第90話 今日はちょっと時間ないんで

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注意事項です。

今話は食事中の方は食事を終えられてから読まれる事をお勧めします。

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 人の手が入っていない山の中、教会騎士の制服に着替えて変装をするリカルド。

 とりあえず顔と体格と声を変えて、念のためその他細かいところも調整して(どうせならとちょっとこだわりが入ったりもして)国境の街リバースードに足を踏み入れた。

 街の外壁に設けられた検問ではエヒャルト神官長にその場で書いてもらった任命状を出してパスしたが、前に一度検問で引っ掛かった事があるリカルドはドキドキ(妄想)した。変なところで公的機関に弱い小心者の死霊魔導士リッチである。


「マフラーなしでいいのは楽でいいな……」


 グリンモアでは雪がちらつく気候だが、こちらは早朝でも涼しいと感じる程度に暖かい。日が登れば襟がしっかりした制服では暑いぐらいかもしれないなと思いながら事前に調べていた教会へと足を向ければ、教会騎士の格好をしているためか正門から裏手に回っても呼び止められる事は無かった。

 こっちの方で出発の準備をしている筈だけど……と角を曲がれば、虚空検索アカシックレコードで確認した通り教会騎士が馬車に荷物を乗せている姿が見えた。


「お忙しいところ失礼します」

「ん?」


 グリンモアからクシュナに同行している教会騎士だろうと近づいて声を掛ければ、その騎士は振り返ってリカルド(リサ)を見て、女騎士?という顔になった。


「グリンモアより参りました。こちらにクシュナ様がご滞在されていると思うのですが」

「所属は」


 クシュナの名を出した瞬間、それまで普通の兄ちゃんという雰囲気だった騎士の目が鋭くなり、纏う空気も固いものに変化した。

 おお、さすが聖女の護衛に選ばれるだけあると内心騎士の警戒心に感心するリカルド。


「エヒャルト神官長からクシュナ様の護衛を仰せつかりましたリサと申します」


 頭を下げたリカルドに鋭い目つきだった騎士は、一転してあっと声を上げた。

 

「お前が神官長の秘蔵っ子か!」


 指を差され大きな声で言われ、秘蔵っ子?と内心首を傾げるリカルド。そうしている間にも大きな声に釣られてわらわらと他の騎士達が現れ囲まれた。


「大声出してどうした?」

「神官長の秘蔵っ子が来たんだよ」

「こいつが?」

「なになに? 秘蔵っ子……ってなんか思ったより細いな」

「あの神官長が鍛えたらもっとごつくなりそうだけどな」

「言えてる」

「お前いくつだ?」

「本当にまだ子供じゃないか。大丈夫かこれ」

「どうせ女だからって選ばれたんだろ」

「けど可愛いじゃん」


 勝手な事を言われていたリカルドは微笑みを浮かべたまま、好奇心と疑念と多少の妬みと若干の下心の混ざる視線に、えーと……と誰に取り次ぎを頼もうかと迷った。


「何をしている」


 その時一際低い声がその場に滑り込み、ぎくりと騎士達の身体が強張った。


「遊んでいる暇は無い、持ち場に戻れ」


 裏口から姿を見せたのは三十代と思われる短い茶の髪の叩き上げと言った風情の騎士だった。その男は集まっていた騎士を散らすと、リカルドに視線を向け軽く眉間に皺を寄せた。


「任命状を見せろ」


 リカルドは言われた通り、肩に掛けていた荷物袋からそれを取り出して渡した。


「……本物か。私がこの部隊を纏めるブライだ」

「リサと申します」


 ブライはじろじろとリカルドを上から下まで眺めると、無言で元の通りに任命状を丸めて紐で縛った。


「来い」


 はい。とリカルドは返事をしてブライの後に従った。

 後ろから鑑定で見れば、ブライ・ゲルダーという貴族出身の騎士だった。ステータス的にはラドバウト達程ではないが、そこそこ高い値を持っており、先ほどの集っていた騎士達よりも頭一つ分高い。実力で部隊長になった人なんだろうなぁと感想を抱くリカルド。


