第92話 あー……本格的にやばいのが来始めた……って、何でいるの?!

「お前……なんてものを……」


 まだ衝撃から抜け切っていないブライの顔に、リカルドは苦笑しながら首を振った。


「さすがにいただいた経緯を話す事は出来ないのですが」

「それはおいそれと口に出来ない事かもしれないが………だが、本当なのか? 免罪符を出されたなど聞いた事がないぞ」

「そのあたりはダグラス様かエヒャルト様に確認していただかないと私が証明する術はありませんね」


 深く聞かれても答えられないので、それでは戻りますとリカルドが話を切り上げて閉めたドアを開けようとすれば、私もバルバラ殿に話があるとブライは一緒に部屋に入った。


「あ、ブライさん」

「失礼いたしますクシュナ様。バルバラ殿と今後の体制について情報共有したい事がありますので少々お借りしても宜しでしょうか?」

「私は構いませんが、バルバラさん」

「承知致しました」


 バルバラはブライの視線に頷いて、リカルドにわかっていますよね?と視線を向けてから部屋を出て行った。今までクシュナと二人きりになる瞬間には必ずその視線で念を押してこられるので、リカルドも慣れたように微笑みで頷き返しているのだが、クシュナだけはほんの少し口を尖らせていつも見ていた。


「……もー…いつになったらバルバラさんはわかってくれるんだろ」

「今でも十分軟化していると思いますけどね」


 二人きりになって渋面をつくるクシュナに笑うリカルド。


「ブライさんは何のお話だったんです?」

「今後の護衛についてでした。私はこのまま特に変更なくクシュナさんに付いているという事の確認です」

「そうなんですか」


 良かったと笑うクシュナ。それからドアの方を気にするような視線を向けて表情を曇らせた。


「あの……ちょっと相談があるんですけど……」


 ちょっと座って貰えますか、とクシュナが椅子を示したのでリカルドはそこに座った。


「どうしました?」

「……相談というか、気になっているというか……えっと」


 膝の上で手を何度か組み直し、視線を落として迷うように言葉を選ぶクシュナ。

 なんだろうかとリカルドは首を傾げて言葉を待った。


「……うまく言えないんですけど、最近変な感覚がする事があって」

「変な感覚?」

「こう、何かと何かがずれる様な? カクンってなるような感覚なんですけど、あと歪み? 歪むような? そんな感覚も何度か感じる事があって……前に一度そんな感じがした事はあったんですけど、その時は一度だけで今まで全然なくて、でも最近それが何度もあって、どこかおかしいのかなって思って」


 歪み、歪む、ずれる、と頭の中で反芻したリカルドは内心首を捻った。そんな感覚リカルドはずっと一緒に居て感じた事はない。クシュナ個人の問題なのだろうと思い体調が悪いのかな?と時を止めて虚空検索アカシックレコードで調べて――停止した。


(………時を止める事これか)


 そうだった………と、リカルドは額を押さえた。

 クシュナは聖女として力を付けて来たからか、時を止めているリカルドに気が付くようになっていたのだ。幸い樹と同様で時を止めた間の事を認識する事までは出来ず、止めたという事だけを歪みとして認識しているだけだったのだが、はぁ……とため息をつくリカルド。


(そうだよ……聖女もその可能性があるってあったじゃん)


 樹で一度やっているのに学習能力のない死霊魔導士リッチである。

 念の為、今いる聖女の中――いや、人間の中で時を止めた事を認識出来るのは……と調べれば返ってきた答えの中にナクルもあって、そうなるかぁと目頭を揉んだ。


(………とりあえず、その感覚が度々やってくるから気になっちゃうって事だから、クシュナさんの前では控え………いやいや控えられないわ。交戦中の今控えたら状況が掴めないし、どこにどれだけ細工をしたらいいのかわからない)


 うーん……と悩んでからリカルドは時を戻した。


「あ! 今もしました。やっぱりズレるような感じが……」

「うん。あの、クシュナさん、ごめんなさい。それ私です」

「……リサさんが?」


 時を止めて虚空検索アカシックレコードで確認する事は今のタイミングでは止める事が出来ないので、ある程度情報開示する事にしたリカルド。但し、樹のように時を止めているという事までは話すつもりはない。そんな事を話したら、時を止めている間に何をしているんですか(もしかしてエロ目的)?と問われた時に証明のしようがなくて困るからだ。

