインがつい先ほど能鬼ディズナグ・オグルに勝利し、カルサでは明鬼ニュルド・オグルをあと一歩のところまで削っているところだ。そして最後にルドラだが、今しがたどうにか樹が間に合って押し返し始めた。間一髪――というか、実はちょっとリカルドがフォローしてギリギリ死者を出さずに済んだ。


(覗いてるのが鈍羊毛イズキヌだとか巨頭ルゴスって鈍い種族で助かってるけど、悪魔とかが来てたら死人が出てたな……)


 鈍羊毛イズキヌは獣魔族と呼ばれる魔族に属し、巨頭ルゴスは巨人族と呼ばれる魔族に属する種族だ。どちらもオグルと同じで、魔族にしては魔力が低く肉体強度の高い肉弾戦系なので、リカルドが時を止めたり、転移を使ったり、ちょっと地面の下を魔法で操作したりするくらいならバレない。反対に悪魔は魔力が桁違いに高く、魔法に敏感な種族だ。見ているのが分かれば、転移も時を止める事も一切しない方が安全だと言えた。


『団長! アーヴァイン殿が撃破しました!』


 繋ぎっぱなしの魔道具の向こうから突然興奮した声が響いて、一瞬間が空いてからわっと沸くような声が上がった。同時に、おお!とこちらで聞いていた周りの者達からも声が上がる。


「状況の報告を、損耗は」


 喜びの声を押し退けるようなカッサの低い声に、びりっと空気が震えて魔道具の向こうもこちらも静まり、慌てたように確認に走る空気が届いてきた。


『損耗……軽微! 戦闘による砦への被弾はありましたがその場にて修復可能、アーヴァイン殿も既に治療済みとの事です!』

「クシュナ殿、動きは」


 カッサの横で聖結界を張っていたクシュナは頷いて、確認のためにそれを広げ――


「――あります、一体前に出ています」

「エイムに伝えろ。次が来る」

『はっ』


 カッサはクシュナの横で地図に視線を落としている(振りをして——以下略)リカルドに目を向けた。


「言った通りの流れだな」

「ええ」


 リカルドは地図から視線を外さず短く返した。


「気になる事があるのか?」


 向かいで膝をつき、小手や軽鎧を身につけ武装したラクサが問えば、リカルド(武装なし。あっても邪魔なだけと付けなかった)は視線を上げて少しと頷いた。


「このままいけば戦力的に次はカルサの砦から勝利報告が入るでしょう。つまりルドラが最後になるのですが……」

「それの何が問題だ?」

「討伐自体はいいのですが、問題なのはその順番です。今エイムに向かった個体は奥の三体の内、一番力量が低い相手なので」

「一番力量が低い?」

「はい。オグルは魔族の中でも単純な部類ですから作戦を考えたり戦略を練ったりそんな事はしません。下から順番に当てて倒せないなら上が出てくる。そういう種族です」


 今までも単調な襲撃しか繰り返さなかったでしょう?と言うリカルドに、確かに……とラクサは思い返した。


「ではルドラに一番強い個体があたる事になるのか」


 話を聞いていたカッサが口にし、リカルドはそうなる可能性が高いですと頷いた。


「どこに当たっても厳しい事になると思いますが……討伐できるのはアーヴァイン殿だけだと私は考えています。

 カッサ様。カルサとエイムの状況をもう少し見てからになりますが、そちらが問題無さそうであれば、私はルドラに向かい時間稼ぎをしたいと思います。許可をいただけますか」


 樹に任せると一度は決めたが、このままいくと少なくない時間を樹に耐えて貰わなければいけなくなる。暗鬼バグズル・オグルだけならば腕輪の魔力は足りると断言できるが、連戦で喰鬼トロゴ・オグルと長時間戦うとなると補充が必要になってくる。それにやはりどうしても心配でしょうがない親馬鹿ならぬ保護者馬鹿のリカルドだ。クシュナの側を離れても不自然に思われない状況ならば行かない手はないと、参戦する方向に考えを変えた。もちろん手加減というか、どのレベルまでなら怪しまれないか確認済みだ。