「お前はクシュナ様の傍に常に付くように命じられている。知っての通り護衛騎士になれるほどの女騎士はうちには居ないからな」


 ブライの言葉にそうなんだと思いつつ、リカルドは訳知り顔で頷いた。


「神官長が手掛けたというのならお前の実力はそれなりだろう。何かあった場合はお前が最後の盾になる。命に変えてもお守りしろ」

「承知いたしました」


 神官長が手掛けた??と頭の中はハテナが浮かんでいたが微笑みのままとりあえず頷いておくリカルド。

 ブライはとある部屋の前で足を止め、そこに立つ騎士を視線で下げさせ、ドアを叩いた。


「バルバラ殿、専任の護衛騎士が到着した。クシュナ様との顔合わせをお願いしたい」


 バルバラの名に、あ、協力者の人だと気づくリカルド。

 少しの間を置いて中から応えがあり、がちゃりとドアノブが動いて、こちらも三十代ぐらいの女性が姿を現した。白い神官服姿で、若葉のような鮮やかなライトグリーンの髪を隙なく結い上げた、行儀作法に厳しそうな女性だ。


「どうぞお入りください」


 ブライにも入るよう促され、失礼しますと中に入ればすぐに女性が「では後ほど」と言ってドアを閉めた。そしてつかつかと歩いてリカルドの前を通り過ぎ、カバンから紙と携帯用のペンを取り出して何事か書きリカルドに見せる。


〝魔法が得意と聞いております。防音を〟


 あ、はい。とリカルドは防音ではなく妨害の魔法を掛けた。全く物音がしなくなると不自然なので、音は聞こえるが何を話しているのかわからないようにする、ラドバウト達と飲んでいた時に掛けた魔法だ。


「会話の内容をわからないようにしました。お話し頂いて問題ありません」

「……そうですか。では確認ですが、貴方の本当のお名前をお聞かせください」

「リカルドと申します。本来の姿も見せた方がいいですか?」

「出来れば」


 リカルドは窓にカーテンが掛かっているのを確認して、幻覚魔法で誤魔化しながら姿を日本版リカルドに戻した。


「こちらが本来の姿です」


 本来は骨である。だがそこはもう頭にないリカルド。ついでに生来よりも顔面の完成度を割増している事もすっかり忘れている都合のいい頭である。

 声まで完全に変わったリカルドに、女性は難しい顔で一つ溜息をつくと「もう結構です」と頷いた。

 結構ですと言われたので姿をリサにすれば、どうぞと椅子を勧められ、木の丸椅子に失礼しますと座った。


「クシュナ様の世話役を務めておりますバルバラです」

「改めまして、この姿の時はリサと名乗っております。よろしくお願いします」


 リカルドが頭を下げると、バルバラは少し遅れて「こちらこそ」と頭を下げた。


「今回リサさんはエヒャルト神官長の遠縁のご息女という事にして、個人的に訓練を行っていた方という設定にされております」


 バルバラの説明に、あぁ秘蔵っ子ってこれかと理解するリカルド。


「それからこちら、リサさんにと預かっていた剣です」


 バルバラが脇に置いてあった大きな鞄を開けて取り出したのは、刀身の幅が細い一振りの剣だった。


「魔導士の方という事で軽量型を選ばれたそうです。強度はそこまでありませんが、貴方ならば見せ掛けになればそれで十分だろうと言われていました」


 リカルドは差し出されたその剣を受け取って軽く鞘から剣を抜き、レイピアじゃないけどかなりの細剣だなと確認する。斬るよりも刺突に特化した剣なのは素人でもわかったが、まあ使う事は無いだろうと鞘に仕舞って一度立ち上がって腰のベルトに刺した。そして生まれて初めて剣を腰に刺して密かにテンションが上がった。未だコスプレ感覚の抜けないリカルドである。


「ありがとうございます。十分です」

「それではクシュナ様に紹介しますのでそのままの姿でこちらに」


 そう言って立ち上がると、続き部屋となっている隣へのドアに足を向けるバルバラ。


「一度魔法を解いていただけますか?」


 ノックの音が聞こえないと思ってだろう、そう言うバルバラにリカルドは頷いて魔法を解いた。


「クシュナ様、専任の護衛騎士が到着いたしました。挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「………はぃ」


 向こうから返って来た声は何故か弱弱しく、あれ?と思うリカルド。思わず尋ねるようにバルバラを見れば「馬車を急がせているので酔いが酷いのです」と言われて、余計になんで?となった。酔いぐらい簡単な回復魔法で治せる。クシュナであれば何の問題もなく治せる筈だった。