 さすが時魔法を習得した時にスカート捲り放題だとか考えたリカルド。そっち方面の追及をすぐに想定するのはらしいといえばらしいが、残念な奴である。


「少し魔法を使っているんですが、その魔法の発動をクシュナさんが感じ取っているのだと思います。不安にさせてすみませんでした」

「あ、いえ、そういう事なら全然」


 そっか、魔法の感覚だったんだ。とホッとしたように表情を緩めるクシュナに、気づかなくてごめんよと思うリカルド。


「今はどうしてもその魔法を使う必要があって、止める事が出来ないのですが……」

「大丈夫です、リサさんの魔法だってわかってれば気にならないですから」


 笑顔のクシュナに――その信頼しきった表情になんとなく罪悪感を覚えるリカルド。だが、真実全てを話せるわけもないので曖昧に微笑むしかなかった。

 と、その時バルバラが戻ってきてドアを開けたリカルドに意味深な視線を向けながら部屋に入り、ドアが閉まったところで深々とリカルドに頭を下げた。


「今まで失礼な態度を取り、申し訳ありませんでした」

「はい?」


 急に何?となるリカルド。


「まさか神柱ラプタスに認められた方だとは思わず」

「あ……あぁー……バルバラさん、顔を上げてください。全然気にしてないですし、そうされると逆に困るので」


 その唐突な行為に、何事?と目を瞬かせているクシュナを気にしつつ、手を上げてバルバラに元の姿勢に戻るよう促すリカルド。

 バルバラは促されてゆっくりと頭を上げたが、内心はかなり動揺していた。先ほどブライに警護体制の話のついでにリカルドが免罪符を所持していた事を告げられて酷く驚いたのだ。

 ブライに知っていたのか?と問われてすぐに首を横に振り、けれど……と頭の冷静な部分が免罪符を授けられていてもおかしくないかもしれないと考えていた。

 クシュナとナクル、二人もの聖女に破邪結界を習得させるという偉業を成し得たのだ。これまでそんな事を成し得た者は聖女でも居ない。

 ブライはその話を知らないのでエヒャルト神官長、またはダグラス神官が画策した事ではないかと想像して下手な事にならなければいいがと不安がっていたが、バルバラはそうではないと、免罪符は本物だと直感的にわかった。


「寛容なお心に感謝いたします」

「いや、本当、今まで通りでお願いします」


 今までツンデレ対応(違う)をされていたのに畏まられると逆にむずむずするリカルド。

 困ったような顔をするリカルドを見て、バルバラは神柱ラプタスに認められた人物が被虐趣味そう望む(望んでない)ならば、それに合わせた方がいいのだろうと思いしっかりと頷いた。


「わかりました。僭越ながらこのバルバラ、慣れぬ事ではありますがしっかりと務めさせていただきます」

「え? あ、はぁ」


 務める?と首を傾げるリカルドだが、今まで通り厳しそうな表情を浮かべて言われたのでとりあえずいっかと頷いた。


 そんな一幕があった翌日、ヒルデリアの聖女、アウローラとの顔合わせが明け方に行われた。

 その時間帯が最も魔族の襲撃が少ない時間帯であるからなのだが、予定の話を一切されていなかったところをいきなり起こされたクシュナは半分寝ぼけている状態でバルバラに手伝って貰って支度をして、作戦本部の隣にある祈りの間というところに案内された。

 そこは聖女が結界を張る時に、せめて寛げるようにと整えられた部屋だった。足先を包み込む程毛足の長い絨毯が敷かれ、座り心地の良さそうなソファの前には柔らかな曲線を描く華奢なテーブルがあり、壁は薄い青地に白い花が咲いた絵柄で落ち着いていながら華やかさがあって、参戦本部の無骨な様子とはがらっと雰囲気が異なっている。