 許可をと求められたカッサは、その保護者馬鹿の迷いのない眼差しに、一瞬オウキの姿を重ね感傷に引き摺られた。


「耐えられるのか?」

「はい、時間稼ぎだけなら可能です」


 淀みない答えには確固たる自信が見えた。実際カッサの目から見ても、クシュナの腕を切りつけた動きは早過ぎて捉えられず、その力量は疑いようが無い。 

 結局それ以上の問いは浮かばなかった。

 そもそも誰が相手であろうと、仮に友の孫娘(違う)であろうとこの窮地を切り抜けられるのならどれほど厳しい戦場でも行けと言うのが差配するカッサの立場であり役割だ。心情的に年若い者を行かせるぐらいなら自分が行きたくとも、それは許されない。

 その感情を巌のような顔の下に隠して変わらぬ声音で許可を出した。


「許可しよう」

「ありがとうございます」


 気負いもなく礼を言いラクサに視線を移すリカルド。その様子に、若いせいで死の恐怖を感じ難いのかもしれないなとカッサは思ったが、そんな士気を下げるようなくだらない事は口にはしなかった。


「ラクサ様、クシュナ様をお願いします。アーヴァイン殿が倒れたら全て崩れますので、そちら側で何かあればクシュナ様を連れて向かってください」

「ならば其方が連れて行け。自分でクシュナ様を守ると言ったではないか」


 ルドラには私が向かうと、カッサの判断に反するような事を言うラクサに、リカルドは少し驚いたが表情には出さず微笑みを浮かべて首を振った。


「これが結果的に一番クシュナ様を守れる方法だと思っておりますので。

 それと、申し訳ありませんがラクサ様ではルドラを守り切れません」


 ラクサのステータスはラドバウト達に見劣りするとはいえ、人間の中では上位に分類される。だがその程度では喰鬼トロゴ・オグルに数分と持たない可能性が高かった。


「そんな事はやってみなければわからないだろう。私だとてここで長年守り続けてきた実績がある」


 守られるつもりはないと言い返すラクサに、リカルドは無用の問答を終わらせる言葉を口にした。


「私は鑑定を持っています。その結果から、ここに居る者の中で私以外に止められる者はいないと申し上げております」


 鑑定を……と思わず呟いたのは顔役に選ばれた冒険者と軍籍の若者で、ラクサは口を開き――ステータスという、絶対的な指標に対抗する術が無く唇を引き結んだ。

 歪みそうになる顔を無で隠したその内心は一言で表せない。

 最初は神柱ラプタスに認められた騎士だと知って、今まで何度もあった危機には送り込まなかった癖に今更……と思っていた。だが素性を知ってからは、おそらく本人が志願してそれを許可する形で免罪符を与えられたのだろうとわかった(違う)。

 年齢から見ても十代後半(違う)、女だてらに(違う)剣の腕を磨き(違う)身内を殺された復讐もかねて舞い戻って来たのだろうと(違う)。

 そんな覚悟を持った(持っていない)者を大人気も無く遠ざけようとし、そして敵意を向ける部下を知っていながら窘めもしなかった。神柱ラプタスに認められた騎士ならば(違う)、何程の事もない(正解)だろうと思って。

 同胞に(違う)向けてそんな浅はかな事をしていた己が愚かでしかなく、さらにここでその身を犠牲にしようとする事を(全くそんな気は無い)止める事も出来ない己が不甲斐なかった。

 リカルドが誤解するように仕向けているとはいえ、カッサ以上に酷い誤解を発生させているラクサである。


「無礼な物言いをして申し訳ありません。ですが適材適所なのです。どうかご理解ください」


 あれだけ敵意を向けられていてもなお、何のわだかまりもなく頭を下げるリカルドにラクサは罪悪感から無意識に視線を外しかけ――意識してそれを固定してどうにか口を開いた。


「……承知した」


 それ以外に言葉が無かった。人格的にも実力的にもリカルドが上だと認めた瞬間だった。


 ちなみにリカルドの方は、これで樹くんのとこに行ける!としか考えていない。そんな深い背景も何もないので単純思考である。


 ふとリカルドはクシュナから視線を向けられている事に気づいて、微笑みを浮かべ問題ないと首を振った。いつもと変わらぬその微笑みに、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせ頷くクシュナ。

 それぞれの想いを別として程なくしてカルサから討伐報告が、そしてその後ルドラからも討伐報告が入り、リカルドはカルサに向かう次の相手、明鬼ニュルド・オグルもどうにかなりそうだと判断して立ち上がった。