「失礼いたします」


 バルバラがドアを開けて入ったので、慌ててリカルドも付いていく。中では聖女用の白いローブに身を包んだクシュナが椅子に座って背を正していたが、顔色が悪く、見るからに具合が悪そうだった。


「リサ、ご挨拶を」

「初めまして。リサと申します」


 バルバラの紹介に、クシュナさんには伝えてないの?とさらに頭に別のハテナが生まれるリカルド。とりあえず頭を下げればバルバラに咳ばらいをされ、片膝をついて左手を胸にと言われた。

 教会騎士の正式なお辞儀の方法なのかな?と思って言われる通りにやれば、不慣れなリカルドの仕草にクシュナは少しだけ笑った。


「年が近い方というのは嬉しいです」


 余所行きの笑みを浮かべるクシュナに、やっぱり自分の事がちゃんと伝わっていないと思うリカルド。そもそも正体を伝えないと精神的負担の軽減に繋がらないのでは?とバルバラを見れば、何故かもう一度溜息を吐かれた。


「本当は私は反対なのです。ですが、エヒャルト様、ダグラス様から直々に頼むと言われては聞かないわけには参りませんでした。リサさん、先ほどの音が漏れないようにする魔法を使ってから元の姿になっていただけますか?」


 難しい顔のままカーテンを閉めるバラバラに、あー……と、なんとなく状況を察したリカルド。妨害の魔法を張り直して、日本版リカルドの姿へと戻った。

 その瞬間、クシュナは大きく目を見開いた。


「先日ぶりです。クシュナさん」

「なっ……なんで…」

「ちょっと失礼しますよ」


 と言ってクシュナの手を取って冷たくなっているその手に、熱を吹き込むように三半規管と胃を始めとする不調を治し——バルバラの視線が鋭かったのですぐに離した。

 身体が暖かくなって楽になったクシュナは、けれどそれよりも何故目の前にリカルドがいるのか、しかも教会騎士の姿でいるのか理解出来ず混乱していた。


「なんで? なんでここにいるんです? それにその格好」

「ジョルジュさんに頼まれたんです。ヒルデリアに行くクシュナさんの護衛騎士になって欲しいと」

「ええ?!」

「クシュナ様、言葉も態度も乱れております」

「あっ! ごめんなさい!」


 面白い程驚くクシュナにバルバラから指導が入り、慌ててお澄まし状態に戻るクシュナ。だがそれも数秒と持たなかった。


「でもこんなの聞いてないですよ! バルバラさん!」

「今申し上げましたから」


 冷静に答えるバルバラに、今って……と戸惑うクシュナ。リカルドは苦笑してリサの姿に変えて立ち上がった。


「たぶん、私が本当に合流するのか信用ならなかったからではないでしょうか?」


 リカルドがそう口にすれば、バルバラは少し沈黙した後、視線を落とした。


「……ええ。最初から伝えていては間に合わなかった時、落胆されるだろうと思いましたから。それに私個人は女性の振りをした男性を傍に置くなど今も反対の立場です。間に合わないならそれはそれで良いと思っていました」

「そこは当然の心配ですね。私も知り合いの娘さんが同じ立場であれば難色を示したでしょうから」

「そう言っていただけるという事は、当然不埒な真似はしないと女神様に誓っていただけるのでしょうね?」


 ギロリとリカルドを睨むバルバラに慌てたのはクシュナの方で「何を言ってるんですか!」と立ち上がってバルバラとリカルドの間に割り込んだ。


「それで安心していただけるのならばいくらでも誓いましょう」


 正直あの酒飲み女神に誓ったところでいかほどの効果があるんだろうか?と思うリカルドだが、こういうのは形式的なものなので迷いなく宣言した。


「女神ミスティル様に誓います。私は護衛騎士以上の事は一切致しません」

「その言葉違えた時は教会は今後貴方に一切の支援を行う事は無いと思いなさい」


 普通の人間なら教会の支援を得られないというのは絶望に近い宣言なのだが、リカルドは苦笑するしかない。バルバラにそんな権限が無い事は少し考えればわかる事だ。それでもそれを振りかざして間違いが起きないようにと、自分を悪く見られようとクシュナを守ろうとする強い意思は、クシュナにとって得難いものだろうと思った。


(あれだな。この人が居れば確かにクシュナさんがやっていけたのも頷けるわ)