 レンガがむき出しの他の部屋とは違うその部屋にクシュナはきょろきょろとしていたが、ソファに座っている自分の母親程の見た目の聖女の視線に気づいて背筋を伸ばした。


「始めまして、グリンモアより参りましたクシュナと申します」


 おっとりとした微笑みを浮かべた、麦穂のような明るい薄茶の髪を束ねた女性が立ち上がって、挨拶をしたクシュナにゆっくりと頭を下げた。


「この遠い地まで足をお運びくださり心より感謝いたします。アウローラと申します」


 どうぞお座りくださいと向かいの椅子を勧められて、クシュナは緊張しながらそこに座った。

 リカルドはその後ろに立ち、アウローラの護衛と思われる二人の女性騎士から鋭い視線を貰った。なのでとりあえず喧嘩するつもりは無いですよ~と微笑んでおいた。

 ちなみに彼女達がリカルドを睨んでいるのは、昨日のうちに免罪符の話を聞いて、どうして我らが聖女様には神柱ラプタスは特別目を掛ける事もしないのに、ぽっと出のこの小娘には自ら免罪符を出した人間を送ってきたのだと苛立っていたからだ。

 怒りの矛先はどちらかと言うと神柱ラプタスに向けられているのだが、聖女のクシュナを睨んで怯えさせるのはさすがに憚られ、となると残るはリカルド一択という事でそうなっていた。要するに微笑み返したリカルドは煽っているようにも見えるので逆効果である。


「昨日はこちらに来ていただいたのに、いきなり結界を張っていただくような事になってしまい申し訳ありませんでした」

「いえ、お役に立てたのならそれ以上の事はありません」


 背後のブリザードを発生させかけている女性騎士達とは違い、心から申し訳ないという表情を浮かべて座ったまま頭を下げるアウローラに、クシュナも聖女らしくゆっくりと首を横に振って微笑みを返した。


「貴女のような方が現れてくださって本当に心強く思います。いろいろとお話したい事はありますが、まずはこちらでどのような結界を張っているのかをお伝えさせていただきますね」

「よろしくお願いします」


 アウローラはクシュナに嬉しそうにこれまでどのように結界を張って来たのかを話した。

 魔力が足りない場合には一つの砦だけを集中して守るというような事も行ってきたと結界の形を変えるコツも詳しく説明し、クシュナも物理結界との併用を提案してみたりと同じ聖女として互いの技術を教え合い、周りの思惑とは裏腹に二人の話はとても弾んだ。


「私はクシュナさんやグリンモアのもう一人の聖女が現れてくれて本当に嬉しかったの」


 ひとしきり結界の話で盛り上がればアウローラの口調は少し打ち解けたものとなり、クシュナもその方が緊張しなくて済むのでそれを受け入れていた。


「私が破邪結界を習得したのは二十九の時だったのだけれど、その時前任の聖女様、ユリアーネ様は既に五十三で結構なお歳だったの。ようやく後継者の私が出来て、あれもこれもといろいろと教えていただいたのだけれど、その時は破邪結界を使えたというだけでユリアーネ様のように応用を効かせる事なんて全然出来なくて、実は何度も怒られたわ」


 秘密よ、と茶目っ気を出して笑うアウローラに、そうなんですか?とクシュナは目を丸くした。


「慈悲のラフラに厳格のユリアーネって有名だったのだけれど、知らないかしら? 物凄く怖かったのよ?」

「ええと……知らないです。けど、もしかしてそのラフラという方は神柱ラプタスの事ですか?」

「そうよ、ユリアーネ様とラフラ様は同期なの。どちらも優秀な聖女様だったのだけれどユリアーネ様が破邪結界を習得されて、それでヒルデリアの守りの要となっておられたの」

「そうだったんですか」

「私もユリアーネ様と同じように、もっと長い間次の担い手が現れる事は無いと思っていたわ。でも、こうして貴女ともう一人、二人もこんな早くに現れてくれた。それが本当に嬉しくて――」


