第86話 南方からの要請

 気を抜いていたところに真後ろからタックルをかまされ地面に倒されたリカルド。常人であれば腰をやられていた一撃に、のそりと上体を起こした。


「ウリドール……」


 この間からお前タックルがデフォルトになってませんかねぇ?と思いつつ地面に肘をついて後ろを向き、腰あたりにあるキンキラの頭を鷲掴みにしたリカルド。だがウリドールの視線はリカルドではなく別なところを向いていた。


〝ね? 全然大丈夫でしょう? 神様は怖く無いですよ!〟

「は?」


 何を言ってるんだと思ったリカルドはウリドールの視線の先に目を向け、生垣の影から薄羽狼フロウビッドがてとてと歩いてくる姿に気がついた。

 もしかして俺に慣れさせようとしてる?と気づいたリカルド。思わず動きを止めて見守った。

 だが、あと2メートル程度となったところでピタリと止まり、ぴるぴる震え始め耐えかねたようにもふりとした尻尾を股の下に隠してしまった。


〝えー? これでもまだ怖いんですか? うーん……〟


 ウリドールは上体を起こしたリカルドを見上げて、


「まて、お前何考えてるん——」


 言い切る前にびよーんとリカルドの口を横に伸ばすウリドール(口の両端に親指突っ込んでガチで伸ばしている)。


〝ほら平気でしょ?〟


 痛くは無いし薄羽狼フロウビッドにこれで怖がられなくなるなら安いものではあるのだが、ウリドールにされるとそこはかとなくどころではなくいらっとするリカルド。


〝もー神様、そこでむっとしないでくださいよ。あの小さいの、神様が怖いからってどこかに行こうとしてたんですよ?〟

「は?」

〝今は外に出ない方が良いんですよね? 私、ちゃーんと覚えてたので止めたんです〟


 偉いでしょ?と、ドヤ顔をするウリドールに、確かに偉いけどたひはひへはいへほと呟き――呟いてまともにしゃべれない事に気づいてウリドールの手を掴んで外した。


「シルキーとかみんなに懐いてたんじゃないのか?」


 地面にそのまま胡坐をかいて座り尋ねるリカルドに、ウリドールは向かいで足を畳んだ。


〝そうしてるふりみたいですよ?〟

「……ふり」

〝そうすれば油断するとでも思ったんじゃないですか?〟


 さらっと何でもない事のように話すウリドールに、え……と言葉を失った。小動物に対して先入観というか夢を持っていたリカルド。無邪気で無垢というイメージが崩されて地味にダメージを受けた。

 リカルドが視線をウリドールから薄羽狼フロウビッドに移せば、びっくぅぅという感じに震え上がられた。それを見て、あ。こいつマジで賢いと悟る。


「なあ、こいつ俺達の言葉理解出来てる……よな?」

〝さあ? なんとなく感情を感じ取ってるんじゃないですか?〟


 曖昧なウリドールの言葉にリカルドは時を止めて虚空検索アカシックレコードで確認した。

 その結果、人の言語の理解度は個体差があるものの、この個体に関してはかなり言葉を理解出来ている事が判明した。


「……あー……俺達の会話でわかってると思うけど、お前、今ここから出たらまた捕まるぞ」


 時を戻し、最初にこわくないよーとかやってたのがなんだったのか……と額を覆って恥ずかしさを誤魔化しながら話すリカルド。だが薄羽狼フロウビッドは変わらず怯えたまま動かなかった。


「別に俺が怖いなら無理に近づく必要はないから。ほんとに。ご飯はシルキーに貰って、それである程度大きくなればちゃんと良さげな森に連れていくから。わかるか? わかるよな。そういう事だから人間に捕まりたかったら出て行けばいい。それが嫌ならしばらく我慢してくれ」


 声を掛けるが、やはり動かない薄羽狼フロウビッド

 聞こえてはいるのはわかっているし、これで外に出ようとはしなくなる事もわかっていたので、リカルドはそのまま立ち上がって土汚れを落とし世界樹の方に歩いた。


〝珍しいですね、神様が連れてきたのを放置するなんて〟


 リカルドについてきたウリドールは、ちらっと後ろでまだ固まっている薄羽狼フロウビッドを見遣った。


「そうするしかないんだよ。俺が近くに居るだけで威圧されてるように感じてるんじゃ離れてやった方がいい。話は理解出来ているから問題ないしな」

〝神様本当は一緒に遊びたいくせに〟

「……うっさいな」


 図星を刺されて視線を鋭くさせるリカルドに、ウリドールは笑って胸を叩いた。


〝しょうがないから私が遊んであげますよ!〟

「いらんわ」

〝何をします?〟

「だから遊ばないって。俺だってギルドで依頼受けて来ないといけないから忙しいの」

〝ええ~? あ、じゃあ〟

「ついてくるなよ。絶対ついてくるなよ」

〝2回言うって事は、それはフリですね?〟


 ピンときたウリドールは指を立て、名探偵っぽく指摘した。リカルドは額を押さえた。


「お前それ絶対樹くんに聞いただろ。フリじゃないから。押すなよ押すなよイコール全部押せじゃないから」

〝むー……そういう場合とそうじゃない場合があるとは聞きましたけど……難しいですね〟


 腕を組み眉間に皺を寄せるウリドールと、樹くんはどういう状況でフリとか教えたんだ……と疲労感(妄想)に襲われるリカルド。

 ため息をついていつもより早い水やりを終え、外套とマフラーをつけて雪のちらつく市へと繰り出し冬物野菜へと品物のラインナップが変わったのを感じながら買い物を終わらせて家へと戻れば、思わぬ人物と鉢合わせた。