「バルバラさん!」

「大丈夫ですよクシュナさん」


 声を荒げて怒るクシュナを止めるリカルド。


「バルバラさんはそれだけクシュナさんの事を心配しているって事ですから。私は気にしません――というか私も最初はジョルジュさんに正気かと聞き返しましたからね」


 笑って話すリカルドに、クシュナは眉が下がり情けない顔になった。


「リカルドさん……」

「あぁこの姿の時はリサでお願いします」

「リサさん……」


 ふとクシュナはリカルドの姿を改めて見て、そのどこか幼さがありながら凛とした雰囲気のある綺麗な顔立ちに、気づいたら言葉が零れていた。


「その姿、誰かを真似ているんですか?」


 もしかしてと想像したクシュナに、リカルドは「あぁ姉です」と答えた。


「「……姉?」」


 どう考えても日本版リカルドよりも歳下に見える顔に、クシュナだけでなくバルバラも思わず疑問の声を出していた。


「え。姉? 妹じゃなくてですか?」

「姉です。童顔なんですよ。この顔で三じゅ………いえ、ええと、まぁそこそこの歳とだけ……」


 一瞬異世界から殺気を感じたリカルド(幼少期からの姉の指導による反射)。ごにょごにょと誤魔化した。

 まぁ四割程リカルド主感で盛っているので、そのせいもあって童顔度合いが増しているのだが、バルバラとクシュナはまじまじとリカルド(リサ)の顔を見てしまった。これで三十うん歳なのか……と。


「まぁ私の事は置いといて。それよりクシュナさん、具合が悪いのにどうして回復魔法を使わなかったんです?」

「あ……ええと……」


 クシュナは問われてちらっとバルバラに視線をやった。


「これから向かう土地では魔力の温存が重要になってきます。いざという時に魔力が足りないでは済まされない話なのです」


 厳しい口調のバルバラに、なるほど……とリカルドは相槌を打ち、部屋に置いてあった水差しとコップのセットからコップだけを手にとった。


「バルバラさん、クシュナさんの魔力量がどの程度かご存知ですか?」

「歴代の聖女様の中でも多いと伺っておりますが」


 それが何か?と返す視線に、リカルドは手にしていたコップを目の前に翳した。


「このコップを一般的な魔導士とすると、クシュナさんは煮込み用の鍋ぐらいの魔力量を保有しています。一晩休めば自然回復で半分程度何もしなくとも回復しますし、ただ座ってぼうっとしているだけでも一割ぐらいは回復します。ちなみに低位の回復魔法の場合、このコップの十分の一も使いません」

「…………」


 リカルドの言いたい事が伝わったのか、バルバラは無言になった。


「精神力を鍛えるのは大事な事だと思いますが、今はちょっとお休みしてもいいんじゃないでしょうか? これから消耗するだろう事は目に見えていますし」


 どうでしょう?とリカルドが首を傾げれば、バルバラは僅かに目を細めた。


「エヒャルト様もダグラス様も、貴方がクシュナ様とナクル様に聖魔法を指導したとおっしゃいましたが……」

「ええまぁ。それは事実ですね」


 バルバラは無言でしばらくリカルドを見据えていたが、やがて視線を外してクシュナの前で腰を落とした。


「申し訳ありませんクシュナ様。私の浅学から無用なご負担をお掛けしてしまいました。罰はいかようにも」

「い、いえ。バルバラさんが心構えが必要だと言ってくださった事は本当だと思うので、それは……」


 確かに不調を治せなかったのは大変だったけど……と頭を下げるバルバラに慌てるクシュナ。

 それを見ていたリカルドは敢えて軽く言った。


「クシュナさん、真面目なのもいいですけど抜けるところは力を抜いていきましょう。要は責任を果たしてちゃんとやってるように見えてれば後は適当でいいんです」

「お待ちなさい。そのように適当という言葉は聖女様に相応しくありません。聖女様はみなの希望となるお方。適当などという言葉を軽々しく――」

「まぁまぁ。サボれとは言ってないですから。それにバルバラさんの考えもわかりますよ。何かあった時に力不足を指摘されるのは辛いと思いますからね。そうならないようにという配慮からでしょう?」