「それでは私は行ってまいります。クシュナ様を宜しくお願いいたします」

「まて」


 リカルドに声を掛けたのはラクサで、立ち上がり腰に履いていた剣を鞘ごと引き抜いてリカルドに差し出した。


「その剣よりもこちらの方が丈夫だ」


 今リカルドが腰に差しているのは教会騎士が普通に支給される剣だ。細剣を折ってしまったのでブライが予備をくれたのだ。

 真剣な眼差しで差し出してくるラクサに、断るのもなんか悪いなとリカルドは受け取って鞘から剣を僅かに抜いて見た。幅は普通のロングソードと同じ感じだが、その色合いは微かに青味を帯びた銀色。


「ミスリル製だ。強度が増すように魔法付与されている」

「なるほど……」


 ミスリルなら使い道はあるなと思いリカルドは剣を鞘に仕舞って腰に履いていた剣と取り換えた。


「ありがたくお借りいたします」


 それではと再度頭を下げて駆けだすリカルドの姿に――借りると言って行ったその姿にフルールの民の姿を見たラクサ。戻って来られないかもしれないと分かっていても決してその事は口にしないのが、フルールの暗黙の了解でフルール魂と言われるものだった。

 年齢的にフルールで生まれたのではなく逃げ延びた親から生まれた子(違う)なのに、その精神を継いでいる事に言いようのない感情が湧いたラクサ。ぐっと奥歯を噛んで座ればカッサと視線が合い、互いに同じものを感じていると気づいて目を伏せた。


 嘘が誤解を生み坂を転がり落ちるように量産されているのだが、そんな事になっているとは露知らず、リカルドは時間に齟齬が出ないよう転移ではなく足で駆け抜けていた。

 ルドラの砦が目に入ったところでそのまま近づき、閉ざされた厚い外壁の上に飛び乗れば、ギョッとしたような軍人と思しき男と目があった。


「グリンモアに所属している教会騎士リサと申します。次にルドラを目指している魔族が強敵のため、加勢に参りました」

「あ、あぁ」

「先ほど大物を討伐した冒険者はどちらですか?」

「あ、え、あそこだが」


 戸惑い気味に、けれど教会騎士の服装が仕事をして、男は外壁の上から見える炭化した林の跡と思われる場所、その中で小さな明かりが灯っているところを指示した。


「ありがとうございます」


 これで到着報告の代わりになったかな?と思いながら、では。と頭を下げてそちらにリカルドは走った。

 そしてすぐに疲労の色が濃いザックとレオン、そして見知らぬ冒険者と樹の姿を見つけた。


「冒険者の方々、次の敵に備えて加勢に参りました教会騎士のリサと申します!」


 一番に樹が気づいたので、そういや偽名教えてなかったと声を張り上げた。


「教会の?」


 訝し気な声を出したのは見知らぬ冒険者だ。赤というより少し黒みがかった臙脂色の髪を束ねており、持っている武器は幅の大きな大剣。体つきもラドバウトのようにがっしりとしており、いかにもな前衛のいかつい男だった。


「はい。これから一番強い個体が来るのでこちらに参りました」

「その細腕で前にでる気か?」


 華奢な見た目に顔を顰める男だが、リカルドは気にせず未だ熱が燻っている焼け跡に視線を向けた。


「前にも出ますが、魔法でも支援をします。足手まといと思えば捨て置いてください」

「生半可な魔法では抵抗値が高く通用しないぞ」


 魔法戦士程度の魔法では意味がないといつになく真剣なザックが口を挟み、それもわかっていますとリカルドは頷いた。


「魔法は支援です。基本的に攻撃には使いません。連携を邪魔するつもりはありませんから」


 言いながらその場に居る者全員にきっかり2倍の身体強化を掛けるリカルド。

 いち早く気づいたザックは目を丸くし、レオンに気を付けろと声を掛けた。


「普通よりも強化の度合いが高い、振り回されるなよ」

「って事は、腕は確かそうだな」

「俺は反対だけどな……」


 ジュレの二人が容認するような事を言ったので渋い顔をする臙脂色の髪をした冒険者だが、既にリカルドの感覚は喰鬼トロゴ・オグルを捉えていた。


「い――少年、手伝ってください」


 一瞬名前を呼びそうになって危うく言い換えるリカルド。己が偽名を使っているのに、樹の名前を口にしそうになるとかどうなんだ、というぐだり具合である。

 樹の方は賢く、自分ですか?という顔を返して、前に出たリカルドに並んだ。

 隣に来た樹の腕にそっと触れ魔力を補充し準備をするリカルド。樹も気づいて小さく礼をするように頷き剣を抜いた。

 その段階になってレオン達も気配に気づき、臨戦態勢を取った。

 そして地震直前に聞こえてくる地鳴りのような音が聞こえ始め、その音が大きくなったと同時に浅黒い塊が猛然と突っ込んできた。


 パリン。と軽い音を立ててリカルドが張った物理障壁(制限付き)が壊れ、樹が構えた剣があっさりと砕け、その顔に塊が接触する寸前でリカルドが自分の腕を差し込み(不要だとわかっていても手が出た保護者馬鹿)、腕を挟んだ状態で二人共々吹き飛ばされた。