「お久しぶりですリカルド殿」

「ジョルジュさん?」


 角を曲がれば家というところで、私服姿の教会騎士ジョルジュとばったり出くわした。


「戻られたところで良かった。ちょっとしたお願いがあったのですが……」


 言いかけて、ジョルジュは後ろを振り返った。

 なんだ?とリカルドも視線をジョルジュからずらして見れば、白髪を後ろに束ねたローブ姿の初老の男性がこちらを見ていた。

 リカルドはその顔に見覚えがあり「あ」と声を出したが、あー……と続けて名前が出てこない。


「どうも、副ギルド長さん」


 出てこないので役職で呼べば、副ギルド長のサイモンは小さく片眉を上げた。リカルドが自分の名前を忘れている事に気づいたが、そう何度も会って話す間柄でもないのでそれ以上の反応はしなかった。


「話があるのだが、取り込み中だったか?」


 挨拶をした程度なので取り込み中という事ではないが、リカルドはジョルジュを見た。話があるならジョルジュの方を優先させるつもりなのだが、ジョルジュは首を振った。


「いえ、私の話はすぐに済みますので」


 ジョルジュはサイモンに向けて外向き用の無害そうな笑みを浮かべてから、リカルドに小声で囁いた。


「今日、教会に来てもらえますか?」


 その言葉に二人に何かあったのだろうかと心配になるリカルド。思わず時を止めて確認すれば何の事はない、ナクルの誕生日のお祝いをしようとしていたからだった。孤児院のマザーに決められたナクルの誕生日は本当はもう少し先なのだが、クシュナが仕事で出張する事になり急遽今日する事になったらしい。

 そういう事ならもちろんと思いリカルドは時を戻して頷いた。


「わかりました」

「礼拝堂に正午。迎えに参ります」


 ジョルジュは、ではと背を向けサイモンに目礼し横を通り過ぎていった。


「ええと、お待たせしました」


 入れ違うように近づいてきたサイモンに会釈をすれば、相変わらず教師のような厳格な雰囲気を漂わせ、サイモンは皺の刻まれた手を振って周囲の音を遮断した。

 そのピリッとした空気感に、俺なんかしたっけ?と指導を受ける生徒のような心地になるリカルド。

 ついつい何か叱られるんだろうかと時を止めて確認すれば、南方派遣についての話だった。どうも現在、ヒルデリア王国が中心となって防衛している魔族との小競り合いが激化しており、その救援がつい先ほど正式にグリンモアのギルドにも申し込まれたため人手を送る事となったのだが、そこにリカルドも参加してくれないかと話に来ていたのだ。

 これには、何で俺を?と疑問に思うリカルド。ギルドに警戒されている自分を送るだろうか?と。


(普通そんな怪しい奴送らないだろ)


 厄介払いでもしようとしているのか?と調べれば、確かに背後関係に懸念はあるものの、今のところ目立った悪さをしているわけではなくギルドの職員に対する対応も死霊屋敷の一件を除いてはごくごく普通。その程度であれば鑑定不能と出る程の戦力を遊ばせておく理由にはならないと判断されていた。というか、そういう判断を下さないといけないぐらい前線がひっ迫していた。

 なのでこの話はリカルドだけではなく、グリンモアのギルドに所属している上位ランク(Cランク以上)の半数程は強制参加が決定しており、またDランクでも実力が認められる者には個別に要請する手筈になっていた。つまり、ハインツは強制参加(サイモンはラドバウトからハインツがしばらく動けない事を聞いていたが、Sランクになったばかりという事もあってグリンモアに留める事は戦力を出し惜しみする行為と見做され不可能だった)、樹にも声が掛かる事になっていた。


 厄介払いでもなんでもなく、純粋に戦力を当てにしての要請だとわかり、うーんとなるリカルド。

 正直、ここから離れたくないし前線に送られても碌な事にならない(戦闘現場とか死ねる気がした)だろうなと思うリカルド。だが、ハインツはともかく樹も行くと言う可能性が高い事がわかって揺れた。行きたくはない。だが樹が行くなら心配だから一人にはさせたくない。しばし悩んだが、まぁ細かく虚空検索アカシックレコードで状況確認すればいいかと断る方向で結論付けた。安定のチキンな死霊魔導士リッチである。