 ――私が力尽きた時、後ろに誰もいないかもしれないという事が何よりも恐ろしかったから……

 その言葉は言わず、アウローラは笑みを浮かべたまま続けた。


「まだまだ私は現役で頑張るつもりだから、貴女もたくさん恋して幸せを掴んでね。それが支えになってくれるわ」

「こ、恋?」


 お婆ちゃん世代の話にへぇと相槌を打っていたクシュナだが、唐突に話題が変わって思わず聞き返した。


「そうよ、私だって旦那様もいるし子供もいるわ。その二人が居るから頑張れるの。何としてもここを守り抜くんだって」


 聖女は特に結婚してはならない等の制約は無い。グリンモアでも普通に貴族出身の聖女は同じ貴族の男性と結婚していたりするし、平民出身の聖女は騎士と結婚したりしている。

 その事を思い浮かべたクシュナの視線は後ろに居るリカルドを向きそうになって、慌てて前に戻した。


「その反応は、誰かいい人がいるのかしら?」

「いっ、いえ! そんな人いません!」


 慌てて首をブンブン振るクシュナだが、後ろで見ていたリカルドにも居るのが丸わかりで、ちゃんとした相手だといいけど……と教師目線で余計な心配をしていた。


「クシュナさん、女は度胸よ。とにかく言わなきゃ。男なんてこちらの好意に気づかないし、気づいても違うんじゃないかって意気地が無くて全っ然動かないんだから!」

「本当にいないですから、本当に」


 握り拳を作って力説するアウローラにたじたじとなるクシュナ。

 ちなみにアウローラの話す男というのは、彼女の旦那の事である。このアウローラ、破邪結界を習得する前、聖女になった年に一目惚れした騎士にアタックしてアタックしまくって口説き落とした猛者だったりする。


「そう? それなら仕方ないけれど……でもいいなと思ったらとにかく声を掛けるの、こういうのはいい男から確保されていくんだから。早い者勝ちなのよ」

「早い者勝ち……」


 結界の話をしに来たはずなのに、何の話をしているんだろうか……と思うクシュナ。

 この後も男はこういう女の仕草に弱いんだからといろいろ語って聞かせたアウローラなのだが(全部アウローラ自身がやった事)、中には結構際どいのもあって、帰る頃には結界を張ったわけでもないのにぐったりしていたクシュナ。

 頭の中にあった、南の地で人の住む地を守り続けてきた聖女様という崇高なイメージがガラガラ崩れた会合であった。


 若干現実に幻想を打ち砕かれた部分はあったが、クシュナはそこから日を追うごとにアウローラと良好な関係を築いていった。

 が、残念ながらそれ以外ではあまり良好とは言い難い関係だった。

 というのも、リカルドの免罪符についてラクサが教会本部に固定式通信魔道具を使用して確認を取ったところ、紛れもない本物であると回答があったため、その悪びれぬ(ヒルデリア側の感じ方)宣言のせいでいよいよ火をつけてしまったというか、アウローラの事を特別扱いしないくせにクシュナの事を特別扱いするというのは神柱ラプタスとしてどうなんだという感情が騎士から神官や小間使い達へと静かに、だが着実に広がっていったのだ。


 護衛を外されそうになった時、リカルドが望んだように表面上大事にはなっていない。暴力沙汰にもなっていないので一応穏便にも該当する。だが将来的には物凄い溝を作りそうな事になっていた。

 今の時点でも生活する上で食事がちょっと抜きとられていたりとか、身体を清めるために使用するお湯を出す魔道具が故障していたりだとか、洗濯に出した服が戻ってこないだとか、細々とした嫌がらせが行われていたのだが、リカルドは自分がその元凶であるという認識が無いまま、嫌がらせに思考を割く余裕があるのもある意味ここが安全で平和が保たれているからだよなぁと呑気な感想を抱いていた。

 尚、それら嫌がらせはバルバラとリカルドが協力してクシュナに気づかれないうちに対処していた。というか、途中からリカルドが面倒になって部屋の隅にこっそり空間魔法で自宅の庭に作ったような離れを作って、その中に個室やらお風呂やらキッチンやら全部設置してそこで生活出来るようにした。さすがにこれにはバルバラも唖然としていたが、クシュナはリカルドの能力の事よりも前線なのにこんな快適な生活をさせて貰っていいんでしょうかと他の者に遠慮をしていた。こっちもこっちでちょっとずれている。


 人間関係方面はかなりやばい事になりそうな気配がしていたが、その一方で魔族の襲撃に関してはリカルドがかなり集中して考え対策を取っていたため、順調にその数を減らしていた。

 リカルドが介入した時点では魔族の総数は約八千(介入前の総攻撃が始まった時点でおよそ一万、そのほとんどが下位のオグル)。それが現在は半分の四千程まで減っている。各砦の戦力もだいたい七百程に増え、後方からの破邪結界による支援の頻度が上がった事によってほぼ安定した戦いとなっている。

 だがその代わりに高位に近い魔族が前に出てくるようになっているため(魔族は基本的に自分より明らかに弱い相手と好んで戦わない習性があるため、最初は群れるしかない人間など下の奴らが掃討すればいいと後ろで眺めていた)、一番近い討伐可能な冒険者の方へと、どうにかこの戦いを覗いている他種族の魔族に気取られないよう誘導して戦況をコントールしていた。