 おそらくヒルデリアの教会の特殊性を理解しているからこそ、クシュナが軽んじられないように気を張っているのだろうとリカルドは思った。


「魔法に関する事は私もサポートします。バルバラさんもずっと気を張っていたら倒れてしまいますから、お互いに協力して頑張りませんか?」

「………私は貴方の事を詳しく知りません。そう簡単に信用する事は難しいとお考え下さい」


 そろそろ出発の時刻ですので準備をして参ります。と淡々と言ってバルバラはそのまま部屋を出て行った。


「……すみません、リカ……リサさん。バルバラさんは悪い人じゃないんですけど」

「いえいえ全然平気ですよ。突然こんな形でやってきた冒険者を信用する方が普通は難しいですから。受け入れてくれているだけでも御の字です。それに用心深い性格もクシュナさんの世話役としては心強いじゃないですか」


 全く気にせずニコニコしているリカルドに、そうなのかな?と流されて頷くクシュナ。

 ファーストコンタクトはそんな調子で微妙なものであったのだが、それに反してバルバラは厳しい顔と口調を維持しながらも、馬車に同乗したリカルドに教会騎士の振舞いというものを教え、口上も含めてきちんと覚えたか何度もやらせたりと意外と面倒見は良かった。

 おかげでその日のうちに国境を越えてヒルデリアの迎えの教会騎士数名と顔合わせをしたのだが、どうにか様になっていた。


 その結果。

 あれだな、バルバラさんはツンデレ系だな(ツンデレではなく生真面目なだけ)、と誤認識するリカルド。

 バルバラの方もいくら厳しくしても微笑みが全く揺らがないリカルド(微笑み固定中)を、ちょっと変な人――もしかすると被虐趣味の人?と変な方向に解釈を始めていた。

 ちなみにこのバルバラ、とある侯爵令嬢の作品の隠れファンである。男同士がどうのこうのというより、人が人を想う心の動きの表現に惹かれて沼ってしまった口だ。入口は純愛だったが今や様々な性癖作品をインプットしており、なかなか広い世界をご存知であった。


 ただの生真面目をデレに誤変換するリカルドと、この人被虐趣味なら厳しくしない方がいいのかしら?と戸惑うバルバラのやり取りは噛み合うような噛み合わないような……そんな調子で仲がいいのか悪いのか、傍から見ているクシュナが困惑する愉快な旅路になっていたのだが、その日の宿泊地にて少々厄介な事が起きた。


 町の教会の規模が小さいため予め宿を貸切っていたのだが、その一階にてヒルデリア側の教会騎士とグリンモア側の教会騎士が睨み合う事態となったのだ。

 原因はクシュナの護衛についてで、ヒルデリアとしては前線に足を運ばせた礼儀として自分達の精鋭の女騎士を側近くに付けると申し出たのを、ブライがうちにも優秀な女騎士が居るので不要と断った事だ。


「護衛はこちらのリサがエヒャルト神官長より専任として任命されている。そちらの手を煩わせるような事はないので安心して欲しい」


 ブライとしては魔族の進行で手が足りて無いだろうヒルデリア側の騎士に遠慮した形を取ったのだが、ヒルデリア側には下に見られたと受け取られこの言葉を皮切りにヒルデリア側の騎士(六名)とグリンモア側の騎士(リカルド含め十三名)が対峙する形となり、リカルドとバルバラが後ろに隠したクシュナはどうして同じ騎士同士が争う事になるのかわからずおろおろしていた。

 ちなみに宿の人間は危険を察知して早々に奥に引っ込み、暴れないでくれよ……と女神に祈っている。


「バルバラさん、クシュナ様を上の部屋に移動できますか?」


 小声で囁くリカルドに、微かに首を横に振るバルバラ。


「いえ、むしろここから離れない方が宜しいかと。クシュナ様、申し訳ありませんが事態が落ち着くまで今しばらく御辛抱ください」


 わからないまま頷くクシュナに、リカルドは心配要らないですよと微笑んで前に視線を戻した。

 ブライと相手の部隊長による話し合いという名の牽制のし合いは、最終的にリカルドとヒルデリア側の女性騎士で勝負をする事になりそうな流れになってきていた。


「聖女様の護衛に任命される程ならばさぞかし腕が立つのだろうな。であるならばぜひとも一手手合わせ願いたいのだが?」


 ヒルデリア側の部隊長が自分の後ろに並んでいる短い金髪の女性騎士に視線をやれば、その女性騎士はいつでもどうぞと言うように剣の柄に手を置いて余裕のある顔で首肯して見せた。