 地面を転がる前に樹を抱えて体勢を立て直し着地するリカルド。


「リ――サ、さん!」


 しっかり偽名で呼んでくれる樹に、内心礼を言いつつリカルドはすぐに樹を解放して、左の肘から先が潰れた(ように見せている)腕を回復魔法によって元に戻し(たように見せ)た。


「大丈夫です。それよりこれを」


 リカルドは自分で再現した血の匂いにうっぷとなりながら、視線を現れた喰鬼トロゴ・オグルから外さず、腕の一振りで次々に吹き飛ばされていくレオン達が戦闘不能にならないように物理結界で急所を防ぎ、それと並行して借りたミスリルの剣に施されている強化を一度剥がし、喰鬼トロゴ・オグル相手にも折れないよう改めて強化を施して樹に渡す。


「それなら折れないと思います」


 伝えてすぐに駆け出し、後ろに下がろうとしているザックと喰鬼トロゴ・オグルの間に入って、太腿程ありそうな腕で繰り出される殺人拳を蹴り上げるのと同時に、圧縮した空気を顎の下にぶつけてかち上げ意識を逸らし、その隙にザックの襟首を掴んで思いっきり後ろに放った。

 直後喰鬼トロゴ・オグルの濁った眼球がリカルドを捉えその腕を掴んだ。

 リカルドの視界では喰鬼トロゴ・オグルが黒い牙の覗く口を大きく開け、自分の首を狙っているのが見えた。

 喰い破られるのだけは不味い(さすがに喰われたら人外だとバレる)と、掴まれた瞬間握りつぶされていた左腕を魔法で切ってその場から離脱するリカルド。ついでに喰鬼トロゴ・オグルが掴んだままの自分の腕を炎をぶつける事で燃やしておく(人外の物的証拠隠滅)。

 そして離脱したリカルドとスイッチするように前に滑り出た樹が、ミスリルの剣で切り掛かるが硬い身体に刃が通る事はなく、金属のような音を響かせた。


 ちなみにここまで冷静に対処しようと努めているリカルドだが、その内心はずっとガクブルしている。喰鬼トロゴ・オグルは見た目は人に近いが、2メートル近くある身長と不自然な程発達している筋肉がごつく、何よりその黄色い眼球の中にある濁った眼と僅かに開いた口からも見える黒い牙が人外らしい不気味さを放っているのだ。

 人外らしいなどと人(?)の事は全く言えないリカルドだが、下手に人間に近い形だから余計に怖いんだよと泣き言を零しそうになりながら、それでも必死で接近戦をしている樹とレオンと、もう一人の冒険者の援護を続ける。

 リカルドによって後ろに投げ飛ばされたザックも援護をしようとするが、早すぎる動きにその隙がなく、バインドを使って動きを止めようにも歯牙にもかけない様子で引きちぎられて意味は無かった。


「なんて強さだ……!」


(奥にはこんなのがごろごろしてるんだよ魔族領って!)


 ザックの呻きに対して、だからヤなんだよ魔族領は!と大して魔族領に留まっていない癖に心の中で叫びながら、喰鬼トロゴ・オグルが息を吸い込んだのを見て咄嗟にリカルドはバインドを使って前衛三人を引っ張り戻し、物理結界(制限付き)を三重で張った。


破ッ!!