 そんな事を続けて数日後、夜中の襲撃でアウローラの張った破邪結界が壊されるという事態が起きた。

 アウローラと交代して休んでいたクシュナもすぐに呼ばれて破邪結界を張るよう指示が出されたのだが、リカルドは悩んでいた。

 結界を破ったのは能鬼ディズナグ・オグルというSランク冒険者が集まってやっと倒せるような魔族で、クシュナが破邪結界と物理結界を張っても耐えられるかどうかギリギリのラインだった。このクラスから上の魔族は今までは真っ先に天使族に絡まれて前線に出てこれなかったので、ヒルデリアの記録が残る限りでは初の事態となる。しかも嫌な事に同格の明鬼ニュルド・オグル暗鬼バグズル・オグルが他二つの砦にそれぞれ接近していた。


(エイムの砦はジュレのクランマスター、アーヴァインが単独討伐可能だろ? それでカルサの砦は身体強化をしたハインツが中心となって負傷者は出るものの討伐可能。問題はルドラの砦なんだよなぁ……)


 ルドラだけこのクラスの魔族の攻撃に耐えられる人間が居ないのだ。

 さすがにリカルドが今まで施していた小細工などが通用するような相手ではなく足止めも出来ない。もし足止めをして他の砦からの応援を待とうと思えば直接リカルドが介入する必要があり、その場合、戦いを覗いている他種族の魔族が参戦してくる可能性がでる。

 完全に目撃者を全て処分してしまえば……と、ちらっと死霊魔導士的思考になるリカルドだが、それをすれば魔族領内でもそこそこの実力者が時を同じくして消滅してしまうので、誰がやったんだ?という話になり結局暇つぶし相手犯人捜しが始まる。下手をしなくてもこの戦いの参戦者(人間)の中にいるんじゃないかとちょっかいを掛けてくる可能性が十分あり、そうなったらもういくら人が力を合わせようとお手上げだ。対抗可能なのはファガットの王弟といった人外に近い者達ぐらいで、ヒルデリアがフルール王国の二の舞になる可能性まである。

 さすがにそんな危険は冒せないかと思考を散らしたリカルド。作戦本部の中、人々が険しい顔で議論している前で破邪結界を張ったクシュナの後ろ姿を見つめながら、往生際悪く何度も確認した事を再度時を止めて確認し――


「ん?」


 何かの間違いかと思ってもう一度虚空検索アカシックレコードで確認をして、再度同じ結果が返ってきて束の間、あれ?と頭にハテナが浮かび、どういう事かと追加で確認をした。

 つい先程まで、ルドラの少し先の未来は散々なものが多かったのだが、それが僅かながら良い方向に変わったのだ。何が原因かと調べれば、ここに居る筈のない人物の名前が返ってきて固まった。


(何で樹くんがいるの……?)


 え、ちょっと本当になんで?シルキーからそんな連絡来てないんだけど?と我に返って動揺しながら調べてみれば、何と樹はシルキーに護衛依頼に行くから二週間程帰らないと嘘をついて、この南方へと送られる冒険者達に紛れ込んで来ていたのだ。

 何でそんな事をとリカルドは思ったが、全てをリカルドに任せるのはどうしても出来ないと考えての事だった。

 怖さが無いわけではないし、足手まといになるかもしれない。行くこと自体が余計な事なのかもしれない。そう頭で考える事は出来ても、心の方が何もせずただ家にいるという事に耐えられなかったと虚空検索アカシックレコードが赤裸々に樹の心境をリカルドに教えて、リカルドは天を仰いだ。


(自立心が高すぎるよ樹くんっ! もうちょい甘えてて!)