 それを見て、あぁこりゃ避けようがないなと諦めるリカルド。

 どのタイミングでかは不確かだったが、ヒルデリアの騎士から勝負を挑まれる事は虚空検索アカシックレコードで確認出来ていた。なので対処方法もわかっているのだが、しかしリカルドは参ったなと思う。

 結論から言えば、最善は引き分けにする事だ。

 リカルドが勝った場合、向こう側に敵愾心を余計に抱かれて面倒な事になるし、リカルドが負けると護衛から外されてしまうので論外。だから引き分けにして、同格の相手と認めさせる事が一番穏便に収められる方法だった。

 ただこれには問題が一つあった。


(今日だけは本当に止めて欲しかったなぁ)


 樹の帰還に必要な素材の一つが一年の内、今夜だけ開花するのだ。それはどうでも採取してきたいリカルド。

 引き分けに持ち込むにはかなりの時間を要する(再三再四にわたるいちゃもんを付けられる)ので、そのせいで予定がずれ込んで開花時間に間に合わないという事態は避けたかった。


(……あれやるか)


 リカルドとしては人の尊厳を著しく損ねかねない戦法なのでどうかなぁ??と思っていたのだが、時間がないし絡んできたのは向こうからだから仕方ないよねと割り切った。


「リサ、おま——」

「「っぃ!?」」


 それはブライが振り向いてリカルドに勝算があるか聞こうとしたタイミングと被り、ヒルデリアの部隊長と女性騎士二人の身体が跳ねて変な声がその場に響いた。


 何が起きたかというと、リカルドが相手の部隊長とやる気満々の女性騎士の直腸に水を転移させたのだ。


 浣腸液を入れられた経験のある人なら分かると思うが、直腸に液体を入れられてその状態をキープするのは相当な精神力と括約筋を必要とする。あれを入れられた後、5分待ってくださいと言われるが、そのたった5分が地獄だったりする。しかも浣腸液は温められているので多少刺激が緩和されるが、リカルドが転移させたのは冷水。さすが死霊魔導士リッチ。相手が女だろうが何だろうが容赦がない。


 突如変な声を出した部隊長と女性騎士に、ブライは何事かとリカルドから視線を戻した。


「イ、いや、今日はもう、おそい、引き継ぐこと、も、多いだろう。話は、明日に」


 一気に血の気の引いた顔で、それでもこの場を終わらせるための言葉を紡いだ部隊長。周りが、ヘッケン隊長?と訝しんで小声で声を掛けるが、余計な事を言うなと必死に手を振っている。

 そんな様子をステータスが高いと括約筋も強いんだろうか?とアホな事を考えながら見守るリカルド。


「……そちらが手合わせを願ったと思うのだが」


 唐突な方針転換に逆に怪しさを感じたブライがそう言えば、


「それっは、また、あす、明日に!」


 とにかく辞したい部隊長はそれだけ言って背を向け、ダッシュした。

 ヘッケン隊長?!と驚く周りの中で、唯一あの女性騎士だけが即座に追いかけるようにダッシュ。周りはカリーシャ?!とこちらにも驚いて、慌てて後を追う形となった。


 なんなんだ……とわけがわからないグリンモア側の面々だったが、ひとまずクシュナ様を部屋にお連れしましょうとリカルドが声を発せば、それもそうだなとそれぞれ動きを再開した。


 ちなみにこの部隊長と金髪の女性騎士が何者かによる妨害行為だと気付く可能性はほぼゼロである。

 何故なら下痢を引き起こす魔法なんてものは無いからだ。一応毒の魔法はあるがもっと全身が痺れたり死に至らしめるものだったりする。

 毒物の摂取を疑っても全員が同じ物を食べているのでその二人だけに症状が出るのはおかしいし、正解である転移魔法も以前述べた通り他人の体に干渉する事はかなり難しい事で普通は出来ない。

 常識を逸脱した魔力操作を持つリカルドだからこそ成せる技なのだ。


 尚、ヒルデリア側の部隊長と女性騎士の尊厳はギリギリのところで守られた事をここに記しておく。

 腐ってもヒルデリアという絶えず魔族との攻防を続けている厳しい環境で鍛えられた騎士。並の精神力ではなかった。あと宿の厠が複数設置されていたのが幸いであった。

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