 とりあえず話を聞いてからでないと断る事も出来ないので、リカルドは時を戻した。


「単刀直入に話すが、魔族達の侵略を防いでいるヒルデリアからギルドに対して救援要請が入った。明後日ヒルデリアのギルドへと戦力を送る事となったのだが、君にもそれに参加してもらいたいと考えている」

「はぁ。あの――」


 自分忙しいのでお断りします。と早々に断ろうとしたリカルドだったが、サイモンは手を上げてリカルドの言葉を遮った。


「状況は非常に逼迫している。本来であればこの季節は魔族領からの侵攻が緩む筈が、今年はどういうわけかその緩みが一切無い。前線の消耗が激しく現状近隣から急遽人をかき集めて対処しているがその場しのぎにしかなっていないと連絡を受けた」


 あれ?偶にある戦闘の激化とかじゃないの?と内心首を傾げるリカルド。疑問に思ったまま、また時を止めて確認して――段々と気が遠くなっていった。 

 この季節、本来であれば浮島が魔族領の上を通過する時期で、そこに住む天使族が力を試せる相手として各自好きな魔族を選んで殺戮してはっちゃけているのが例年の恒例であった。

 で、今年はというとリカルドが浮島を叩き落したあげく(ちなみに浮島は二つに割れたもののどうにか空に戻っていった)、浮島に住んでいた天使族は吸血鬼達に全力をぶつけている最中で、つまりそういう事である。


(あ~…………)


 口から魂が出そうになる(出ないが)リカルド。あいつらも人間に貢献していた所があったのねと現実逃避しそうになる意識を繋ぎ止め、さすがに己の行いが影響を及ぼした結果に対して知らんぷりは出来ないとどうしたらいいのか虚空検索アカシックレコードに答えを求めた。

 そうして虚空検索アカシックレコードが最初に返してきた答えはリカルドが余りある魔力を持って一掃するというどう考えても目立つ事この上ないものだった。一応その場合の周囲への影響を確認すれば、魔族領の奥地でのんびりしている他の魔族も刺激する事になり、芋づる式に魔族がどんどん釣れて、魔族領最強は誰だ決定戦(死んでも自己責任)みたいな様相に変化していた。

 却下。と、さっさとそれを捨てて次を当たるリカルド。

 条件分岐していく未来の可能性を洗いながらその先も出来得る限り確認していき、そのまま実時間にして半日程続けて、ようやくこれでいくかという道を見つけた。

 確実な方法とは言えず、途中で状況が変わってどうなるのかわからない部分も多分にあるのだが、放置する事も出来ないのでやらないという選択自体は無い。


「副ギルド長。であれば尚更新人の私が行くわけにはいきません。集団戦の心得もありませんし、共闘も不得手です」


 真面目な顔(調べ疲れて真顔)で首を横に振るリカルドに、サイモンは目を細めたが批判はしなかった。


「そうか」


 ならば仕方がない。それだけ言って背を向けた。

 その背を見送ったリカルドはすぐに身を翻して家に戻り、買い物籠をシルキーに預けて二階に上がってハインツを起こした。

 寝起きのハインツはぼんやりとしていたのだが、ヒルデリアで魔族領との小競り合いが激化していると聞いた瞬間に覚醒して話を聞いた。


「それは異常事態だな……いつも通りなら小休止の時期だから、それを見越して一旦南を離れる奴が多いんだよ……そこを突かれてやばいんだろうな……」


 さすがジュレのメンバーだけあって小競り合いにも何度か参加した経験のあるハインツ。状況を理解して眉を顰めた。


「俺にも声が掛かるくらいだからハインツもそうだろうと思うんだけど」

「ま、強制依頼が出るだろうな」


 ラド達が依頼を受けてる最中だから、そっちをここら辺の対応に残して俺とレオンのパーティーとこをあっちに向かわせるのが自然だと呟くハインツ。


「行くしかないと思うけど、余裕がある間は夜は自由時間にしてもらったらいいよ。レオンさんだっけ? あの人とかに札は持って貰えばいいだろうし。それぐらいの融通は効くだろ?」

「まぁ……夜抜けるのはあんまり褒められたもんじゃないけどね……はぁ。ラドと離れてる時にこれってのがまたタイミングが悪い」

「ほんとな。一緒ならいろいろ協力してもらえただろうけど……ごめん、もうちょっと早く転移用の札アレ作っておけばよかった」


 そうしたらラドと仕事に出てただろうにと言うリカルドにハインツは苦笑した。


「それは俺が礼を言う事はあってもお前が謝る事じゃないだろ?

 それよりお前は? Fランクだから強制は出ない筈だと思うけど何か言われたりしてないのか?」

「さっきサイモンさんから声を掛けられたけど断った。ちょっといろいろ立て込みそうな事があったから」

「そっか……お前がいたら楽が出来そうなんだけどな」

「勘弁して。血の出ない戦場ならいいけどさ」


 力なく首を振るリカルドに、そういやそうだったとハインツは笑ってベッドから立ち上がると、一度クランハウスに戻ると着替え始めたのでリカルドは部屋を出た。

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