 君まだ十五だからね?と言いたいリカルドだが、今それは樹には届かない。

 ともかく、樹がこの地に来れた事で、無いに等しかった細いルートに光が射していた。


(そりゃ……たしかに樹くんなら腕輪もあるし耐えられるけど)


 実は虚空検索アカシックレコードはこの付近で件の魔族の攻撃に耐えられる人物としてアーヴァイン、ハインツ、そしてリカルドとクシュナを上げていた。リカルドは当然としてクシュナは腕輪の保持者故である。


(……いや…でも……)


 未成年にそんな事をさせるのは……とどこまでも日本人感覚が抜けきらないリカルドだが、状況は待ったなし(時は止めているが不可逆的にという意味で)。


(樹くんにやらせるぐらいなら俺がやった方が……)


 と思うものの、クシュナの傍を長時間離れる事は出来ない。デコイを置くにしてもこの緊急事態に人形を置いていてはバレる可能性しかないわけで、そうなると一撃明らかな実力差で討伐するしかなくなり目を付けられる。

 一応と虚空検索アカシックレコードで樹が交戦した場合の注目度を調べれば、魔法を使用しなければ魔族側からそこまで注目される事は無かった。あくまでも人間達が束になってようやく勝てたという評価で収まっていた。


(……被害を許容するか……樹くんにお願いするか……)


 頭を抱えて唸るリカルド。

 実時間にしておよそ一時間程悩み続け、今後の事も考えて非常に不本意であったが樹に頼む事に決めたリカルド。

 樹が野営しているルマンシラ手前の街道に転移して、焚火の前で見張り番をしている樹の肩に触れた。


「っ!?」


 突然の接触に驚き、間合いを取るように飛び下がる樹。


「驚かせてごめんね。樹くん、いきなりだけどちょっとお願いがあるんだ」

「え?」

「ん?」


 リカルドは普通に話して戸惑う樹の顔にあれ?となって、それから自分の声が高いままな事に気づいて「あ」と声を出した。


「ごめん、俺だよ」


 姿を日本版リカルドに戻せば、樹は目を丸くした。


「リカルドさん……?」

「うん、突然ごめんね。あれはクシュナさんの護衛をする上でちょっと変装してて……それはいいとして、急なんだけどちょっとお願いしたい事があって」

「お願い? あ、ちょっと待ってください他にも人が」

 

 突然リカルドが現れた事で驚きが先に出ていた樹だが、テントの中に人に気づかれると手を前に出せばリカルドに首を横に振られた。


「今、時を止めてるからその心配は要らないよ」

「え……あ……」


 樹は慌てて周りを見て、リカルド以外に何の音も無い静寂の中に居る事にようやく気が付いた。それからハッとしたように自分の喉を抑えて「息が、でも出来てる?」と首を傾げている姿にリカルドはちょっと苦笑した。


「時が止まれば気体も含めて全ては動かなくなるって発想だと思うけど、それだと不便でしょ。部分的に他の空間と切り離して時を進めてるから色の認識も出来るし息も出来るしこうやって話も出来るよ」


 さらっとリカルドは言ったが、悪魔族でも他者を時を止めた中で動かすのはかなり難しい。しかも同じ悪魔族同士ならまだしも、人間をとなると出来る個体は限られる程だ。


「まぁそこはそういうものだと思ってもらうとして、真面目な話しなんだけど」

「あ、はい。すみません」

「この先、ルマンシラの街があるのはわかってるよね?」

「はい、そこが目的地だったので……」


 答えた樹は、勝手に来たことを怒られるかもと首を竦めたがリカルドは真面目な顔のまま話を続けた。


「そのルマンシラのさらに先にある、ルドラという砦にこれからすぐに行ってもらいたいんだ」

「ルドラ、ですか?」


 どうやら怒られるわけではないと察して首を傾げる樹。


「そう。そのルドラに暗鬼バグズル・オグルっていう魔族が近づいてて、かなり不味い事になりそうなんだ。俺がやれたらいいんだけど、いろいろ問題があってそれが出来なくて、申し訳ないんだけど樹くんに他のSランクの冒険者と一緒に討伐して欲しい」

「俺が……」

「行かなくてもいいって言っておきながらこんな事を頼むのは悪いとは思ってるんだけど――」

「いえ! 行きます!」


 リカルドの言葉を遮るように樹は言った。


「俺が行って役に立つのなら全然! むしろ嬉しいっていうか!」


 どこかはしゃぐように話す樹に、若干心配になるリカルド。英雄願望は無い筈なんだけどなこの子……と思いつつ、もう決めてしまった事なので伝えるべき事を口にする。


「受けて貰えて助かるんだけど、いくつか注意事項があって」

「あっ、はい」


 リカルドに頼られて思わずテンションが上がってしまった樹は意識してそれを戻し、真面目な顔のままのリカルドに日本人らしく合わせた。


「この戦い、仕掛けたのはオグルっていう種族の魔族なんだけど、実は他種族の魔族も見物していて、下手に強いところを見せるとそいつらまで参戦してきてやばい事になるんだ。