 咆哮のそれはもう音ではなく衝撃として襲いかかり、出力調整したリカルドの物理結界を容易く破って樹以外を襲った。直撃を免れた形でも耳をやられ頭を揺らされ膝をつく彼らにリカルドはすぐに回復魔法を掛け、もう一度息を吸った喰鬼トロゴ・オグルに対して氷属性最大の攻撃と言われている氷結嵐を放ち、吐き出された灼熱の炎を押し返した。


(あ)


 やってからこれ押し返して良かったっけ?と思うリカルド。

 思わず口から吐かれるそれが汚いと思って嫌悪感で押し返してしまったのだが、慌てて時を止めて確認すれば、まだ人間の範囲に収まっていてほっとした。

 一応表情を苦しいものに変えて時を戻し、威力をじりじりと弱め押し返されるように見せた。都合のいい事に後ろのザックが魔法障壁を張ってくれたので、それに合わせて力尽きたように解く。

 まぁ残念ながらその魔法障壁では残った炎の威力を完全に削る事は出来ず、もろにリカルドは口吐き炎を浴びてしまったわけだが。とりあえず焦げた服に合わせて露出した肌に火傷の跡を作る。そしてその見た目のグロさに自分でやっておきながら気持ち悪くなった。


「下がれ!」

「リサさん!」


 よろめいたリカルドにレオンの声が掛かり、駆け寄った樹によって後ろに運ばれたのだが、追ってきている喰鬼トロゴ・オグルが見えて慌てて樹を突き飛ばして時速何キロだと突っ込みたくなる体当たりを一人で受けて空高く飛ばされるリカルド。


(トン単位のトラック以上だろこれ……)


 一周回ってオグルに対する恐怖が麻痺しだしたリカルドは、そんなぼやきを浮かべながら火傷の跡を消し回復したふりをして、飛び上がってきた喰鬼トロゴ・オグルが伸ばす手を身体を捻って躱し、足場を作って駆け下りた。が、制限を掛けた速度では着地地点にすぐに追いつかれ、その蹴りを――躱せないと咄嗟に判断するリカルド。

 喰鬼トロゴ・オグルの蹴りに、今までにない力の流れが見えてただの蹴りではないと見抜いたのだ。しかも後ろに砦を置いた位置関係、避ければやばい事になると制限を超えて物理結界を張り、重いその一撃を受けた。


 力と力が衝突し、破裂するような音が辺りに響き渡る。

 喰鬼トロゴ・オグルの力を上回る事だけは出来ないリカルドは、その場に膝をついた。人間らしく歯を食いしばり威力を横にずらす様に物理結界の角度を変え、軸足として残った片足がついている地面を土魔法で消して体勢を崩させ、空へとその蹴りの向き先を変えた。物理結界を滑るようにして振り抜かれた蹴りは空振りなように見えてその実、空間を切り裂いて余波で砦の外壁の一部を削り飛ばした。

 砦から悲鳴と叫び声が上がったが、たぶん死者までは出てない筈と意識から外すリカルド。

 目の前のニタニタと嗤っている喰鬼トロゴ・オグルから視線も意識も外せなかった。


「お前、いいな」


 割れた陶器をこすり合わせたような耳障りな声だった。


「何がですか」

「お前ならまた魔力が高い奴が産まれそうだ」


 質問したら普通に答えが返ってきて、その不穏な単語に思わず時を止めるリカルド。

 どういう意味かと思って調べれば喰鬼トロゴ・オグルは他種族の強い雌を使って繁殖出来る事がわかり、しかも生まれたら能力強化のために喰らって自分の身にするという人の感覚ではあり得ない行為を行っていた。

 倫理も何もあったものではないその行為に、表情を消すリカルド。

 己が苗床扱いされた事もだが、今のクシュナと同い年だったフルールの王女(魔力の値が飛び抜けて高かった)が尊厳もなくその行為の犠牲になり喰い殺された事を知ってしまい、吐き気がした。


「――面白くもない冗談だな」

「いくらでも強がればいい」


 氷点下の声を発するリカルドに、人間の機微がわからない喰鬼トロゴ・オグルはニタニタと嗤っている。


「生まれたそいつも一緒に喰ってやるから安心しろ」


 耳障りな声に不快指数だけが上がっていくリカルド。

 真顔のまま無意識に上がったギアで喰鬼トロゴ・オグルの攻撃を躱し、躱したらまずい攻撃は攻撃魔法で別の方向へと逸らし、逸らしきれない分は自分で受けて怪我をした振りをして治した。

 すぐに樹達も駆けつけたが、やはり攻撃をまともに受けて耐えられるのが樹とリカルドだけなので、致命傷を防ぐのが面倒臭くなってきたリカルド。砦の方にレオンとザック、もう一人を纏めてバインドで捕まえて放り投げた。彼らには悪いが、ギアが上がった戦いの中ではもう邪魔でしかなかった。

 というか、頭の冷静な部分がこれ以上ギアを上げたら周りで見ている奴らが参戦してくると警告したためどうにか抑えているが、ともすればってしまいそうな程気分が荒れていて、樹以外までカバーする余裕が無かった。


 その状態がどれ程続いたのか。辺りが少しずつ明るくなり始め、さすがの樹も息が上がってきており、後ろに下げた方がいいかとリカルドが考えた時だった。聞き覚えのある声が耳に届いた。


「交代する!」


 赤い影が樹とリカルドの脇を駆け抜けて喰鬼トロゴ・オグルに肉迫した。


「ハインツさん!」


 樹が声を上げ、リカルドは時を止めた。

 アーヴァインはどうなった?と思ったのだが、ハインツに聞くよりも確認した方が早い。結果、アーヴァインは一番に二戦目を終わらせた後、ルドラに向かう途中にあるカルサで明鬼ニュルド・オグルの次に来た蒼鬼グラ・オグルを倒し、ハインツ達と共に来ていた。今は仲間を庇って受けた怪我をクシュナに治療してもらいながら魔力回復薬を一気飲みしているところだ。


(あぁなるほど。最終的にアーヴァインって人はここに来るし、ここが一番被害が大きくなると予想してクシュナさんをこっちに回したのか)


 ルドラに来たのはクシュナとラクサ、そしてブライを始めとするグリンモア組だけだ。カッサ達はエイムに向かい、次に来ると思われる下位のオグル達の襲撃に備えていた。


 なんにしてもこれでやっとバトンタッチできるとリカルドはホッとした。

 このままだと本当にってしまいそうで、どうにも自分に自信が無かったのだ。

 幾分気楽な気持になって時を戻した瞬間、目の前に喰鬼トロゴ・オグルの顔があって固まるリカルド。気を抜いたのがまずかったのだが、考えるよりも先に喰鬼トロゴ・オグルの大きな手に首を掴まれ、砦の外壁に叩きつけられていた。


「ははははっ! 助かるとでも思って気を抜いたか?」


 ハインツが手にした剣に魔力を込め、リカルドを掴んでいる腕を切り飛ばそうとしたが片手でその剣を掴まれそのまま握り折られ、樹が続けて渾身の力を込めて剣を振り下ろしたがわずがに皮膚に食い込んだだけで、二人とも空いているもう一方の腕で殴り飛ばされた。


「リサっ!」


 頭上から聞こえてくる声はブライさんか?と、危ないから黙って隠れててくださいよと思うリカルド。

 リカルド本人はいくら首を絞められても全く問題が無いのだが、側から見れば怪我だけは回復魔法で治している(ように見える)ものの、服は血に染まり焦げたり破れたりでボロボロ。そんな状態で首を掴まれ壁に押さえつけられて苦しげな表情を浮かべている姿は、まぁなかなか酷い。目撃した知り合いが声を上げるのも無理のない光景だった。


(とりあえず首を切って離脱するのは人としてダメだとして、後ろの壁を崩して地面に穴つくってモグラみたいに逃げるか……)


 首を圧迫されて息が出来ない演技をしつつ、それしかないなとリカルドが冷静に考えていると、殴り飛ばされた樹の方からざわりと肌が泡立つような感覚がした。

 ハッとして目だけ動かせば樹の身体から過剰な魔力が漏れ出しているのに気づき、慌ててその足をバインドで止めるリカルド。


〝樹くん、落ち着いて!〟


 続けて新魔法の一つで、樹と一緒に超能力ごっこをして遊んでいた念話メルタを使い呼びかける。


〝大丈夫だから魔力の制御して!〟


 はっとした顔をしてリカルドを見る樹に、頷く事も出来ない代わりに念話で伝えるリカルド。だが、首を押さえられた状態では大丈夫と言ってもあんまり説得力は無かった。

 殺気立った樹はうまくコントロール出来ない様子で、その身体から変わらず魔力が漏れており、リカルドはすぐに抑える必要があると判断。樹が目をつけられる事よりも自分が目をつけられる方がいいと無意識に計算してリカルドは掴んでいる喰鬼トロゴ・オグルの浅黒い金属のような腕に力を込め——


〝父よ、母を見つけたぞ〟


 突如その場一帯に重い声が降り注ぎ、世界が白に塗りつぶされた。


 爆音と破裂音がして地面が大きく揺れ、幾許かして世界に薄暗さが戻ってきた。

 人の目が視力を取り戻した時、そこに現れたのは空に浮かぶ真っ白な龍の姿と、その龍の口からのっそりと出てくる漆黒の鎧を身につけた暗黒騎士の姿だった。



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