 だから樹くんは魔法は絶対に使わないで欲しい。こちらの人間がどんなに危険でも、死にそうになっても、絶対」


 まだ魔族というものを見た事が無い樹だったが、リカルドのあまりに深刻な様子に唾を飲み込んで深く頷いた。


「それから自分の事はハインツの弟子だと言って名前も言わないようにして欲しい。あのクラスの魔族を討伐すれば嫌でも人の目を引くから、ハインツから名乗るのも許可されていないって言って」

「もしかして……ハインツさんも俺がここに来てるって」

「ううん、ハインツには知らせてない。ハインツには俺が時を止められる事を教えてないからね、教えるタイミングが無くて。だからこれは俺の勝手な作戦」

「いいんですか……?」

「大丈夫。ハインツは機転を効かせてくれるから。それで——後で一緒に怒られてください」


 真面目な顔してお願いするリカルドに、樹は吹き出して笑ってしまった。


「一緒に怒られてくださいって……」

「だって絶対怒るよ? しかも本気で怒られると思うから」


 思うではなく、この作戦を取った場合のほぼほぼ確定の未来である。一人で怒られるのは怖いと年下を巻き込む精神年齢29歳の死霊魔導士リッチ。こすい奴である。

 

「わかりました。その時はちゃんと一緒に怒られます」


 そう言いながらも笑顔の樹なので、本当にわかってるかな?とやっぱり心配になるリカルド。


「もし何者なのかと無理矢理確認してくるような相手が現れたらその腕輪の転送機能を起動してグリンモアに戻ってね? 言葉は覚えてる?」

「覚えてます。起動ルデマーデですよね?」


 一度腕輪を外して確認する樹に頷くリカルド。ついでに腕輪の魔力の残量を確認して減った分を補充した。


暗鬼バグズル・オグルを討伐した後は大物は残り三体なんだけど。その三体のうち一体が親玉で、それを討伐したら今回の戦いは終息に向かうんだ。

 そのオグルに関してはアーヴァインって人がうまくぶつかれば一番楽なんだけど……ちょっと先の事はどうなるかわからないから、もしそれにあたったら無理に倒そうとはせず防御に専念して時間を稼いで欲しい。どうにかするから」

「わかりました、なんというオグルなんですか?」

喰鬼トロゴ・オグル。でもたぶんこの名前を知ってる人は居ないと思う。人の目に触れた事が無いオグルだから。見た目は人に近くて、黒いツノが側頭部から後ろに生えてるからわかると思う。あ、魔波探知ディアソナーは使わないように。それ使うと他の魔族に気づかれるから」

「わかりました。魔波探知ディアソナーはどちらにしても今は使えないので」

「あ、そうか……そうだね」


 そういえば魔力のコントロールの問題があるのかと思い出して頭を掻くリカルド。


「樹くん、今つけてる変装用の首飾りを少し貸してもらえる?」


 リカルドは樹が外した首飾りを手のひらに置いて、その中の術式を少し弄って樹に返した。


「髪の色をこっちに多い金髪にして、あとほんのちょっと印象も変わるようにしておいたから」

「ありがとうございます」

「ううん、うまく立ち回れなくてごめんね」


 あんなに余裕たっぷりに言ってたのにな……とそこが情けないリカルド。


「いいえ。俺が出来る事は何でも言ってください」

「あー……もう、そんな事言ったら俺、駄目な大人になっちゃうよ?」

「ならないって知ってるから大丈夫です」


 笑顔で断言されて、うっとなるリカルド。そんな事をそんな顔で言われたら、頑張らないわけにはいかないと思うちょろい死霊魔導士リッチである。


「……じゃあ目印に蝶を残しておくから、それを追いかけてくれる?」

「はい」


 しっかりと頷く樹に、ふとリカルドは空間の狭間から霊薬エリクサーを取り出して渡した。


「回復薬。腕輪が全て防いでくれると思うけど、念のため」


 樹にそれを渡してまた腕輪に触れて、問題なく魔力が充填されている事をもう一度確認して、リカルドは「それじゃ気をつけてね」と言って蝶を残し転移した。

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